文=横田猛雄
絵=伊集院貴子
第一課 純枠な快楽の追求
某国の故大統領夫人が夫の死後、ハンドバッグの中に常時ワセリンを忍ばせていて、お尻の穴での性交の快美感を追求していたということは、余りにも有名な話です。
お尻の穴の中(直腸)への射精であれば、女性は妊娠の心配をせずにすみますので、専ら快美感のみを集中的に追求出来る訳です。
肛門での交合は、人類の歴史始まって以来、古くから行なわれてきたもので、古代ギリシャ、口ーマやエジプトでもさかんに行なわれたことが、当時の文学作品の中に窺えます。
肛門性交の異名がグリークスと呼はれるのは、ギリシャ・スタイルという意味で、それほど古代ギリシャでは肛交が、男子同性愛をも含めて、一般的にひろく行なわれていたからです。
一般に文化が爛熟し、世の中が頽廃的になると、快楽追求のために、肛門性交が世間の表面に浮上してくるようです。
古代ローマの帝王ネロは、世界中の女性はすべて妻であると宣言して、欲望のおもむくまま、眼につく女性と交合しまくりました。
それだけでは事足りず、ある美少年を性転換手術で女性にし、身辺に侍らせたといいます。
不幸にもその人工美女が死ぬと、今度は自分が女性役になり、世のあらゆる男性に自分の肛門を貫かせ、文字通り世界中の男性の妻となって、犯される時、あたかも処女のようにさめざめと泣き、女声でエクスタシーの声を張り上げてみせたそうです。
時代が下って中世のキリスト教絶対の暗黒時代には、ヨーロッパ全土で広く行なわれた反キリスト教的な地下活動であるサバト(闇の夜の森の集会で、キリスト教から見れば背徳行為の極とされる)では、キリスト教の教えにわざと背くために、肛門での交合が特に大々的に行なわれました。
人々は夜ともなれば宗教的絶対支配名の眼をのがれて森の奥に集い、エクスタシーの次元の高い、その上妊娠のおそれの無い最高の快楽術としての肛門による交歓に酔い痴れたのです。
肛交のことをフレンチ・スタイル(フランス式のやり方)とも呼ぶのは、サバトに関係深いことと思われます。
戒律のきびしいカトリック教国では、時代が下っても婚前の女性の性体験と妊娠中絶とが大変に罪悪視されてきましたので、カトリック系国、中でも中南米のいわゆるラテンアメリカ諸国では、婚前の若い女性が相手男性の性的欲求に応えるには肛門を使うのが常識とされました。
そこではつまりすべての乙女らは肛交の体験者であった訳です。
(続く)
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