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▼ エネマレイプ 手芸店の女【2】
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告白=逸木登志夫(仮名)


エネマレイプの実体験記『太陽と赤いハイヒール』『隣室の受浣者』を寄稿をした逸木登志夫氏が、尚も秘蔵していた禁断の記憶について書く背徳告白第3弾。手芸店で働く肉感ボディの未亡人は、いかにしてエネマレイパーの餌食となったのか……。『S&Mスナイパー』1982年5月号に掲載された読者投稿を再編集の上で全四回に分けて掲載しています。


【2】沢田恵美子

さて、手芸店の店員構成は外交が五人。内働きの事務員(女)が四人、荷造りの係が私のほかに、どこかの工場の守衛で停年退職してきた人の十一人であった。外交といっても市内を廻るのでなく、彼らは北海道から九州まで受持範囲が定まっていて、月の半分はトランクに見本を入れて得意先に出張していくのである。

私は何をやっていたかというと、何分にも新入りであったから、各地から送られてくる注文書によって二階の倉庫から店員下ろしてくる品物をダンボール箱に詰めて荷造りし、トラックで受け取りにくる運送店に渡すのであった。

主人は五十五、六才の人で二年前に脳溢血で倒れ、どうやら回復したという人で、身体が不自由なために三階に家族が住んでいるのであったが、本人はほとんど店にも下りてこなかった。何事につけ犬番頭みたいな人が報告に行くのである。

述べ遅れたが建物の構造は一階が店、二階が倉庫、三階が家族の部屋というものであった。
その頃の私はアパートの木口佐代子という女性と別れて一時がっかりしていた頃であって、松下や河井などに「逸木はん、帰りにお茶のみに行かへんか」と誘われても行く気もしなかったが、五月の末になって問題の邑田恵美子という三十過ぎの女性が入社してきた時は大いに関心をそそられた。

彼女は伏見から通勤してくるという。なんでも近くに有名な寺田屋跡(薩摩藩士の事件のあったところ)があるとかで、母親と十歳程の女の子と三人暮しだそうであった。なるほど見た目には木口佐代子より体格的に劣るが、それでも私好みのむっちりした美しい女性で、私は心中秘かに喜び勇み、きっとものにしてみせようと悪い虫を蠢かせたのである。

沢田恵美子は店内の男女の話題の的であった。「あんなええ身体しててあっちのほうはどうなんやろな? 二十後家は通せへんて話やけど」とか「今の時代やし、操なんて考えてんと早よう再婚したらええのに、毎晩身体が火照ってよう眠れへんやろな」などと毎晩囁かれるほど彼女の身体は成熟していて、いかにも欲望を抑えて悶々としているように思われた。私などは折をみて一気に施浣してしまおうと、彼女が伝票整理がわからなくて困っている時は手伝ってやったり、何くれとなく力になって距離を縮めていく努力すら始めていた。

店の女店員達の話によると、彼女は昼休みの雑談がセックスのきわどい辺りになると顔を赤らめて、さりげなくその場から逃げ出していくので極端な恥ずかしがり屋だということになっていた。セックスの話の時、大真面目になっていやらしがる女は実は好奇心旺盛なタイプだとよくいう。彼女の場合はこの反対で、欲望が強すぎる分だけ抑制が働いて大人しくなるM型のタイプで、努めて考えまいとしているものと私は考えたものである。
(続く)


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