私の嗜肛錯誤の日々【1】
一、ケツ穴道楽
早いもので、私がこの世に生を享けてから五十年になろうとしている。 東京は築地の高級料亭のひとり息子だった私は、我侭三昧に生きてきた。
まあ、その結果、両親が心血を注いで築きあげた身上をまさに蕩尽してしまったわけだが、今、こうして、下町の堀立小屋のような貸家で、荒淫のためにすっかり精気を喪った躯を引きずりながら気息奄々といった体で時を過ごしていても、まったく後悔の念はない。
今まで関わってきた数多くの女たちとの珍奇な交情を想い出していると、一日などはまたたく間に過ぎてしまい、仕事もなく訪ねてくる女もいないのだが、無聊とは無縁なのだ。
両親の身上を蕩尽したと私は言ったが、それは、今の私に残された金に較べればの話。私とて商売人の端くれだったわけで、一汁一菜の粗食に甘んじていれば生きていけるだけの金は残してあるのだ。 我田引水だが、身を持ち崩し野垂れ死にしたとしても世間様が、「やっぱりねェ、あれだけムチャをすれば、あたり前だ」と言われても不思議のないほどの私が、今だにこうして生き永らえているのも、一種の才覚ではあるまいか……。
ことほど左様に私は、全盛時、「いやァ、すごい遊びっぷりですな。ムチャを通り過ぎて、こりゃ、もう、立派です」などと、妬み半分、馬鹿にされていたほどお人好しではなく、小ずるく、また、醒めている所があった。
いくら金があったとしても、おつむが足りなければ、金を毟り取られるだけで、玄人、素人、生娘を問わず女を籠絡し、次々と変えていく芸当ができるはずがない。
さて、いったいぜんたい何故そうなのか、かいもく見当もつかないのだが、私は女に惚れたことがない。「おめェ、あんないい女、もう二度とめっけることなんかできねェぜ」などと、道楽仲間が首をひねるような女も平気の平左で捨てたものだ。
こんな風に女そのものには何の未練も感じない私だったが、こと、女のケツの穴に関しては、尋常でない執着があった。 女のご面相は忘れてもケツの穴の有様は、ひとつひとつ克明に想い出すことができるのは不思議と言えば不思議なことだ。
(つづく)
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