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▼ 欧州フェティッシュジャーナル 【19】ヌーベル・モード in フランス

文=アニエス・ジアール

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在仏カウンターカルチャー専門ジャーナリスト、アニエス・ジアール&フランシス・ドゥドブラー。親日家でもあるお2人が世界のフェティッシュ事情をお届けしています。


日本は侮辱されることなく見せたい(着たい)ファッションができる、素晴らしい国!

フランスは、一神教(キリスト教と、特にイスラム教)の影響でセクシーな服を着るのはとても難しい。(もしスカートなんて穿こうものなら)道ばたで、小言を言われるか、振り返られるか、ナンパされてしまう。そういうことが、フェティッシュ・パーティ(と日本)に行く楽しみのひとつになっている。着たい服が着られるレアな場所なのだ。

フェティッシュ・パーティでは、現在、たくさんの女の子がミニスカートを穿いて来る。ミニスカートの長さは大体20cm、下半身を隠すのにほとんど役に立たない長さだ。ミニスカートは、引き締まったお尻をカバーするだけで、身体の線が全て出てしまう。フランス人は、そういう女の子をもてはやす。

イギリスのブランド「フェーズ」がこういうミニスカートを売り出した。パリの「ブティック・デモニア」で発売されてから2カ月で、およそ50着も売り上げた。それだけ売れた一番の理由は、高価過ぎないからだ(1着、大体25ユーロ)。それと、フランスにはお尻好きがたくさんいる。

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多くのフランス人が、こういうミニスカート・ファッションにノスタルジーを感じている。ミニスカートというのは、性革命の象徴なのだ。この性革命は、1960年にアメリカで、1961年にイギリスで、1967年にフランスで発売されたピル(経口避妊薬)と深いつながりがある。

1962年、ロンドンはチェルシー地区のキングズロードにあるブティックで最初のミニスカートが出現した。この「ものすごく短いスカート」は、(独学の)若きスタイリスト、マリー・クアントによって考案された。最初は彼女自身や友人がモデルになっていた。ミニスカートは自立した女性の象徴だった。オランダなどのいくつかの国で、この「あまりにも挑戦的」な服は禁止されるほどだった。

フランスでのミニスカートの歴史はアンドレ・クレージュ(服飾デザイナー)から始まる。アンドレ・クレージュは1962年から1964年にかけて何度もミニスカートを店頭に出したけれど、見向きもされなかった。1965年の春夏コレクションで、初めてミニスカートのオートクチュールモデルを登場させ、メディアから「革命家」の称号を与えられた。クレージュは、ミニスカートに「若さ」を保つことを託している。

ココ・シャネルのような大御所のクチュリエ(服飾ブランドの縫製師)はクレージュが女性達に与えるイメージについて批判した。けれど、偉大なるクチュリエたちの厳格主義は無意味だった。ミニスカートは「流行のファッション」になったのだ! 誰もがミニスカートを穿いていた。

日本では、着たい服を着るということは普通のことだと考えられている。それは微笑ましいことだと思う。フランスでは、タブーが原因で、着たい服を着ることは政治的と見なされる。皆、まるで出征するときのように服を着る。服装が原因で、他人に観察され、糾弾され、馬鹿にされてしまうのだ。フランスでのフェティシズムは、政治的な行為と言い換えてもいいくらいだ。

時々、人々は私に尋ねる。「フェティシズムというのは、ただのファッションではないのですか?」私は、服を選ぶことが共和国の大統領の選択と同じくらい重要なことなのだと答えている。民主主義では3つのことが定義されている。投票権、男女の平等、セクシャル・マイノリティを認めること。

ピル(経口避妊薬)、妊娠中絶、ミニスカートは民主主義の表われなのだ。

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