文=横田猛雄
絵=伊集院貴子
【土曜日のレッスン】
卓球やソフトボール、器楽などのクラブ活動が出来てにぎやかになった土曜の午後は、私にとってはもっと真剣な個人レッスンが待っている楽しみの時間です。
そうです落合先生の家には同居人の上田友子先生も早く保健所を退庁して来て昼食をこしらえて私を待っていてくれるのですから。
昼食を食べながら落合先生は、おかしくてたまらぬといった顔をして、
「横田のおかげで私らもえらい目に遭うたわ、校長先生に叱り倒されて走らされて、岡倉先生は踵の低い靴履いてたからええけど、私らみんなハイヒールやったで、あんな九百メートルも走り廻らされて増田先生は靴脱いで両手で持って走っとったし、堤先生も私も靴の踵が折れてどこやら飛んでってしまうし、結局皆はだしで走って、ほんまに災難やったわ、朝っぱらから……」
と私の鼻をチョンと突きました(当時接着剤としてセメダインが初めて登場してまだ二〜三年で、以前は工作用接着剤としては昔から膠が用いられていました。
セメダインで、とれた踵を付けてもすぐとれてしまって結局先生らのハイヒールは新品に買い替えられたようです)。
「ヨコネて何ですか?」
という私の質問に対して上田先生は、
「まあこの子は、食べとる時に何ていうこと言うのや」
と顔をしかめましたが、落合先生は、
「友子さんそんな事言うてもこの子は知らんのやでしょうがないわ」
ととりなしてくれて、本を持ってきてヨコネの症例写真を見せてくれました。
ヨコネとは俗称で、淋病という性病の悪質な症状で、不潔な性交渉によって感染するということで、してみると竹野先生はきっと不潔な性交をしたむくいなのだと思い、落合先生にそのことを確認すると、先生は大笑いしながら、
「あの竹野はどの付く助平やで、よう橋向かいへ女郎買いに行って、朝こそこそ露路を廻って出勤してくるんやけど、人に見られんように顔かくすので、よけい人が誰やろう?
と不審に思うので早うからバレとったんやけど、一遍は格好つけてサングラス掛けて出てきて、眼の前が暗いので裏の木戸ロでゴツンと頭ぶつけて、蹴つまずいて溝へ嵌まってズボンド口ドロにして来たり、橋向かいでは評判や。
こないだは淋病移されてた言うて浜田屋(女郎屋の屋号)へ苦情言うて行ったらしいけと、浜田屋のおかみに、
『うちはこれでも看板かかげて、一週一度はきっちり検診受けて商売しとるんや。
お前の方こそうちの美佐子にリンタ(淋病の蔑称)うつしよって、盗人たけだけしい。
何こいてけつかる
どうせ津の大門(だいもん、津で一番の繁華街)で安いパンパン買うて病気もろうてきやがったくせに!』
と大声で怒鳴られ、
『早う消えんと慰謝料払わすぞ!』
と言われて面白かったらしい。
誰も先生やで表でうわさせんけどあの辺の人は皆知っとる。
それに竹野は私が養護教諭で看護婦資格かあるので、助けてくれ言うて保健室へ来たから患部を見せてもろたけど、丁度今横田に見せたげた写真と全く同じ、立派なヨコネが生えとって、ジュクジュクして真っ赤で痛そうやったわ。
ぺ二シリン打ったら治るて教えたったら、そんな医者でケツ出して注射打たれるのはかなんで、薬塗って内証で治せんかて言うから、そんな虫のええことは出来せんよ、薬でこじらしたら中々治らんようになるし、悪うすると眼や脳に来るよって、あんた、ある日突然に眼の前に星が飛ぶようになったり、急に鳩ポッポ唱い出して裸になってラジオ体操やり始めるようになっても知らんよ、悪いことは言わんな!
て言うてやったら、ああ俺だけ何でこんな目に遭わんならんのや、組合の委員会で大阪行った時、皆で谷九(谷町九丁目)で女(パンパン)ひろうて一晩やっただけやのに、えらいもんもろた……て泣いとったわ」
と意外な深い裏の真実が暴露されたのです。
当時は労働運動が非常に盛んで、私達の近くでも近江絹糸津工場などでは赤旗と赤鉢巻きで戦場さながらの状況が見られ、日本中にそのような争議の嵐が吹き荒れ、農村部の私達一般庶民家庭から見ると、まるで今にもソ連や中共のような革命か起こるのでは? というような世情でしたが、教員の労働運動もそれに刺激されて、ようやく盛んになろうとしている時でしたが、田舎の学校の先生達の中には組合役員になり手がなくて、たいていはこのような程度の低い教師らか、おだてられて労働運動の闘士になったものでした。
(続く)
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