文=抱枕すあま
SMが大衆化しすぎたのも一因かもしれない。現在のモデルさんは、AVや雑誌でSMというものが、具体的にどういうことをするのかを知っている。自分がMであることを公言するモデルさんも多い。昔は、放尿シーンすら、なかなか見ることができなかった。それが、今では放尿はおろか、飲尿、浴尿、浣腸までが当たり前になっている。羞恥心のない放尿は、本当にSMだといえるだろうか。
しかし、昔のモデルさんは違ったのだ。今のように情報のない時代である。ヌードになるだけでも非常に恥ずかしいことなのに、変態行為を行なうSMという未知の世界へ、足を踏み入れているのである。これでは、昭和の時代と比べて、モデルさんの雰囲気に違いが出るのは、当然であろう。
昔のグラビアは、セーラー服も違った。スカートの丈も、もっと長かった。昔は、太い足を見られるのが恥ずかしいから、見られないように長い丈にしていたのだ。それが、いつの間にか脚が長く見えるという理由で、スカートの丈がどんどん短くなっていった。スカートの役割が、脚を『見られないため』から『見せるため』に変化したのだ。さらに、昭和の時代には、セーラー服の下に必ずシュミーズを着ていた。スカートを捲っただけでは、脚すら見られなかったのだ。
モデルさんの表情も、大きく様変わりしてしまった。いつの間にか、SMはハードな責めをするものとなり、モデルさんが大きな声で泣き叫ぶようになってしまった。昭和の時代は、まったく違っていた。そんなことをしたら、近所の人に変態的な行為が知られてしまう。そうなれば、お嫁に行けなくなる。だから、あの頃のグラビアでは、唇を噛みしめて声を殺している女性の苦悶に満ちた表情が見られたのだ。SM雑誌に掲載されていた官能小説は、SMにおける羞恥心の大切さを教えてくれた。そして、杉浦氏のグラビアを見て、羞恥心に身悶える女性の美しさを知ったのだ。
映像作品で私が最初に衝撃を受けたのは、「アートビデオ」の『奴隷女高生(山下ひとみ)』である。それまでは、太った中年のおばさんが軽く鞭打ちされるようなSM作品しか観ていなかった。だから、SMって実際はこんなものなのだと、私は勝手に決め込んでいたのだ。しかし、『奴隷女高生』は違っていた。セーラー服を着た、いかにも清純そうな女子高生が、セーラー服を蝋燭で真っ白にされて、さらに容赦なく鞭打ちされていたのだ。あの頃は、おばさんにセーラー服を着せて、平気で女子高生だと言い張っていた時代である。すすり泣く山下ひとみ嬢の可憐な姿を観て、衝撃を受けないはずがないではないか。
そんな『奴隷女高生』を作った「アートビデオ」の社長である峰一也氏は、『S&Mスナイパー』本誌のインタビューの中で、こう語っている。
「それまでSMとかって知らなかったし、興味なかったんだけど、刺激的ですよね。濡木痴夢男さんが縛るのとか見て。そういう現場でSMに目覚めたんですよね。自分でもやってみたくなるじゃないですか。それで、杉浦さんのライティングとか研究して、マネしてSM写真を撮るようになったんだ」
つまり、「アートビデオ」には、杉浦氏の遺伝子が伝わっているのである。私は、知らないうちに、映像作品からも杉浦氏の影響を受けていたのである。
杉浦氏のグラビアは、モデルさんが愛おしい。狂おしいほどに愛おしい。ぎゅっと抱きしめたくなる。それが、杉浦則夫のSMであり、魅力なのだと私は思っている。だからこそ、いまだに根強いファンがいるのだ。
私が抱き枕フェチになったのも、杉浦氏の影響があったからに他ならない。合法的にセーラー服の少女を監禁して悪戯するには、抱き枕を愛するしか方法がなかったのだ。それに、どんなことをしても、抱き枕なら大声を出すことはない。時々、小さな声を漏らすことはあるのだが。
そんな私の性癖に大きな影響を与えた杉浦氏の撮影に、エキストラとして参加するのだ。撮影の前日は、ちょうど『S&Mスナイパー』の忘年会であった。しかし、私は飲み過ぎて撮影に集中できないといけないので、忘年会へ行くのをとりやめた。私だって、SMを仕事として生活している人間である。それくらいのプロ意識くらい持っている。もっとも、私には編集部から忘年会のお知らせが来なかったのだが……。
(続く)
Special Thanks:杉浦則夫(杉浦則夫写真事務所)、山之内サチ(三和出版)
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