皮革拘束のみに絞った日本国内初のボンデージ・サイト「Fetish Stage」。
縄拘束とは違った魅力を醸し出すレザー・ボンデージ。そこにこだわって映像作品を撮り続けてきたMikeyさんがお届けする、アメリカでのボンデージ体験記です。
文=Mikey
それから2、3日経って、ハリウッド近辺の僕が宿泊しているモーテルへジョンが現れた。
「週末にパーティがあるから一緒に行こうぜ!」と誘って来たのだ。なにやら同じ趣味嗜好だったことから嬉しそうな表情のジョンは、そのパーティで色々な人を紹介したいという。
そして週末、金曜日の夜が訪れる。なんと、そのパーティーの場所は僕の泊まっている宿泊先から程近い場所のホテルをワンフロア貸し切って行なっていた。徒歩で10分もかからない場所なので、車を使った移動ではなく、お酒が呑めることはよいことだった(笑)。
驚かされたのが、ホテルの会場にはAshley ReneeやSimone Devonなど、アメリカン・ボンデージ好きの僕にとっては超有名人が沢山ドレスアップされた姿でいるではないですか(当時はそんなに有名じゃなかった方々だったけど)!
ジョンは『Bondage Life』誌の定期購読者であり、さらに通販でも沢山商品を購入していたことでハーモニー・コンセプツからはお得意様登録されていたらしい。
半年に一度のペースで招待状が送られて来たりしていたということから、ボンデージ関係の著名人が集まるパーティーへ参加するようになったという。さすがお得意様!
日本人は僕ひとりで結構浮いてしまっていたが、ジョンが気遣ってくれて彼が親しくしている人たちを紹介してくれた。「ハーモニー・コンセプツ」や「クローズアップ・コンセプツ」、「ビザール・プロダクション」などの方々に、僕を紹介してくれる。
大抵彼らは僕に日本のBDSM事情やジャパニーズ・ボンデージはスタイルとして確立されているのか、などと聞いてくる。
それは僕がジョンに根掘り葉掘り聞いているのと全く一緒な感じがして、ちょっとデジャヴュな雰囲気だった。
このパーティへ参加したおかげで、その後もジョンと一緒にプライベートパーティ(アメリカ人って本当にパーティ好きなんだなって肌で体感)などの集まりにも参加させてもらえたりして、米国でのボンデージ人脈も随分と広がったが、当時の自分にはただの個人的趣味でしかなかったことでその人脈も風化させるだけであった……。
その後、人脈が増え始めた1年ぐらいは頻繁にL.A.へ行く機会も多かったのだが、いつまでも今の会社でサラリーマンをやっているのも面白くなかった。L.A.へ出張で飛ばせてもらえたのは嬉しかったが、ジョンとのパイプラインで現地コーディネートを一緒にする仕事がメインで、やることは次第に人の手配と書類の作成ばかりへ……。
学生時代から自主映画を撮ったりしていた僕は、撮影現場での仕事をやりたいと思い始めていた。達成感が欲しくて、もっと身体を動かし、もっと汗を流せるようなことを望んでいた。
意を決して、人生一度きりなんだからもっと好きなことをやりたいと会社へ申し出て退職。映像業界の現場で下積みから働こうと決意し、27歳でテレビ番組のADから人生を再スタートするのだった。
(続く)
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