皮革拘束のみに絞った日本国内初のボンデージ・サイト「Fetish Stage」。
縄拘束とは違った魅力を醸し出すレザー・ボンデージ。そこにこだわって映像作品を撮り続けてきたMikeyさんがお届けする、アメリカでのボンデージ体験記です。
文=Mikey
まだ会社でもペーペーだった頃に転機が訪れる。1995年にVシネと言われていた当時隆盛中のオリジナルビデオ映画の海外ロケ仕事に人手がないとのことから強制参加、4年ぶりにL.A. へ。クランクイン直前で数人のスタッフが別会社にヘッドハントされてしまったとのことで、急遽社内選抜されたのだ。L.A. やサンディエゴには中学時代の同級生が住んでいたので、西海岸へは高校卒業後、バイトでお金が溜まれば頻繁に渡航していたので、土地勘が身に付いていたのも強制参加させられた……というか選ばれた理由でもあったらしい。僕の担当はL.A. でロケーション撮影する際のコーディネーターとのブッキングや取引相手との書面契約、ちょっとしたメイキングを撮るためにハンディビデオカムをまわすような雑用業務だった。
現地コーディネーターの男はエキストラ集めをしてくれたり、撮影現場では僕と似たようなポジションで仕事をこなしていた。さらに彼は僕と同い年のアメリカ人であったが母親が日本人のため、英語と日本語の両方を理解していて喋れる頼もしくも珍しいヤツだった。そしてお互いの文化交流をしているうちに仕事以外でも急速に親しくなった。彼の名前はジョン。撮影現場でも抜群のタイミングで食事休憩の際にはケータリング・サービスを準備したり、現地人スタッフたちへテキパキと指示する仕事ぶりを見ていると、若くしてハリウッドのお膝元で働いているだけあって経験値だけは絶対に勝てないと思わされた。
ジョンと親しくなったことでL.A. とのパイプラインが太くなり、Vシネの仕事がクランクアップし日本へ戻るも、今回の仕事を境に僕へ海外出張の出番が数多くまわってくることになった。テレビゲーム好きだというジョンに僕はL.A. へ行く度に、日本土産としてスーパーファミコンのゲームソフトを買って行く間柄まで親しさはさらに発展。
L.A. に1カ月滞在しなくてはいけなかった案件があったある日のこと、市内にあるトーランスへたまたま行く機会があったので、そのエリア近郊にジョンが住んでいたこともあり、仕事を終えた夜に初めて彼の自宅へ遊びに行った。ジョンの家族が食事を用意してくれ、車を運転していたにもかかわらず、酒まで勧められ呑んでしまったが、幸い翌日は休みだったのでジョンの自宅へ宿泊する。
リビングで寝てもよかったのだがジョンの部屋も広いというので、折り畳みのソファーベッドを準備してもらい彼の部屋へ。お互い酒が入っているためか、ハメを外したエロ話を二人で始める始末。そこで彼はBDSMの好事家であるとカムアウト。僕もボンデージが好きなことを説明すると彼は地下室物置に隠してあった『Bondage Life』誌のバックナンバーを大量に部屋へ持って来てくれた。さらに「ハーモニーコンセプツ」や「アローフィルムズ」のビデオなども引っ張り出してくれてミニ上映会が始まる。そしてその翌日、ジョンと僕が今まで以上に親しくなったことは説明するまでもないでしょう。
(続く)
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