皮革拘束のみに絞った日本国内初のボンデージ・サイト「Fetish Stage」。
縄拘束とは違った魅力を醸し出すレザー・ボンデージ。そこにこだわって映像作品を撮り続けてきたMikeyさんがお届けする、アメリカでのボンデージ体験記がスタートです。
文=Mikey
映画鑑賞が趣味だった私は、特に'50年代の古きよきアメリカの文化が大好きで、その年代を舞台にした作品を少年時代から沢山観ていました。
レザーやボンデージへの好事家として目覚めていったのは、'70年代にテレビで放送されていた子供向け特撮番組で、隊員の女性がロングブーツを履いていたり敵に捕まって拘束されたりといった姿を観たのがきっかけ。
スタイリッシュで刺激的でちょっといかがわしい雰囲気をも匂わせる映像に、10代の目は釘付けになってしまったのです。
フェティッシュなスタイルの世界観に興味を持った私は、さらに好奇心の赴くままこの世界の深みへとはまっていくことになっていったのでした。
ディープにあらゆる文献を読み漁り、そこで初めて知ったのが、ピンナップ・クィーンなるグラビアモデル。
中でも特にベティ・ペイジは目を引く存在だったことを記憶しています。
しかしこのきらびやかなピンナップ・クィーンたち。
アメリカではポルノの中でもボンデージ、つまり女性の身体を拘束したグラビアは猥褻性が高いとして厳しく取り締まられていたのです。
こういった事実に触れ、ボンデージだけではなくアメリカのアンダーグラウンドなカウンター・カルチャーにも興味が広がっていきました。
そんな折、19歳で初めて渡米することに。
さっそく映像や写真でしか見ることができなかったボンデージの現状を知りたいと思い、古くから営んでいるポルノショップへと直行です。
老店主から話しを伺うと、日本人でアメリカの闇に葬られた文化を調べている者が珍しかったのか、当時FBIや公安からの摘発を逃れるために拘束された女性のグラビアは全て店頭に並べていなかった事実などを教えてもらうことができました。
それらを一部の好事家のみへ密かに販売していたという話を聞いて、ますます封印されたカウンターカルチャーに対して興味が湧いてくるのでした……。
帰国後、日本におけるボンデージの文化はどうなっているのかと、いくつかの図書館へ出向いて調べたところ、情報はまるで皆無に等しい状況。
インターネットのない時代であったため情報共有する術がなく、仕方がないので大枚をはたいて大量のSM雑誌を買い漁り、広告や掲載されていた記事から新宿の「カバリエ」や神保町の「すずらん書店」でアメリカのボンデージ・マガジンを入手する日々が続きました。
神楽坂にあった「風俗資料館」の存在も知り、何度も足を運んでいくうちにアメリカン・ボンデージの知識が次第に培われ、どんどんのめり込んでいく自分を発見するのでした。
(続く)
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