文=横田猛雄
絵=伊集院貴子
性器だけがセックスの道具であると考える人は貧しい。肛門こそはヴァギナに優るとも劣らぬ快感の源泉であり、熱心に鍛えれば鍛えるほど、より大きくより豊かな性の悦びを与えてくれる。論より証拠まずは、この人を見よ。
【フィストファック】
数回のピストン運動によって道をつけたことに安心した私は、中に入っている春子ちゃんの手で直腸内壁をぐるりとなで廻してもらいました。
「どんな感じ?」ときく私に、春子ちゃんは「うん柔らかくって温かくって、丁度牛肉の中に手突っ込んでるみたいよ……」と言いました。
五本の指を揃えてすぼめた彼女の中指の先は私の直腸とS字状結腸との境界にあり、一部S字状結腸にまで入り込んでいるようです。
「あれ、お兄さんもう中指の先の方、うんと奥のもう一つの穴越えてるのよ……」と言っていましたから。
手首の貫通も一番の難所である最も太い指のつけ根の部分を通過すれば、手首部分はそれより細いので、掌が直腸内に納まるとアヌスはそれ程苦しくなくなります。
これまでの姿勢は仰臥して両脚を胡座に組んで上に上げ、自分でその両足首を握る、つまり肛門が天井を向くポーズだったのですが、ここで四つん這いになり改めて連続ピストンをしてもらいました。
春子ちゃんは手の指を全部伸ばし揃えて、それをすぼめ、つまり親指が中指の腹に当るようにして掌の太さを最小限にちぢめると、たっぷりと乳液を付け直し、一回、二回と数えながらズボーッ、ズボーッ、ブス、グチュッと深く埋没し抜去し、300回そうやってくれました。いくら弛緩しているとはいっても指の附け根が通過する時はクリクリッというような感じで、とても締まるので力がいるそうで、疲れてしまってそれで休んだのです。
しばらくして今度は入れた手を中で拳骨に握ってもらって、そのまま抜いてもらいました。少しきつく、四つん這いの私は後ろへ引っ張られつつ、それでもやっと抜けました。
今度はその拳骨を外からズブッと突っ込んでもらいました。丸い拳もズブッと受け入れるようになりそうやって連続50回のピストンでさらに拡張してもらったのです。
そうやって色々なポーズてピストンしてもらったり中をこね廻してもらったのですが、仰臥して掌で直腸の中の壁を、招き猫がオイデオイデするように指を曲げて掻き廻してもらった時、あっと言う間もなく私のオチンチンの先からは尿が噴出しました。長々と、自分で出そうと思っていないのに洩れるように勝手に出てしまったのです。
最後は仰臥した私の顔の上に逆向きに跨がった春子ちゃんのあそこをクンニリングスさせてもらうのです。
春子ちゃんはトイレでしゃがむようなポースで私の顔に座り、上体を前かがみにすると上げた私の両脚を腋に挟んで屈曲させ、彼女の前にきた私のアヌスに、まるで園芸用のスコップを植木鉢に突っ込むように一気にその右手の揃えた相先を差し込み、そのままズンと挿入し、クリクリと米をとぐように掻き回しながら、左手で私のペニスを握り、しごいてくれるのです。
それが私のアナルフィストファックの初体験で今(※初出は1990年1月発売S&Mスナイパー3月号)から10年前のことです。この日私は世界中のどの男のよりも巨大な男根ともいうべき春子ちゃんの拳骨で犯され、貫かれて女にされたのでした。
春子ちゃんは当時名古屋では一、二と言われ週刊誌にも時々載った優秀店(若い娘ばかりでサービスよく料金も高くない)であった中村区日吉町の「フクトルコセンター』にいたのです。
フクトルコセンターはソープランドフクと改名しましたが、昭和62年に経営者死亡のため廃業し、春子ちゃんはフクの店のすぐ隣の同業でこれも優秀店の『ニュー令嬢』に鞍替えし、多分今も働いている筈です。
私がフクトルコセンターへ行き始めたのは昭和48年で、なじみの女の子が次々とやめて6人目にめぐり逢った子で、最初の時からフィストファックのことを説明し、同意してもらって実行に移ったのです。当時アメリカ映画『カリギュラ』が週刊誌上で大変な話題を呼んでいました。皇帝力リギュラが衛兵隊長を全裸四つん這いにさせ、クリ−ムを塗りたくった拳骨をその尻の穴に強引に突き入れるシーンは当時凄い迫力でした。
初対面で、いきなり「君の手を手首まで私のお尻の穴の中に突っ込んでほしい」と言う私に、「へえ、そんな手が本当に入るかしら?」と言いながらも嫌な顔をせずやってくれたのが彼女でした。次回はその初回のことをお話します。
(続く)
上へ |
カテゴリ一覧へ TOPへ |
■広告出稿お問い合わせ ■広告に関するお問合せ ■ご意見・ご要望 ■プライバシーポリシー ■大洋グループ公式携帯サイト |