文=横田猛雄
絵=伊集院貴子
第二課 黒いバラとの出逢い
後、昭和六十一年、今は廃刊になってしまった三和出版の月刊『SMソドム』誌に、エメロン浣腸の体験の一端を告白したことがありますが、それは今もこの『S&Mスナイパー』誌上に広告を出している東京のS女性、「黒いバラ」との対決です。
黒いバラこと久保田幸子(又は桃子)さんとの出逢いは昭和五十五年頃のことで、黒いバラは幼時からピアッとバレエを習っていたとのことでした。
どことなく育ちの良さを窺わせる女性で、唯、結婚生活に敗れてこの道に入ったということです。
その結婚生活というのは、彼女が毎晩夫から激しい肛交を強要され、その頻度が余り激しいので、このままでは肛門がガバガバに拡げられてしまうという恐怖から、逃げ出してきたというのです。
私と逢った夜、
「生理が始まって血が騒ぐので、今夜は男をいじめないと眠れない」
と言う黒いバラは、散々に私のお尻の穴を責めました。
この人は責める時自らも全裸になり、苦悶する男の身体に股がったり座ったりして、その悶えの震えを直に肌に知覚することに無上の喜びを覚えるそうなのです。
一糸まとわぬ素っ裸で、股で締めるわ、蹴るわ、踏むわ、座るわ、股がってお尻をドスンドスン下ろすわ、三時間余りもぶっ続けに、したい放題のことを実行し、くたびれ果ててそのまま眠ってしまったのです。
眠っている女性を犯すのはたやすいことで、私は風呂場に転がっている浣腸器を持って来ると、鞄からエメロンを二本出し、その一本を吸い上げると、彼女の背後から迫って、ゆっくりと注入してやりました。
そのまま暫く見ていると、彼女はふっと眼をさまし、「あれっ?」といったような顔でお尻の穴を手で押さえ、起き上がりました。
背中を極端に反らして、お尻の穴を掌で蓋して押さえた女性の姿は、とてもエロチックで勃起ものです。
私はその手を取って除けさせると、抗議の眼をする彼女の、真っ白な大きなお尻を、思い切り平手打ちしました。
白いお尻に見事に真っ紅な手の跡かついた彼女は、怯えて抵抗を止めましたので、抱き上げてテーブルの上に仰臥させました。
有無を言わさず両足を高く持ち上げると、もうお尻の穴はピクピクして、公園の水飲み場の口のように、ピッピッと液が洩れ始めています。
持ち上げた両足を、揃えてしっかりと抱きながら、上から襲いかかった私の善光寺チンボは、もう誕を垂らして濡れていますので、手を添えなくても、ピッピッと液を吹き出している穴に、楽に刺さり込みました。
中はとても温かく煮えていて、グニュグニュと柔らかい直腸壁がチンチンを撫でてきます。
しっかり根本まで入った時両脚を開かせると、
「もう出るう......」
と涙ボロボロです。
それでも私が許さないのを知った彼女は、せめても洩らさないようにと、その両脚を私の腰にからみ付かせて、ウウッウウッと息を吸わずに吐くことだけを続けています。
ビビビビビビッとせわしく末期的な痙彎をしているケッツの穴の紐の感じから、すでにとうに限界を超えているのを知っている私は、獣のように唸る彼女の背中に手を廻して抱き上げ、いわゆる駅弁スタイルにして、抜けないように貫いたまま、座敷中を歩き廻りながら反動をつけて腰を使い、彼女が腹をよじって苦悶に泣くのが小気味よくて、うんとはずみをつけて、両足揃えてピョンピョンと、座敷中をとび跳ねてやりました。
彼女のケッツの穴は、もうとうに締める力を放棄しており、私の太いチンボと恥骨とで穴が塞がって排便が阻止されているのです。
とび上がって着地する度に大きく串刺しされるので、その度に彼女は絶叫します。
普通に浣腸したなら一分と耐えられないのを、こうやって三十分以上貫き通してやったので、エメロンはケッツの穴とチンボの隙間からタラタラと垂れ続け、抜去して解放してやったら、彼女は厠に這い込んでへたってしまい、金隠しに抱き付いてウンウン唸っていました。
お尻をかかげさせて調べてやると、ケッツの穴は鯉の口みたいにパックリ開いてしまって、ブクブクと息ついて泡吹いているだけで、液はすでにもう洩れ出してしまっていました。
唯よく効いたとみえて、ケッツの穴が閉じるのを忘れ、暫くは開いたままでした。
翌朝ケッツの穴の紐がとても疲れてしまって、キュッと締めようと思っても、霜焼けのようにジーンと腫れぼったくて痺れていて、全然言うことを聞かなかったとのことです。
(続く)
上へ |
カテゴリ一覧へ TOPへ |
■広告出稿お問い合わせ ■広告に関するお問合せ ■ご意見・ご要望 ■プライバシーポリシー ■大洋グループ公式携帯サイト |