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▼ エネマレイプ 手芸店の女【7】
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告白=逸木登志夫(仮名)


エネマレイプの実体験記『太陽と赤いハイヒール』『隣室の受浣者』を寄稿をした逸木登志夫氏が、尚も秘蔵していた禁断の記憶について書く背徳告白第3弾。手芸店で働く肉感ボディの未亡人は、いかにしてエネマレイパーの餌食となったのか……。『S&Mスナイパー』1982年5月号に掲載された読者投稿を再編集の上で全四回に分けて掲載しています。


【7】愛の施浣訓練

恵美子と私がいつも行くのは、東山安井のときわ荘というホテルであった。そして一旦ホテルに入れば必ずエネマ遊びをしてから時を過ごすことになった。

彼女の話によると、彼女は平凡な見合い結婚後一年半で出産し、次の年に夫が病死したという。その後はずっと独身のまま子供を育てながら両親の下に暮らしてきたということである。親は下宿屋をしていて、後々私もその家へ遊びに行ったのであるが、恵美子が高田商店に来る一年前に父親も亡くなったとのことであった。

さて、彼女はイチジク型のエネマを常用していると述べたが、くわしく尋ねてみると、いつも限界までは耐え切れないで排泄してしまうという。私に言わせてもらえば、これは彼女の気の弱さによるものである。

私は彼女と関係を持つようになって以来、なるべく硝子製のシリンダー型を使用するように心がけてきたのであるが、完全に硝子製のシリンダー型だけで済ませられるようにはなかなかならなかった。

というのは、彼女が出産のために入院していた際、シリンダーを使って何度も何度も施浣された時の辛さが記憶の底に根強く残されているというのである。私はその恐怖感を取除くために、注入量をわざと少なくしたり、グリセリンの割合を薄めたりして、本当に少しずつ、なだめなだめエネマ調教を進めていかなければならなかった。

もともと彼女は、性の欲望らしいものを感じると、自らイチジクエネマをしてトイレでオナニーにふけり、それを抑えてきたということである。ということは、浣腸自体は好きなのであり、また別の言い方をすれば、実はMとしての本性をしっかり持っているということになる。

そうであるならば、訓練の仕方によっては浣腸後の我慢もできるようになるはずである。そう読んだ私は根気強く慎重に彼女の施浣調教を続けた。

彼女は全裸にするとかなりむっちりとした肉付きである。私好みのプロポーションと言っていい。。特にお椀を伏せた形の乳房がなんとも言えぬ風情であった。施浣調教の際、私はかつての女性とのプレイで考案した「テイキングポーズ」を行なって、そのヌードを心ゆくまで観賞したものである。

すなわちエネマ液注入後、立て膝して右足のかかとでアナルに押し当てたティッシュを押さえた姿勢を彼女にとらせ、上半身はヌードグラビア集の中から選んだ卑猥なポーズをとらせるのである。

排泄感の辛さに喘ぎ、それでも懸命にポーズを取っている恵美子に、「大きく息を吸って、止めて、そのままじっとして、よーし、元に戻って」などと命じて遊ぶのは素晴らしい快楽であった。彼女がポーズを取るのにぐずついたり、ためらったりするような場合には、彼女の股の辺りに針をつきつけてうながしたほどである。
(続く)


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