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人間10人いれば、その風貌も性格も10通りあるように、一口にM男性といってもそのSM観、M嗜好は千差万別。マゾヒストとしてそれぞれが様々な思いを持ち、SMプレイにその人生の一部(あるいは全部?)を捧げている。
「傷男」さんは、若い頃に観た映画や雑誌の残酷シーンに魅了され、自らの体を痛めつけることに悦びを見出す。現在はSMバーなどでS女性に傷つけられることが無上の楽しみ。全身に残る無数の傷跡はマゾヒストの勲章なのかも。 |
★映画の残酷シーンに興奮 このところ、急激にM男としての頭角を現わしてきている(註1)のが傷男(きずお)さん。その名の通り、全身傷だらけだ。言葉で説明するよりも、写真を見ていただいた方がその圧倒的な存在感は伝わるだろう。だったらインタビューなんてしなくてよさそうなもんだが、どうしてこんなことになってしまったのか、聞かないではいられない。 「こうなったのは最近のことです。それまでは普通にロウソクとかムチをやっていただけだったんですよ」 期間が短いだけに、「どうしてここまで」といよいよ不思議に思う。 「平成元年までは静岡にいました」 変態が多いと言われる東海地区出身だ。 「でも、静岡にはなんにもない。静岡市内には以前トルコ風呂が一軒あった程度で」 たぶん今はソープランドもないはずで、ヘルスが一軒あるだけだと思う(註2)。こういう街だからこそ抑圧が強まって、マゾを量産するようだ。 「最初のきっかけは、映画だったんです。『ベン・ハー』とか、歴史物の大作映画ですね。中学の頃、よくおふくろが映画館に連れていってくれて、奴隷が引き回されるとか、公開鞭打ちといったシーンが出てくる。ストーリーはわかってないんですけど、そういうシーンだけははっきりと覚えている」 『ベン・ハー』は1959年制作で、日本で公開されたのは翌年のこと。傷男さんは現在62歳なので、この映画が公開されたのは高校を卒業した年だ。傷男さんの記憶は曖昧で、そういったいくつかのシーン以外何も覚えておらず、『ベン・ハー』を中学の時に観たと錯覚している模様。 「ホントにそれ以外は何も覚えてませんね。うちに帰って、そういうシーンを思い出して自分で再現してみるわけです。道具がありませんから、物差しで自分のお尻や足を叩いたり、電気コードで体を縛ったり。一人で留守番することがよくあって、中から鍵をかけるので、絶対途中で開けられることはないから、思う存分やってました」 ――まだSMのことを知らないわけですよね。 「知りません。映画のイメージだけです。テレビの時代劇で、遊女が折檻されるようなシーンが出ると、やっぱりその部分にだけ惹かれましたね」 ――それ以外のところでも、マゾの兆候はありました? 友だち関係とか。 「ないです。子どもの頃は内向的でしたね。人前に出るのが苦手で、先生が『この問題がわかる人は手を挙げて』と言っても、手を挙げなかった。答えを聞いて『合っていた』って自分で確認するだけ。部活もしてなくて、学校が終わるとすぐに家に帰っていた。親戚の家に行くと、『おとなくしていい子』って言われるから、自分であえて殻に籠もって、いい子をやっていたようなところもあって、こうなったのは、その反動もあるのかもしれない。でも、特に変わったところがあるわけじゃなかったですよ」 ――映画でそういうシーンを観てなければこうはなっていなかった? 「本当にそう思うんですよ。上に兄貴がいるんですけど、兄貴は剣道をやっていて、わりと外向的だったので、映画に行く時はいつも私とおふくろの二人だけでしたね。それがいけなかった」 ――おかあさんも公開鞭打ちのシーンで興奮したのでは? 「そうだったかもしれない。同じ頃、おふくろの箪笥に鍵のかかっている引き出しがあって、なんだろうと思って鍵を開けて中を見た。エロ本が一冊だけ入っていた。中に侍が女を監禁するような話が出ていた。あとは普通のエロ本なんですけど、おふくろもそのページを見ていたのかも。親父は真面目で厳格で、親父が持っているエロ本は見つけたことはありませんでしたね。高校に入ってからは、本屋で『奇譚クラブ』(註3)を立ち読みするようになりましたけど」 ――またイメージだけを持ち帰って。 「自分では想像できないくらいのひどいことがいろいろ書かれていて、相変わらず道具は何もないですから、靴べらとか、家にあるもので体を叩いてました。痕が残るくらい強くやってまして、その痕を見るのがまたよかったんですね」 早くも現在の傷男さんに通じている。しかし、まだまだ今に至るまでは長い。 註1:取材が行なわれた2004年8月頃の状況です。 第2回に続く(「スナイパーEVE」vol.14より再録/2004年8月頃取材) |
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