文=横田猛雄
絵=伊集院貴子
【あ痛あ……】
担任の岡倉君子先生は今は結婚して少し離れた町に住んでいますが、実家はあの美濃屋の東隣の化粧品、小間物店なのです。
屠所へ引かれて行くような道みち、岡倉先生は、
「ああ、よりによって私の担任しとる組の子があの安坊の脱腸いじくるやなんて、ほんまにもう、どうもならん子やなあ」
とため息をついていました。
美濃屋の暖簾を六人が潜って土間に入ると、気配で奥からとび出して来たのはあの安太郎で、彼は私達四人の顔を見ると、
「キャッ」
と叫び又奥へ逃げ込もうとしたのですが、足がもつれて前へペタンと転がりました。
否、足がもつれたと言うよりも自分のあの大きな袋が邪魔になったと言うのが正しいでしょう。
以前でもよくこの子が入リロの敷居をまたぐ時、
「よっこらしょ」
という風に自分の袋を、沢庵漬けの石を持ち上げるように抱えているのを見ましたし、時たま隣の炭屋の倉庫の軒下にしゃがんでウンコをしているのを見ることがありますが、しゃがむと股の間からあの袋がダランと垂れ下がって地べたに着いて、背後から見ると誠に珍なる絶景です。
そんな訳であわてて自分の玉の袋にケツマズイて転んだ彼の前にお婆さんの姿が見えたものですから、彼は必死の勢いで這って婆ちゃんに抱き付きました。
可愛い孫を泣かした憎き悪童共を眼前に、婆ちゃんは憤怒にふるえ、
「こいつらや、きんのうちの安ちゃん泣かしたんは!」
と私達をにらみました。
ロから泡を吹いてワナワナふるえながら怒っている婆ちゃんに校長先生は私達四人を前に並べると一人一人首根っこを押さえて最敬礼をさせ、
「もう二度とあんなことはしませんから御免して下さい」
と誓わせ、何と私達の頭の上に一つ一つ、ハーッと息吹きかけたサザエのような拳骨を喰らわせたのです。
その痛かったこと、だけど婆ちゃんはまだ気が収まらないのか、私達の担任に向かって、
「何や君ちゃん、あんたが付いとってうちの安ちゃんに何ちうことさせるのや、かわいそうにこの子昨夜は何回も思い出すのか跳び起きて泣いたりして」
と言いました。
すると岡倉先生はいきなり、私達の前に廻ると、まるで男のように、私達四人に物凄い勢いの気合いの入った往復ビンタをとったのでした。
先生は日頃から、
「終戦後の日本人はたるんどる、私達の女学校時代は戦争に勝つために命がけやった、女でも朝は薙刀をやって、それから駆け足で工場へ行って戦闘機の部品を作って、腹が痛いて言うても許されなかったものや、今の者は皆タルンどる」
と言っていましたが、このビンタで先生がロ先だけの人間や無いことがよう分かりました。
余り激しい勢いだったので婆さんは完全に飲まれてしまってオロオロしています。
そこへ奥から出て来たのはこの家の若奥さんでこの人が安太郎の母親です。
安太郎のお母さんは比較的冷静で、校長先生に、
「もうよろしいんやわ、うちの安太郎かて普段から道通る人の顔見よなら阿呆阿呆言いますでお兄ちゃんらに一寸はいじめられても仕様ありませんわ、それより先生、わざわざこんな所まで来てもろうて恐縮です」
と、そして、
「この子は着物着せてもすぐ脱いで放りますのでかないませんわ」
と言いました。
校長先生に拳骨もらって皆涙があふれていましたが、岡倉先生からそれより凄い往復ビンタをもらってまっ先に玉置が泣き出し、それにつられて全員がヒイヒイ泣きました。
(続く)
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