私の嗜肛錯誤の日々【8】
4、ケツ穴ホステス・恵子
その後も深雪との関係は一年近くも続いただろうか。もちろん逢えばアヌス嬲りの限りを尽くした。
深雪のアヌスはますます敏感に、ますます貪欲になっていった。金と猟色にしか興味のない私は深雪との結婚を考えた。深雪も私と別れることなど思いも及ばないようだった。
だが、人生、そううまく事が運ぶわけもなく、深雪は結核に罹かり、半年のサナトリウム生活のあと、あっけなく他界してしまった。
今流行りの言葉で言えば、「イッツ ジャスト、マイ、タイプ」の女であった深雪を亡くした私の衝撃は少なからぬものがあった。
時が流れ、深雪の面影が薄くなりかけると、また私は猟色の道を歩み始めた。
数限りない女と出会い別れたが、美代子や深雪のようなアヌス感覚の発達した女にはなかなか巡り会えなかった。
私はそのウサをいろいろな雑誌で晴らしていた。昭和四十年には二、三のSM雑誌が世の中に浸透し始めていた。
私はときどきSM撮影会などにも参加し、自分のSM志向を深めていった。
ここにひとつ私には反省すべきものがあった。それは美代子にしろ深雪にしろ、彼女たちのマゾ性は先天的なものといえた点である。彼女たちとの出会いは僥倖であり、私の努力や性技の成果ではなかった。
私はふつうの女をアヌス感覚に目覚めさせたいと思っていた。
その頃私に一人の女が現われた。赤坂のクラブでアルバイト・ホステスをやっていた女子大生の恵子である。恵子は、時代の影響なのであろうが、「金のためなら、肉体関係を持っても平気よ」といった女である。昔でもそんな女はいたが、昔の女は何か暗くジメついた影を引き摺っていたものだが、恵子には暗さなど微塵もなくアッケラカンとしており、私が引かれたのも恵子のそんな部分だった。
私の情事用のマンションで数回関係を持ったあと、私は恵に、
「痛い目には遭わせないから、ちょっと縛らせてくれよ」
と言った。
「まあ、オジさん、SMの趣味があるの!? そうねェ、おもしろそうね、いいわよ。でも、ぜったい痛くしないでね」
いつもの倍のお小遣いを出すと言うと、恵子はすぐ承諾した。
(つづく)
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