文=横田猛雄
絵=伊集院貴子
【解放されて】
あさっての土曜日の午後、写真を撮るから家に来るようにと言われてその日は解放されました。
先生の家は本山・専修寺の東側にあるお寺の離れで、私が自転車でいつも通っていてよく知っている所です。
先生は私が服を着る時、
「横田! まだ病気かどうかはっきり判った訳やないんやから、あんまり心配せんでもいいのよ……、そやけど見っともないから誰にもこのことは話したらあかんよ、あんたはまだ早う分かったから病気やったかて先生が付いとるからそんなに心配せんでも手遅れになるようなことはさせヘんから……」
となぐさめてくれました。
その日は家に帰ってもショックで、夕食も砂をかんでいるようで、味もなく、母からも、
「どこぞ悪いのか?」
と言われました。
明くる日一日は私にとって、執行日を言い渡され、あと一日しか無い死刑囚のようなもので、朝新聞を取りに行ってもお姉さんからも、
「猛ちゃん、あんたどこか悪いのとちがうか?」
と言われ、
「明日の土曜日はええよ(婿さんが宿直でお姉さん一人)」
と言われても、ぼんやりしていて、
「あんたしっかりせんか、明日オッケイよ!」
といきなり睾丸をズボンの上から掴まれて念を押されるような始末でした。
学校へ行っても一日ぼんやりしていました。
級友の玉置が何かとちょっかいをかけてきますが、私はこの王置みたいな阿呆がそんなおかしな片輪になってチンチンが鉤の手に曲がってしもたらいい気味なのに、なんて俺がそんな……と思うと腹さえ立ってきよした。
土曜日の朝、家の軒の所でお姉さんにズボンの前の所をギュッと握られて、
「今晩よ!」
と言われてもうわの空で生返事をしていました。
母に、
「何ぼんやりしとんの、片付かんから早う御飯食べてしまわんか!」
と叱られても、反対に、
「何言うとんのや親のくせに、こんな片輪に産けてくれて誰も頼んだおぼえあらせんわい!」
と叫びたい気持ちでしたが、そんな事言うたら大変です、母はびっくりして、
「何やて、猛雄それほんまか? 一遍かあちゃんに見せてみい!」
なんて言われたらえらいことです。
何としたらこのまま、誰にも知られずに、これ以上大きくなったり変形したりしないで済ませられるか、そのことばかりしか頭にありませんでした。
(続く)
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