告白=三田村祐二
【1】女狐
妙子が去った。もうあの魂までもしびれるようなSMプレイを二人で行なうことは出来ない――その寂しさに私はいたたまれなくなって、四年間過ごした吉祥寺のアパートを引き払い、今年の六月に杉並区へ引っ越して来た。
私が妙子と交渉を持つようになったのは昭和五十三年の夏からであった。彼女は吉祥寺における私のアパートの隣人であり、当時五歳になる娘を持つ人妻であった。といっても夫と五十年の初めに死別しており、いわゆる未亡人ではあったのだが。
私が妙子と特別の関係になったのは全くの偶然からである。「事実は小説よりも奇なり」とはまさしく真理である。
二年前のムシ暑い夏の夜、私は近鉄裏から井の頭公園に向かう道を友人と共に歩いていた。するとその途中にあるホテル『和康園』から一組のアベックが出て来、なんとその女のほうが隣人の妙子だったのである。
私も驚いたが、相手のほうはもっと驚いた表情で、一瞬立ちすくんでしまっていた。そしてその動作が、周囲の暗さの中でもお互いの顔をはっきり認め合った、という事実を物語っていた。
翌日の午後、妙子は私の部屋にやって来た。引っ越しの挨拶の時と昨夜、それ以外では時たまドアの所で顔を合わせる程度の未亡人が折り入って話があるという。私は彼女を部屋に招じ入れた。三畳分のキッチンと六畳間の部屋である。
私には妙子の訪問の意図は十二分にわかっていた。それ故、落ちついた態度で彼女にアイスティーを勧めると、
「三田村さん、昨夜のことは大家さんにはもちろん、アパートの誰にも言わないでほしいの」
妙子は、アイスティーには口もつけずに真剣なまなざしで申し出たのである。
私はうなずきながら、
(これをネタに未亡人をゆすり、その代償として体を頂く、なんてのが小説やドラマのパターンなんだがな)
そんなことを考えながら、持ち前の嗜虐的な感情が頭をもたげていた。
しかし、同時にこんなことも考えていた。
(夫を失い、女手一つで幼い子供を育てるのは、経済的にも大変なんだろうな。時には男に抱かれていくらかの収入を得る、という行為でもしなければ、アルバイト同様の今の仕事では生活面でも苦しいのだろう)
ということをである。
だが、事態は私の優し気な思惑を無視したほうに動き始めた。
「ねえ、三田村さん。絶対に内緒にしてほしいんだけど」
妙子が二十九歳という女盛りの色香をふりまきながら私にせまったのである。
やや短か目のスカートから露出した両方の膝頭をこすり合わせるようにクナクナと動かし、上二つほどボタンをはずしたブラウスをずらすようにして、私の視線がブラジャーに包まれた乳房に届くような姿勢を妙子がとったのである。
加えて、彼女は右手を私の左頬に伸ばすと、
「ね、黙っていてくれるわね」
という言葉を、熱い息と共に吹きかけてきたのである。
私は平常心ではいられなかった。
もちろん成熟した女の色香に下半身を刺激されたわけであるが、
(俺を若僧だと思って甘く見てるんだな)
という怒りの気持ちも湧き起こっていた。
(この女狐め、それほど色気をふりまくならば、俺の好きなように料理してやろうじゃないか)
私はサディスティックな感情で、残忍な行為に走ろうとしていた。
緊縛色っぽくせまる未亡人、妙子に私は言った。
「奥さん、ただで俺の口を封じようなんて思ってもいないでしょうね」
その時私は、二十一歳の学生には不似合いな、淫らな表情だったかもしれない。
だが、その言葉を耳にした妙子は、クルリと背中を見せ、ブラウスのボタンをはずし始めた。
(うまくいく)
そう確信した私は、彼女が後ろ向きのスキに机の抽き出しから長さ二メートルばかりの綿ロープを取り出していた。
(続く)
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