文=アニエス・ジアール
在仏カウンターカルチャー専門ジャーナリスト、アニエス・ジアール&フランシス・ドゥドブラー。親日家でもあるお2人が、世界のフェティッシュ事情をお届けします。非日常的な空間として演出されるフェッティシュ・パーティ。そのなかでもトイレについて、アニエスは思うところがあるようです。
私は、クラブのトイレで写真を撮るのがとても気に入っている。トイレは、皆がもっともラフになる場所。レズビアンたちがたやすくキスを交わし、ドミナ(女王)たちが女神を気取るのを止める、狭い個室を期待して……。
(トイレの中で)女性たちはよりナチュラルになる。女性用トイレには多くの女装子(女装する男性)もいて、化粧したり、おしゃべりしたりする。私はこの(色んな「女性」の)ミックスが大好き。
どうして私が(普通のクラブイベントや、コンサートではなく)フェティッシュ・パーティに一人で来るのかと訊ねられたなら、このミックスな感じがいいから、と答えるでしょう。多くの(普通の)クラブイベントでは、ハンディキャップがある人たちやトランスジェンダー、年寄りは入場を拒否される。フェティッシュ・パーティは、全ての人たちが入場できる。ドレスコードを守らなくてはいけないだけ。
けれど、わたしが好むのにはもう一つ理由がある。フェティッシュ・パーティでは、全ての人が美しくなれる。すごく太った女の子はプリンセスの衣装をつけると綺麗になる。車いすの男の子、小人の男性、70歳を超えた年金生活者の老人もまた、魅力的になる。どうしてかって、(フェティッシュ・パーティに参加していると)周りの人に好かれたくなるから。
『火の精神分析』で、ガストン・バシュラール(※1)はフェティシズムについてこう述べている。「深く夢を見る為には材料が必要だ」私たちに、幸せになる為には自分の人生を夢見る必要があると説いている。私たちが、美しく、力強く、強大になるためには、それを想像する必要があると。その想像を(現実に)創り出す為に、私たちは自分を彩る必要があると。
クジャクのように、尾を広げる。パレードだ。私たちは、他人のまなざしに自分の確固たる存在、美しく、光り輝く愛を探し求めている……。クジャクの尾は、「鏡」と呼ばれるたくさんの目(に見える模様)に覆われた羽からなっている。クジャクは自分の尾を完璧なイメージを増幅させるパラボラアンテナのように、魅力を放つ多面体の鏡のように利用している。
「目」は夢を見る為の鏡だ、というこの考え方が、私はとても気に入っている(※2)。フェティッシュ・パーティは視線のパーティだ。ミラージュ(蜃気楼)であるためのパーティ。
<訳者註>
※1 ガストン・バシュラール:フランスの哲学者
※2 鏡:フランスの哲学者サルトルは『出口なし』という戯曲の中で「地獄とは他人のことだ」と述べている。何もない一室に他人と二人きりで過ごし、自分の存在を確かめるには隣の人間の目(鏡)の中の自分を見るしかないという状態。その設定こそがサルトルの表現する地獄であった。キリスト教圏の社会、特にフランスでは、「他人との関わり」が非常に重視されている。常に他者と関わる事(会話を交わすこと、人と人が交流する事、言葉というもの)が重要である。自分の存在が、他者によって決定される、という考え方がとてもポピュラーなのだ。
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