文=横田猛雄
絵=伊集院貴子
【かわいそうな安太郎】
いよいよ放課後です。
海岸の方へ帰る私達三人が寺町通りを自転車で、わざとゆっくり行くと、美濃屋の紺の暖簾の陰から覗いていたあの安太郎が、まだ暑いので素っ裸のまま出てきて、私達に、
「阿呆、アホウ、ベロベロベエ」
と言って赤んべをして見せたのです。
私達は手筈通り、美濃屋の前を七〜八メートルほど行き過ぎてから止まると、三人声を揃えて、
「安う、やすう言うけども〜〜ケッツへババ、挟んで〜〜歩くたんびにグッチャグチャ」
と歌いました。
これはこの辺の子供達が喧嘩する時、相手が腹立てるように言う囃子言葉で、安太郎だから安になるのです。
案のじょう安太郎は幼児ながら大変怒って出てきました。
そこで極めつきのもう一曲、
「ヤスウ山へ登って〜〜木でキンタマ引っ掛けて〜〜オカヤン早う来てとってくれ……」
この歌は名前にヤスという音の付く子を馬鹿にする時歌う囃子言葉で、正にこの安太郎の為にあつらえたようなものです。
これを聴くと、普段は内弁慶で、いつも暖簾をギュッと握りしめて、それ以上は道の真ん中までは減多に出てこない安太郎が、あの大きなキンタマをぶら下けて、大人の下駄を履くというより引き摺りながら、ヨタヨタと出て来たのです。
そこをすかさず、唯一人反対側にわざと遅れて自転車を止めて、他所の店の看板の脇にかくれていた王置が、抜き足差し足で忍び寄ると、道の真ん中で東向いて我々の嘲りに対して猿のようにイキリ立っている安太郎の背後から羽交い締めに抱きあげたのです。
その時のびっくりした安太郎の顔今でも忘れませんが彼にしてみれば心臓がデングリ返る程の驚きと恐怖たったのでしょう。
「あ痛あ……、痛いわあ、痛っ、痛っ、助けてくれえ、わいら早う来てくれ!」
響き渡った悲鳴は何と、級友玉置の泣き声だったのです。
安太郎は殺されると思ったのでしょうか、それとも人さらいに捕まったと思ったのでしょう、あの頃はよく大人が子供に、
「言うこときかん子は人さらいが捕まえに来て、連れてかれてサーカスに売られるんやから」
と言ったもので、この一声で子供達は平素どこか背後に四六時中怖い人さらいの眼が自分を狙っているんだという恐怖感を深層に内在させていたものですから……。
幼い安太郎の脳裡にも、きっと怖い者に捕まって汽車に乗せられて遠くへ連れられて行く自分の姿が一瞬横切ったことでしょう。
(続く)
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