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人間10人いれば、その風貌も性格も10通りあるように、一口にM男性といってもそのSM観、M嗜好は千差万別。マゾヒストとしてそれぞれが様々な思いを持ち、SMプレイにその人生の一部(あるいは全部?)を捧げている。
「傷男」さんは、若い頃に観た映画や雑誌の残酷シーンに魅了され、自らの体を痛めつけることに悦びを見出す。現在はSMバーなどでS女性に傷つけられることが無上の楽しみ。全身に残る無数の傷跡はマゾヒストの勲章なのかも。 |
★東京のSMクラブで初体験 「30歳になるかならないかの頃に、雑誌を見ていたら、SMクラブの広告が出ていて、東京まで行きました。最初は六本木の某クラブでした」 SMクラブの広告が雑誌に出始めるのは1965年前後のよう。昭和40年前後だ。当初はサークルスタイルだったが、それから5年もすると、クラブ形式が確立。ちょうどその頃のことである。 「女王様の名前までは覚えてませんけど、一番最初から逆さに吊られて、なんてところだって思いましたね」 当時は、そのくらいのことは平気でやってしまう女王様とM男ばかりだったのだろうし、その女王様としても、傷男さんの溜まりに溜まった妄想に気づいたのだろう。 「二番目に行った別のお店で、20本くらい針を刺されたんですよ。それもまたすごいなと思いましたね。ところが、針を抜いてしばらくしてから、他のことをやっている時に、私の体を見て、『あ、まだ1本残っていた』って言うんですよ。それで恐くなった。そのまま忘れていて、体の中に入ったら大変じゃないですか」 私も小さい頃、よく親に「折れた針が体の中に入ると血管を回って心臓に刺さって死ぬ」と脅されていたから、実際にはそんなことはないとわかっても、折れた針が体内に入るイメージはすごく恐い。 ――わざと脅したのでは? 「いや、あれは本当に忘れたんだと思う。それからは針がダメになって、ずっとNGにしてました」 こうして「普通にロウソクとかムチをやっていただけ」という冒頭の言葉につながる。 「ムチで痕が残ることはありましたけど、当時は妻も子どももいましたから、体に痕が残るようなことはまずいということもありましたし。だから、結婚してからも、部屋で一人で自分の体をいたぶるようなことを相変わらずしてましたね。ロウソクを天井に吊して、自然に垂れてくるようにしたり。ただ、私は二回結婚して二回離婚していまして、二度目の妻とは少しだけそういうことをしたことがあります。妻を全裸にして車に乗せて、縄で縛って駐車場に置いてきたこともあります。でも、それ以上エスカレートはしなかった。彼女は抵抗しなかったので、その気はあったんだと思うんですけど、私はやってあげるんじゃなくて、そういうことをして欲しいわけじゃないですか。でも、Sの気はまったくなかったみたいなので、私の方がそれ以上する気にならなかった」 ――離婚はそれが原因では?(笑) 「いや、それとは関係がない。今はまったくしませんけど、当時は普通のセックスも楽しめていて、子どももいますよ」 むしろ離婚によってマゾの欲求が加速したと言っていいようだ。静岡にいる時代は、時々行く東京のSMクラブで発散しており、うまくバランスがとれていたのだが、そのバランスが徐々に崩れていく。 第3回に続く(「スナイパーEVE」vol.14より再録/2004年8月頃取材) |
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