『歌舞伎町で待ってます―風俗嬢れもんの青春物語(メタモル出版)』
著者=牧瀬 茜
レビュアー=東京ゆい
きりん・れもんは20歳の女子大生。高給に惹かれヘルスへ入店した彼女は、宗教家、詐欺師、ストーカーなど、さまざまな男性と出会い、翻弄されながらも夜の世界に馴染んでいく……。ウブでピュアなヘルス嬢の青春をフレッシュな感性で描き出す、ストリッパー・牧瀬茜の小説デビュー作。
まず自分のことを話すならば、私は今まで取材の仕事を通して、千人ほどの風俗嬢と接してきた。その中で彼女らと話し、いろいろなことを聞いてきたわけだが、いまだにわからないことが一つある。それはなぜ、彼女たちが風俗の仕事をしているかということ。そしてわかったことは、どうやら彼女たちの大多数はお金に困ってやっているわけではないらしいということだ。
もちろん彼女たちに「どうして風俗の仕事をしているの?」と聞けば「お金がいいから」と、返ってくるだろう。しかし「なぜお金が必要なの?」という質問になると、とたんに曖昧になる。
「ホストに通いたいから」「家のローンを早く払ってしまいたいから」「やりたいことが見つかったときのために貯金がしたい」などなど。これらは彼女たちに比較的多い答えだが、どれも腑に落ちない、と私は思う。
なぜならそのために彼女たちは、知らない男のアナルを舐めまわしたり、ディープキスをしたり、チンポを咥えて精子を口に入れたりしているのだから。もちろんそれ以上に過激なプレイだって存在する。お金を得た先にあるものは、これらをしてまで手に入れたいものなのだろうか?
切実な問題として「子供を一人で育てている」とか、「借金があるから」という子もいるだろう。しかし生活保護や自己破産という制度だって日本にはある。それらを利用して、必要最低限のつつましい生活なら維持できるはずなのだ。
先進国である日本において、風俗を仕事に選ぶ女の子たちは、であるからこそ謎に包まれている。
では彼女たちが、特別で異常な人間か、といえば決してそうではない。人並みに学校は卒業しているし、コミュニケーション能力だってある。昼間の一般職と掛け持ちしている子も多くいるし、英検や調理師免許など実用的な資格を持っている子だっている。そういう子と、風俗を仕事にしていない女の子と、明快な差というのは存在しないのだ。とはいえ、風俗をやれる子と、やれない子とでは、ハッキリと別れている。ではその違いはいったい何なのだろう?
本書の主人公である「きりん・れもん」は、風俗をやれる側の女の子である。「きりん・れもん」は、不良でもなく、男遊びが激しいわけでもない、真面目で大人しいごく普通の女子大生だ。恋愛経験は一度もなく、セックスの経験もまともにはない。しかしある日、たまたま目にした風俗求人誌に心を奪われ、自ら志願して風俗業界に飛び込んだ。そしてその仕事に、やりがいや生きがいを感じていく……。
本書では、この「きりん・れもん」の心情風景が淡々と語られている。「きりん・れもん」という源氏名は、いかにも歌舞伎町の風俗嬢だが、人格を必要とされない風俗の仕事を象徴したネーミングともいえる。そしてその名が示す通り、彼女は仕事とプライベートに関わらず、男に消費されていく。
ゾっとするほど素直で、自己主張の少ない「きりん・れもん」は、現代の若者を特徴付けているようでもあり、そして女という性を極端に表わしたともいえる人物である。
「お金を貸して」と頼まれれば、返ってこないとわかっていても“信じること”や“助けてあげること”を美徳として貸してしまうし、レイプ被害にあっても、世間体を保つために騒ぎ立てたりはしない。突然の男からの呼び出しで、当たり前のようにカラダを求められても、「断る理由がないから」受け入れてしまう。人に嫌われたくない、出来るだけ相手の要求にこたえてあげたい、という気持ちは、人間関係を作る上で「きりんれもん」には何の役にもたっていない。自分勝手に性欲をぶつけてくる男たちを、彼女は常に受け入れている。
その根底には、男への絶望があり、女という性への諦めがある。言うまでもなく不健全であるが、であるからこそ「きりん・れもん」は、お客さんからの「ありがとう」という言葉に、心を癒されてしまうのだ。
著者である牧瀬茜は、売れっ子であるトップストリッパーだ。ストリップのステージも存分に独創的だが、牧瀬茜はこれまでもその枠を飛び越えて、精力的に活動してきた。「チン吉くん」というキャラクターを創作し、“性器は恥ずかしいものというイメージを変え、避妊性病の問題に取り組んでいきたい”という心情の元、人形を作ったり漫画を描いたりもしている。その漫画で表現してきた男女の語らいもまた、本書と同じ、性を取り巻く男女の物悲しい一面なのだ。
もちろんすべてが牧瀬茜の体験ではない。風俗嬢という仕事も、牧瀬茜はしていない。しかしこれらは、牧瀬茜という人間を表わす一部であることは確かだ。女という性を持った生きづらさ、そこから生まれる屈折や矛盾。悲惨だけれど、喜劇ともいえる女のおかしさを描くことに、牧瀬茜はこだわっている。そして主人公たちに共通する「断れない自分」「気を遣ってしまう自分」「からまわりする自分」に悩む姿は、みな牧瀬茜本人とダブって見えるのだ。『歌舞伎町で待ってます』は、牧瀬茜の“あったかもしれない人生”を、「きりん・れもん」に投影して描いているように、私には見える。
風俗嬢をやれる子と、やれない子、この世の女はどちらかにわかれるだろう。しかしどちら側につくかは、実は微々たる違いでしかないのかもしれない。そして「きりん・れもん」の心情は、女性であれば、どこか心当たりを感じられるものなのではないだろうか。
上へ |
カテゴリ一覧へ TOPへ |
■広告出稿お問い合わせ ■広告に関するお問合せ ■ご意見・ご要望 ■プライバシーポリシー ■大洋グループ公式携帯サイト |