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▼ かすみ草の序曲【1】
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告白=愛沢芳香(仮名・32歳)


愛する妻を快楽の彼方へ連れ去りたい――。処女・童貞同士で結婚した若い2人の夫婦生活と、その狂おしくも切ない記憶。『S&Mスナイパー』 1981年4月号に掲載された読者告白手記を再編集の上で紹介します。おずおずと繰り広げられる初々しいアブノーマル交流に、温かな息遣いと灼熱の興奮を感じ取って下さい。


【1】不妊症の女

私は妻を亡くして七年目になります。生きていれば今年で三十五歳でした。

妻は年上でしたが、童顔で体つきも華奢だったせいか、私にとっては可愛い妹とでも暮らしているようなものでした。

ことに、キッチンに立って朝食の用意をしている時の妻は、痩せぎすな肩の線や、Tシャツの胸許にツクンと浮き出た小粒の乳首、ショートパンツの似合う細すぎるほどの両肢、すべてが十代そこそこの少女のシルエットにも見えたものでした。

今でも私が十代のスリムな少女か、二十代でもそんなタイプの女体にいっそうの興味を覚えてしまうのは、初体験の相手であり、丸五年間の夫婦生活を営んだ亡妻の影響なのでしょう。

妻のおかげで、私は素晴らしく幸せでした。もとはと言えば、私自身も美容師で妻の従業員でしかなかったのですが、結婚してからの私は、ほとんど働く必要のないぐうたらな亭主でいられました。妻は、美容院の次女として生まれ、私と結婚した二十四歳の年、すでに自分の店を持たせてもらっていたのです。小さな店ですが、私達二人が暮らすには十分すぎるほどの収入がありました。

こうして考えてみれば、外見はともかくとして、やはり妻は年上の女房そのものだったのでしょう。私にとってもったいないほどの世話女房でもありました。

結婚以前のことになりますが、私が妻の従業員であった期間は、ほんの三カ月間のことでした。当時の私は、国家試験にパスして間もない、二十歳の新米美容師でした。

最初に誘ったのは妻のほうからでした。私は、当然にして妻が非処女であり、むしろ恋多き女だとばかり思っていたのですが、二十四にもなって妻は処女だったのです。

私にしても初体験でしたので、妻がひどく痛がったにもかかわらず、妻が愛液に濡れた自分のものを拭き、純白のティッシュが薄紅色に染まるのを見ても、まだピンとこなかったほどでした。妻自身に告白されてようやく理解出来たものです。

そして私達は、初体験の三カ月後に、式こそ挙げませんでしたが法的な夫婦になりました。

新婚当初の夫婦生活は、平凡である以上にお粗末なくらいのものでした。体位は常に正常位。回数も二十代の新婚夫婦としては少なすぎる、週に一度といったものでした。

妻は、性に関してひどく淡白な質だったのです。愛液も、私の唾液なしでは性交不能なほどの微量でしたし、その最中によがり声を上げるようなこともなく、長い間、女の歓びというものを知らないままでいました。

亡妻に対し、ひどい言葉は使いたくないのですが、妻は不感症の女でした。

そうなってしまった原因の一つに、私自身の性に対する未熟さもあるでしょうが、一日じゅう突っ立ったままの妻は、いつもぐったりと疲れてしまい、性に対してまるで無頓着な女になっていたのです。性交中に寝入ってしまうことさえ何度もありましたから。

また、妻は子供を欲しがっていたのですが、結婚一年後に不妊症の体であることがわかり、それ以前にも増して、性への興味を失ってゆきました。妻は不幸な女でした。

それでも私達は、もともとプフトニックな面での一目惚れ同士でしたから、はた目には姉と弟のように仲が良かったものです。いえ、年上の妹みたいに可愛い妻でした。

そして、私達が本当の幸せを発見出来たのは、結婚三年目に入り、かすみ草が咲く季節になってからのことだったのです。

(続く)


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