文=横田猛雄
絵=伊集院貴子
【デン助の恐怖】
測定検査が終わって急いで服を着ている私に先生は、
「横田、君はあの美濃屋の大ギン知っとるやろう? 狸の置物みたいな大きなキンタマぶら下げとるあの子を……」
と言いました。
美濃屋は本山の前の寺町通りの大きな味噌屋のことで、そこに三つか四つくらいの男の子がいるのですが、その子のキンタマがとても大きくて、燗徳利を二本並べてぶらさげたみたいで、そのためあまり走れないでよく転んだりしています。
当時は今と違って、子供の多い家庭では夏場になると、幼児に服を着せず素裸にして遊ばせているのが多く見られたのですが、この美濃屋の子もよく素裸で表通りに面した店の入リロに立っていたりし、誰か人が通るとその人に向かって、
「阿呆!」
と言ってよたよたと家の中へ逃げ込んだりし、私なんかも下校時に何回もこいつに、
「阿呆!」
と言われていましたが、勿論落合先生も同じように言われていた筈です。
「あの大ギンはなあ、キンタマだけ大きいてチンチンは小さいやろう? あれは脱腸でなあ、腸が下ってキンタマの袋の中へ入ってしもとるから大きいのや、あの子ももうそろそろ手術せな、あのまま大人になったらみっともないことになるわさ……、それよりデン助の方がもっと凄いわ、あれはチンチンもキンタマもほんまにでっかいんやから……、どうや横田、君もデン助みたいになってしもうたらえらいことやぞ、もう学校も辞めてああやって日本中廻らんならんことになるぞ、ほんまにかわいそうやけと仕方ないわさ」
先生は私が一番恐れていたことをズバズバロにするのです。
ああ、どうしよう……。
デン助というのはこのあたりの人なら誰もが(幼児でも)知っている奇形児なのです。
この町は前にも言いましたが、浄土真宗、高田派総本山専修寺を中心に発達した寺内町で、その近郷近在には多数の末寺があり、勿論私の家もその檀徒ですが、宗祖親鸞聖人の命日に至る一月九日から十五日の夜にかけてを根恩講、通称一身田のお七夜として町が最高のにぎわいを見せる時で、そのにぎわいはとても今の浅草観音や成田の不動さんのような小さなものではなく、万博やオリンピック並みの人出で近鉄は寿司詰めになるわ、町の通りは都内の朝の山手線並みの人の波でとにかく凄いにぎわいで、本山の前の通りや仲町通りには千に近い数の露店が出るのです。
その中に毎年、見世物小屋の一座が昔から必ずやって来て誰もがよく知っているのですが、その一座の一方のスターがデン助なのです。
デン助は身体は小学生くらいで背がとても低く、そのくせ局部だけが異常に発達(?)をしていて、とにかく大きいなんてものではなく、褌で包んだそれはまるでスイカかカボチャを風呂敷に包んでさげたくらいあって、それがインチキでない証拠に褌の中でグニャグニャ動くのです。
(続く)
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