皮革拘束のみに絞った日本国内初のボンデージ・サイト「Fetish Stage」。
縄拘束とは違った魅力を醸し出すレザー・ボンデージ。そこにこだわって映像作品を撮り続けてきたMikeyさんがお届けする、アメリカでのボンデージ体験記です。
文=Mikey
20歳の秋はバイトに入れ込んでいました。
バイト先のイベント会社にはコンパニオンの女性たちが登録されていて、夏が終わるタイミングで、彼女たち総勢20人ほどを集めて私がメインの幹事を担当してコンパを開催することに。
そこで女性の幹事役の子と密なヤリトリがきっかけで幹事同士が交際することとなったのでした。
ノンケであろうと思っていた2歳年上の彼女です。
しかし付き合って2カ月目、たまたま雑談をしているときにマゾ性を持っていることを彼女自らカムアウト。
どっちかというとサドっぽい容姿で姉御肌な彼女だったので、これには驚きました。
こちらも返す刀で「アメリカン・ボンデージを実は研究してて、ずっと女性を拘束してみたい気持ちを抱いていたんだ……」と恥ずかしながらカムアウト。
そこからはお互いフルスロットルで本能煩悩剥き出しな交際へとセカンドステップ。
一緒に六本木の「セビアン」や新宿の「マルゴ」へ皮革拘束具を買いに行き、常にプライオリティはセックスよりもボンデージ・プレイ、というそんな日々でした。
ロープで身体を拘束しないというコンセプトのスタイルは、この頃に確立されたものです。
また私は高校時代より8ミリビデオカメラで自主映画を撮っていたのですが、
彼女とのボンデージ・プレイに明け暮れる日々を過ごすうちに、自分でもボンデージ映像を撮ってみたいという欲求がわいてきました。
私はついにある日、彼女に拘束具を施して映像を撮らせて欲しいと恐る恐るお願いをしました。
すると「アイマスクや目隠しをした形で素顔がわからなければ構わないけど」という返答。
それからというもの、アメリカで購入してきた「カリフォルニア・スター」や「ハウス・オブ・ミラン」、さらには'80年代のボンデージクィーンことサリー・ロバーツの「アローフィルムズ」や「ハーモニーコンセプツ」のVHSビデオを観ながら、似たような映像や劇中で展開されるアートワークにインスピレーションを受けたオリジナル映像を作ったりと、プライベートでボンデージビデオを撮りまくる日々が始まったのでした。
よく考えてみると、アイマスクを常時使う自分なりのスタイルもこの時代ですでに確立されていたような気がします。
(続く)
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