告白=小泉博敏(仮名)
【10】コートを脱いで下さい
痴漢ごっこをしている内に、いつの間にか山手線を二廻りしていた。新宿で降りた時には、もうすっかり夜の帳が下りていた。
西口へ出て、高層ビルのホテルに入った。泊まる気はない。食事だけのつもり。
「ご予約はございますでしょうか」
レストランへ入るかと訊かれたので、否定すると、暫く待たされた。
「只今ご案内申し上げます。お召し物を……」
ボクは背広だけなので問題ないが、コートは脱ぐのがエチケットだ。理沙に、コートを脱いで預けろというのか。ボクとしたことがこれは迂濶であった。
「着たままでもいいでしょう?」
「はい。よろしゅうございますが、規則になっておりますので」
規則で駄目ならば――よろしゅうございます――なんて言わなければいいのに……。
否定的な言葉、拒絶する言葉は使わないように訓練されているらしい。
これだから一流ホテルでの食事は嫌なんだ。
一流ホテルで、一流の人たちと共に、一流の料理を目の前にして、自らの手で食べることができずに、ボクに食べさせて貰う屈辱と羞恥を恭子に味あわせようとした計画は実現できなくなってしまった。
そんなことの腹いせもあって、ボクは、このマネージャーらしき男をからかってみたくなった。
「恭子。さ、脱がしてあげるよ」
ボクはコートのボタンをはずすと、恭子の後へ回って、コートを肩から外そうとした。
「いやっ」
恭子が咄嗟にうずくまってしまったから、たいへんなことになった。
ボクは脱がすつもりはなかった。マネージャー氏に太腿でもチラつかせて、帰ろうと思っていただけだった。
それが……。
ボクがコートの襟を持ったまま、彼女だけがうずくまってしまったから、コートを剥いだのと同じ状態になってしまったのだ。マネージャー氏には、すべて見えてしまったのである。
ポクも驚いたが、それ以上に驚いたのはマネージャー氏である。口も、目も、大きく開けて動かない。いいや、一番驚き、一番恥ずかしい思いをしたのは恭子である。
ボクは気をとり直して、うずくまっている恭子にコートを羽織らせて、立つように促したが、彼女、腰が抜けたのか起ち上がれない。
しょうがなく両手で恭子を抱え上げると、ちょうどドアが開いたエレベーターに飛び乗った。エレベーターのドアが閉まる時にマネージャーのほうを見たら、まだ、あのままの姿勢でポカンとしていた。
上りか、下りかも確かめずに乗ったエレベーター。下へ動き出した。ほっとした。本日、三度目の大冷や汗である。
「ご気分でも悪いんですか?」
先に乗っていた中年の女性と若い女性、親娘らしいが、母親のほうが声をかけてきた。
「ええ。ちょっと、倒れちゃいまして……」
ボクは仕方なくそう答えると、女は、恭子の顔に手を当てた。
「あ、貧血ね。頭を低くして、胸を開けて楽にしてあげないと……」
余計なことをしてくれる。拒否するいとまもなく、コートの胸元に手をかけてしまった。
「まあ」
女は理沙から飛び退いた。娘が怪訝そうな顔をして、母親と我々を見比べている。
幸いにしてその時、エレベーターのドアが開いた。ホテルのロビーである。ボクは、恭子を抱えたまま駈けるように玄関を出て、タクシーに乗った。
(続く)
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