文=横田猛雄
絵=伊集院貴子
【学校で】
赤痢騒動は五日で片がつきました。
私は登校すると皆に質問責めにあいました。
「検便でどうやってやられるのや?」
とか、
「ガラス管突っ込んで採るて、あの試験管をケツの穴から入れやれるのか?」
とか、
「ケツの穴出したらチンボもオメコも丸見えやんかあ、助平な検査やなあ」
とか、教室中大騒ぎで、私が検査のやり方を詳しく話してやると、
「かほるさんもそんなことしやれたんか?」
と、私と同じ地区の女生徒の顔を皆が一斉に注目したものですから、かほるさんは、
「いややわ、そんな助平な、嘘にきまっとるやんか、ちっちゃいガラスの棒を一寸お尻から入れやれるだけで、すぐ終わるし、人の見やれやん所で保健所の人に採られるだけや!」
と言い訳をして真っ赤な顔をしていました。
すると一身田(中学校所在の北区)の遊郭の子の長井直次が、
「わいら、嘘やぞ、おれちゃんと見たことあるで、よう知っとるけどなあ、一人ずつ大きう足拡げてこうやって身体を前に倒して自分の手で自分の足首つかんでケツ出して、うしろから試験管突っ込まれてババ(便)抜き取られたんやぞ、それでも採れん者はケツの穴からゴムの手袋した手入れてこうやって中をこね廻されてババが出るまで掻き廻されたりして、出やんだら出るまで家へ帰してもらえやんだんやぞ、やあ横田は女にケツの穴から試験管突っ込まれて、みっともな、チンボもキンタマも見やれて恥すかし……」
とふざけて検便ポーズをして見せ、わざと極端に背中を反らせて尻をくねらせると、長井の仲良しの赤塚という、これも悪ガキが、その背後から両手のひらを組み合わせてその両示指だけを合わせて伸ばし、その指先を長井のお尻の穴あたりにズンと突き立てたので、長井は前にタタッと突んのめり、
「こらわれ何すんのや!」
と、怒りました。
当時まだ赤線地帯というのがあり、長井は遊郭の息子で、当時は遊郭や飲食店では毎年夏になると定期的に、あの赤痢の検便と同じように強制的な方法での検査があり、彼はよく自分の家の抱えの従業員(女郎のことを当地ではオヤマさんと言いました)が座敷で検査されるのをこっそりと覗くのを楽しみにしているのでよく知っているのです。
一身田という町は浄土真宗高田派総本山専修寺を中心に発達し、本山と塔頭という寺々を中心に信徒の住居がそれを取り巻き濠を廻らせた寺内町で有名ですが、その濠から橋を渡った外側にある街道沿いの街が通称「橋向い」と呼ばれる伊勢地方屈指の遊郭のあることでも知られた町で、同級生の中にも何人か遊郭の子がいました。
それにしても長井が
「試験管をケツの穴から突っ込む」
と言ったものですから、教室の全員が、本当に試験管のあのロの方をお尻の穴に突っ込むのだと信じて、どれたけ私が鉛筆くらいの細いガラスの棒やと言っても、女生徒すら誰一人信じてくれないので、同地区のかほるさんと二人して当分はとても恥ずかしい思いをしたものです。
皆は試験管のロにスポッと一杯にウンコが詰まる様がイメージ的によく理解出来たのでしょうが、皆が私のことを
「こいつら検便でケツの穴から試験管突っ込まれたんやぞ!」
と教えるものですから、全校生徒にそう思われてしまい、同じ地区の七人はそれから三月くらいはそうやってはやし立てられたものです。
(続く)
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