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人間10人いれば、その風貌も性格も10通りあるように、一口にM男性といってもそのSM観、M嗜好は千差万別。マゾヒストとしてそれぞれが様々な思いを持ち、SMプレイにその人生の一部(あるいは全部?)を捧げている。
「傷男」さんは、若い頃に観た映画や雑誌の残酷シーンに魅了され、自らの体を痛めつけることに悦びを見出す。現在はSMバーなどでS女性に傷つけられることが無上の楽しみ。全身に残る無数の傷跡はマゾヒストの勲章なのかも。 |
★傷つけられる悦びに目覚める 「平成元年に東京に出てきたんです。東京に来てからも5、6年はSMクラブに通っていました。その頃からSMバーに行くようになって、だんだんクラブには行かなくなりましたね」 傷男さんは60歳で仕事を辞めて、年金暮らしになった。このことと直接関係があるわけではないが、この頃にM人生が大転換する経験をする。 「SMバーにいた女の人が、キリでカリカリと私の体に名前を刻んだんです。自分ではやりたいことを抑えていた感覚はなくて、自分がそんなことをやるとは思ってなかったし、やれるとも思っていなかったんですけど、こんなこともできるんだなって実感した」 ここで自分の才能に気づき、自分の体を自分で傷つけ、その痕を楽しんでいた10代の頃の傷男さんの性癖がエスカレートしていき、ビデオや雑誌にM男として出演。 これが後戻りできないくらいに決定的になるのはつい最近のことだ。本誌にも登場してくれた花真衣さん(註1)のショーに出演したのだ。2003年11月、大宮でイベントが行なわれた際に、花真衣さんが本誌編集部に「ハードなことができる人はいないか」と連絡をしてきて、傷男さんを紹介。 「5日間あって、もう一人のM男と二人で行って、真ん中の日だけ自分は休んだんですけど、あとは全部出た。ハードなことはもう一人のM男さんがやってくれて、私は縄を運んだり、たまにムチを打たれるくらいだったんですけど、花真衣さんが『あんたもなんかハードなことをやろうよ』と言い出したんですよ。『焼きごてと刺青かどっちがいい?』と彼女は聞いてきた」 選択の幅が狭すぎるような気がする。 「焼きごてはとてもじゃないけど無理だと思って、蜘蛛の刺青をステージで入れていただいたんです」 傷男さんに「好きな傷跡はどれか」と聞いたら、いくつかある中で、真っ先に挙げたのがその刺青だった。傷跡ではないわけだが。 「やっぱりきれいですよね。好きなのはきれいなのと、むごいのです」 単にきれいなだけではなく、第二のM男人生の証でもある。 註1:伝説のSMクラブ、中野「クィーン」で女王様デビュー後、その見事な刺青をいかし新東宝で女優としても活躍。現在も兵庫・西明石の自身のSMクラブ「フェニックス」を拠点に全国各地でSMショー等も展開中。 第4回に続く(「スナイパーEVE」vol.14より再録/2004年8月頃取材) |
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