文=アニエス・ジアール
在仏カウンターカルチャー専門ジャーナリスト、アニエス・ジアール&フランシス・ドゥドブラー。親日家でもあるお2人が世界のフェティッシュ事情をお届けします。1990年、海外のある研究者が日本の変わった風習「コキガミ」を世界に紹介したのですが……。
それはパリでのことだった。『フェティッシュ・ゴシック』という単発のパーティが開催された。パーティは2008年7月13日に、パリ近郊のヴォー・ル・ペニーユ城という重厚な城で行なわれた。ごく少数の人は知っていたのだけれど、この城は第二次世界大戦下SS(ナチス親衛隊)の統括区域だった。フランスのレジスタンス(抵抗軍)とユダヤ人の多くが、この城の地下で虐殺された。
3日前、フランス人のジャーナリストがSMの加虐行為について、私にインタビューをした。
最初の質問はこうだった。「私は少しばかり面白いものを見ました。(アニエスが以前オーガナイズした展覧会の)ヴェルニサージュ(ギャラリーの一般公開前の特別内覧会)で、あるドミナが、小人の男性を鎖に繋いで散歩をさせていたり、肉便器奴隷や、ペニバンで鶏を犯す女性がいて……その時、彼等は以前、この種の行為でハプニングがあったのかどうかと思ったのです。30年前は違法だったけれど、今日、SMというものは未だに破壊的な芸術として考えられているのでしょうか? 告発されないように、よりひどい行為へエスカレートしないものなのでしょうか?」
この質問は、休刊前の数年間の『S&Mスナイパー』について私に考えさせるものだった。あの頃の号にはたくさんの拷問を連想させるような写真(おびただしい血、感電、有刺鉄線での緊縛)があった。いくつかの写真、唇を縫われたフェティッシュ・モデルは特に印象的だった。
もし、縫われたまま吐いたなら、彼女は吐瀉物を肺に詰まらせて死んでしまうだろう。
↑『S&Mスナイパー』2006年8月号・P124〜125 連載「鬼畜道狂症」より抜粋。乳首と秘烈から注射針貫通プレイによる流血が見られる。(誌面掲載時は女性の顔にモザイクはなし)
↑『S&Mスナイパー』2007年7月号・P138〜139 特集「責め絵師・沙村広明×調教芸術家・ミラ狂美 窮極残酷画の深淵」より抜粋。唇の唇が上下からテグス糸で縫われている。絵はその実際の光景をもとにして描かれた。(誌面掲載時は女性の顔にモザイクはなし)
『S&Mスナイパー』2008年10月号・P40〜41 「D-BOX【極悪伝】発売記念 残虐偏愛の記録」より抜粋。スタンガンによる責め、モデル女性の願望に基づく頸部圧迫行為が記録されている。(誌面掲載時は女性の顔にモザイクはなし)
私には従兄弟がいる。ある晩、彼は飲み過ぎた。彼は、背中を反っていて上向きに吐いて、吐瀉物が肺に入ってしまった。命は助かったけれど、彼は後遺症でメンタルを少し病んでしまった。現在、この従兄弟はキリスト教のあるコミュニティに属している。時々、地下鉄に祈りに行く。曰く、「人々を救うために」。私は、口を縫うことがどんなに危険かを知っている。この種のプレイがメディアで報道されてしまうことに恐れを感じてしまう。
フランスでは、そういうことは厳しく禁じられている。法律で、人はどんなセクシャリティでもいい自由がある。けれど、予防措置をとらずに公表してはいけないとされている。法律では、それはまず第一に子供を保護する為だとしている。性的な写真や画像の閲覧は未成年に禁じられている。日本でも、それは同じだ。
けれどもう一つの、多分日本には存在しない予防装置がフランスにはある。フランスの法律では、血液と性的なイメージを織り交ぜた写真や画像は禁止されている。もっと正確には、「非人道的なこと」を行なうために「勧誘」すること、または「人間の尊厳」を侵害する行為が禁じられている。
フランスで開催される、エロの要素を含んだパーティで、針を使ったり、本物の血液を使ったショウや、サスペンション(身体に直接フックを通して吊り上げる行為)をするのはとてもリスキーなことなのだ。通報されたら、パーティは開催を禁じられてしまう。
でもイギリスやドイツ、オランダでは法律が異なるので、多くのエロティックなサロン、フェティッシュ・パーティで「(身体改造系の)ボディ・アーティスト」を招待するのはいいと思っている。トーチャーガーデン(イギリスの大きなフェティッシュイベント)では、時々バケツの水で(ショウで流れた)血を綺麗にしなくてはいけない!
フェティッシュ・パーティはSMの加虐行為を見せうるので、フランスでは、権力者はこの種のデモンストレーションが危険な行為と考えている。それは逆に人々に危険な行為を推奨しているようなものだ。そういう訳で、どのようにSM行為を修練するのか分からない人がたくさんいて、多くの人が見よう見まねでやってしまう。だから時々事故が起きる。禁じられているということに興奮して、SMに走る人々もいる。
こういう人たちは自分を超越者だと信じ込んでいる。死を弄ぶことがものすごく「クール」なことだと思っているのだ。たいていは、ただ低俗なだけ。こういう人たちは自分の行為が「より高みに」自分を位置させるんだと言い張る。彼等は哲学、美学、洗練そして優雅さについて語る。けれど、実際彼等がすることと言えば、ひどく残忍で未熟なことばかり。フランスの当局が「野蛮」でエロティックな行為を禁じている理由はそこにある。
私生活では「大人同士の合意」の下で、自分のしたいことができる。それが喜びにつながるなら、とてもいいことだ。けれど、事故があった場合、責任を負った人は法で裁かれる。
セクシャリティは隣人を殺したりハンディキャップを負わせることの正当な言い訳にはならないのだ。
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