文=アニエス・ジアール
第一回目となる本日は、彼らの自己紹介と私たちの記憶にも新しい、今年6月に起こった秋葉原通り魔事件について。世界はあの事件をどのように捉えたのでしょうか?
私は、世界で起こる犯罪の大多数が、自分の欲望を敢えて満たそうとしない
男達の勇気の欠如であるということを確信している
日本のマスコミでは、秋葉原通り魔事件の犯人について、なぜ無差別にあれだけ多くの人が路上で殺されたのかということが盛んに議論された。
欧米諸国(西側)では、往々にしてキリスト教もしくはイスラム教が原因でこの種の犯罪が起こる。我々の社会では原因は一言で説明される。つまり「性的欲求不満」である。
加藤智大容疑者には恋人がいなかった。女の子達に幻想を抱いたものの、なんのアプローチも出来なかった。なぜなら、自分が醜く、不器用で魅力がないと感じていたからだ。恋人ができなかったから、魅力的になる代わりに、自身の内気さを乗り越える代わりに、秋葉原へ行って女の子達を殺す事を選んだ。加藤容疑者は他人に復讐をした。
加藤容疑者はろくでなしの典型である。一切の謝罪をせず、自分を、臆病者で無力な人間としてふるまった。
そして、自分は今、自らを犯罪者にした日本の社会を非難しているのだと続ける。
責任を取る事ができないので、加藤容疑者は常に他人に原因を探すだろう。
「女の子はあまりにも俗っぽい」
「女の子は愛するに値しない」
「女の子はいつもお金の事ばかり考えている」
自分の宗教(キリスト教、もしくはイスラム教)の教えのために欲望を抑圧する欧米諸国の男達からこのフレーズはよく聞かれる。
一神教の信者にとって、女性は悦びのシンボルである。だからこそ、罪なのである。欲望は抑圧しなくてはならない。
そこに、欧米諸国に多くの殺人者がいる理由がある。男達は、自分の欲望を押さえつけ、そして悩む。
しかし、日本では欲望と悦びは罪ではない。反対に、日本の文化は性を禁じない。
そこに、加藤智大容疑者が一切の謝罪をしない理由がある。加藤容疑者の行動はろくでなしそのもので、論拠は最低なものである。
加藤容疑者は勇気(フランスで言うところの「タマ」)のない男なのだ。もっと女性とコミュニケーションをとる術を学ぶべきだった。
私は、世界で起こる犯罪の大多数がただ単に、自分の欲望を敢えて満たそうとしない男達の勇気の欠如であるということを確信している。
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