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▼ 大肛門狂時代 お尻の穴のお勉強【89】

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文=横田猛雄
絵=伊集院貴子


久しぶりに落合先生と上田先生に会った猛ちゃん。ドスケベな竹野先生の「ヨコネ」の話で盛り上がります。それはそうと美濃屋の大ギンタマの安太郎です。見かけはみっともない大ギンタマですが、なかなかどうして、実はとてつもない力が隠されているようです。


【安太郎の復権】

ヨコネの話が一段落つくと、話題は先日のあの安太郎のキンタマ事件に移行してゆきました。
思えばあの騒動以来初めての落合先生宅の訪問です。
落合先生も上田先生も、当の下手人のロから直接語られるあの時の情況に改めて二人して突つき合ったり、眉を叩いたりして大笑いに笑い転げました。
私の話が終わると落合先生は、

「ほんまにあの美濃屋の安太郎って言うのは嫌らしい子やわ、あそこ通るといつも人の顔見て、阿呆、阿呆て言うて、竹で後ろからお尻突ついたりスカートめくりに来る好かん餓鬼や、あんまり腹が立つので、ハイヒールであいつのあの大睾丸を何度蹴ったろと思うたことか……。
あの婆さんが又、猫かわいがりにかわいがるもんやで我がまま一杯に育ってしもたんや、いっつも芋ばっかし喰っとるわ……、ほんまに見っともないあれは出来損いや、あんなんは伝助の弟子になって見世物に出るしか使い物にならんわ」

と言いました。
それを聞いていた上田先生は、

「私は通勤の道が違うからその安太郎て言う子はよう知らんけど雪江さん、大睾丸をあんまり軽う見たらあかんよ、あれはラッキーボウイて言うくらいやで、何千人か何万人かに一人の福の者や」

と真面目な顔で話しはじめたのです。
私は先日、新聞のお姉さんの所で、酒屋のお姉さんから『大睾丸の裏門叩き』の講釈を聞き、新聞のお姉さんがお尻の穴をコンニャクで叩かれて、大睾丸の偉力の程を身体で思い知らされたのを実見していますが、まさかここでそのことを話す訳にはゆきません。
子供心にも、落合先生や上田先生が、独占欲から私が新聞のお姉さんや酒屋のお姉さんと関係をもつことを嫌うにちがい無いと判断したから、ここは黙って素知らぬ振りをしながら聞いているのが一番と考えましたので、心中ではわくわく期待感溢れる思いで先生が話し始めるのを待ちました。

怪訝な顔の落合先生に上田先生が語って聞かせたのは、昭和二十三年のことで、それは上田先生がまだ十代の少女時代のことで、私はまだ小学校一年になったばかりです。
上田先生の実家は、皇太神宮のある伊勢市(当時は宇治山田市)に近い、戦中は陸軍の航空隊の飛行場のあったことでよく知られた、明野と言う所のお寺です。
国力の総てを懸けたあの大東亜戦争に無念の敗北を喫し、失意混迷の中にあった我が国に、過酷な占領政策を強いるGHQは、まさにかっての歴史上のどの国の絶対君主よりも絶大な権力をほしいままにし、日本中がそのGHQの指令に戦々恐々としていたのがその頃の世相です。

思えばそれは誠に思い上がったことですが、建国以来たかだか二百余年の新参国が、はるか三千年の独自の文化の華を咲かせた我が祖国日本に、戦勝国面して、未開野蛮国に文化を伝え育んでやるんだと思い上がったアングロサクソンの茶番劇であった訳ですが、敗戦によって自らの美徳にも自信を喪失してしまった日本人には、占領軍はデモクラシーの権化のように映ったのです。

GHQによって学制も六・三・三・四制と改変され、男女共学とし、特に女権の伸張に力が注がれたのですが、それは彼の国の女流学者ベネディクトの著書『菊と刀』による非常に偏見に満ちた日本観(明治以後の日本はもっと近代的であるのに、ベネディクトは現在でも日本が徳川時代と同じように思っている)を基にしていました。

だからGHQは特に女権の拡大に力を入れ学校活動のほかに婦人会活動の推進、フォークダンスの普及など、米人女性指導者の監督のもと、全国各地津々浦々の片田舎まで、かなり徹底して行なわれたものでした(心ある日本人はこれをアメリカの三S政策、つまりSEX・スクリーン・スポーツの三つのSを拡めて日本を再び強国にせぬための愚民政策として眉をひそめたものです)。
そのような時代背景をよく頭に入れて、上田先生の話を聞くことにしましょう。

(続く)


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