文=横田猛雄
絵=伊集院貴子
【精液採集】
その日の午後四時、私や玉置を含めて十数人の同級生が石塚さんのお婆さんの隠居部屋に集まりました。
石塚さんの家は米屋で、仲町通りの安太郎の家の二軒置いて東隣です。
この通りは老舗ばかりで皆間ロは狭くて奥が気が遠くなる程深い、いわゆる鰻の寝床と呼ばれる京の街風の造りで、奥に広い中庭があり、土蔵もあり、一番奥の竹林の脇の離れ屋が八十五歳になる石塚さんの曾祖母(祖父の母)の隠居部屋で、実は寺町通りの櫻井病院の診察室とこことは、土塀一つで接しています。
視界はさえぎられてはいますが、音は筒抜けに聞こえる近くなのです。
曾孫の同級生らが沢山来てくれたというので、お婆さんは大変喜んで、上等の和菓子やお茶を出してくれましたが、耳が遠くて、何を言っても神様のようにニコニコしている老人をだしに、私達には別の目論見があるのです。
おお、やっぱり……、始まりました。
ドシン、バタン、ヒイヒイと、豚のような悲鳴がして、聞き耳を立てるまでもなく手にとるようにはっきりと。
「この非国民めが、上二人は頭もようて真面目やったのに、ええのは戦争で死んでしもうて一番カスが残った言うてお前のお父っさん泣いとったぞ、親が年寄ってお前が今日明日にもお寺(住職)継がんならんちゅうのに極道め、まだ眼が醒めやんのか、県の教育委員会に知れたら首やぞ、馬鹿者めが!」
と言う櫻井先生の声に続いて、
「この田吾作は、赤旗振って、アメ公出て行け、ソ連は人類の天国やなんて寝言いうてますのや、私らは満州でソ連兵のする事見てきてますが、掛け算や割り算は誰も知らへんし、平気でどこへでも大便して、その尻も拭かへんのです。
日本人から腕時計奪い取って、一人で十も十五も両腕に嵌めて、止まったのから次々棄ててますのや、時計の巻き方も知らんこんな畜生のような奴らに戦争に負けたとは、もう情け無うて泣けてきました。
そんなソ連が何で理想郷や、共産主義万歳やて頭が狂うてますやないか、性根叩き直さなあきませんぞ!」
これは婦長さんの声です。
そうやって十五分くらいドシンバタン凄い音がして、一きわ高いテスティスの絶叫が聞こえてやがて低いすすり泣きが始まりました。
「馬鹿者めが、腕の一本、肋の二、三本折ってもええから性根叩き直してやってくれてお前の両親から頼まれとるんじゃ、あんまり年寄った親泣かすな、この極道者めが、そうやこいつ銭湯行って人にうつすとあかんから、陰毛全部剃って揮の形に赤チンべっとり塗っといたれ前もうしろも、松田君どこや、見習いの松田君に実習さすのに、こいつなら少々痛い目に逢わせてもかまわんから、じっくり実習さしたってくれ、採集した血液や精液はあとで調べるから……」
とどうやら院長先生は退出するようです。
松田君というのは今年中学を出たばかりの子で、見習い看護婦として昼間この病院で働き、夜は少し離れた隣村にある国立の結核療養所に併設の准看護学院に通学している子で、テスティスの教え子でもあるのです。
剃毛とか採血とか色々むつかしいことをしているようでしたが、精液の採集という婦長さんの声に、同級生の女の子達が突つき合いして眼で笑い合っています。
在方の大百姓の子らの中には、家が畜産をしている所が多く、いわゆる“種取り”とか“乳絞り”とかいって、豚や牛のお尻の穴から手を突っ込んで、前立摂護腺を指先で刺戟して精液を採集するのを見て知っていたからです。
彼女らニヤニヤ笑っています。
やがて婦長さんにピシャリとお尻を叩かれながら採集されているんでしょう。
テスティスの絶え入るようなくぐもった喜悦の声が、間をおいて四回も聞こえてきました。
どうやら実習として様々な体位での精液採集実験が行なわれたようです。
(続く)
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