告白=峠一秋 (仮名)
出会い
比良の連峰をくっきりと暗黒色に染めて、いま暮れなずむ琵琶湖の岸に、ひとり立ちつくしている。なにごとも予定通りには運ばないもので、本来ならば今頃の時間、撮影を終わって川魚料理かなにかで一杯やりながら、黄昏を楽しんでいるところであったろう。
それというのも待ち合わせてあったホテルには玲子が現われず、そのかわりにフロントへメッセージが入っていたのである。早速電話を入れてみたところ、朝から高い熱が下がらず頭が痛いというのである。とても二時間も電車に揺られてそちらまで行けないので、申し訳ないけれども許してほしい、という内容であった。
病気じゃ仕方がない大事にして寝ていろ。ひどいようなら病院に行ってくるように。そう言って電話を切ったのだけれど、残念でならないのである。
今回は野外で昼間の緊縛写真を撮りたいと一週間前から計画をたてて、夏期湖水浴でにぎわった湖東の岸に松林のある場所と、栗東インターチェンジから山奥に入った所にある寺の山門の、二カ所でロケをすべく出て来たのであった。
私は仕事の用があり、昨日早く大阪を出て今日昼すぎに、ここ彦根でおち合う約束で待っていたのだけれど、こうなると行くところもすることもない。ホテルの中で昼からビールを飲んでいたため車を運転することもできず、とりあえず一泊して明朝帰阪することにした。
店の中は、暗い照明の中に赤いランプやみどり色の豆球など、何となく田舎くさい飾りものが雑然としていた。客もなじみの三、四人が、飲みもせず、ただ大きな声で話し合っているだけだった。
二杯目の水割りを飲み干して他の店へ鞍がえしようかと思っているとき、小柄な女性が入ってきて、「おそくなってごめんね」と小声で言いながらカウンターの内側に入り、私のほうに向かって、にっこりと営業的にほほえんでみせた。
そんなに若くはないようだけれど、小さな顔の割に長い髪を丸くまとめて、頭のうしろへちょこんと乗せている。私の好みのタイプだ。私はちりちりにしている髪の女は好きになれない。
カウンターの奥の端では、三、四人の常連とママが大声で談笑している。一瞬、私とその女とは向かい合ったものの、何か無意味な沈黙がながれているようであった。
「お近くなの?」
「いや出張で来ているんだけど……」
「あ、水割りね。おかわり作っていい……」
「うん。君もよければ何か飲まないかい」
「ありがとう、エミっていうの私」
女は慣れた手つきで、水割りを二つ作って持ってきた。
「お客さん、さびしそうねえ」
「うん、今日は振られてショックなんだヨ」
「まあ……可哀そう。エミだったら、そんな冷たいことしないけどなあ」
「エミちゃんは、彦根の人?」
「八幡ですけど、いまここへお手伝いで来てるの」
タバコを出すと、すぐ火をつけてくれた。吸うかいと差し出すと、小さく手を振って、再びにっこりと笑ってみせる。
モデルに使いたいな、と思った。しかし突然であり、会ってから一時間も経っていないのに無理な話である。私はもう少し話してから、切り出そうと思った。
エミはよく飲んだ。かなり強いほうだろう。
私のほうも下心があって、いつもよりは多いアルコール量であっただろうか。店のほうは二、三回、常連らしい客ばかりが入れ替わっていたが、一番腰の長い私のことも、一向に気にしていない様子であった。
「エミちゃん、お昼は忙しいのかい」
「どうして……」
「写真のモデルになってほしいと思うんだけど、どうかなあ」
「エミ、自信ないわ。そんなの」
「大丈夫だよ、ただ普通の写真じゃないから、承知してくれるかとうか心配なんだ」
「ヌード?」と彼女は大きな声を出したから、カウンターの奥から視線が無遠慮にとんできた。
「エミちゃん、ここでもなんだからどこかコーヒーでも飲みながら、話しできるところないかね」
「ウン、あるにはあるけど私まだまだ出られないわ。今日おくれて来たしネ」
「じゃ喫茶店の場所と名前を教えておいてくれたら、行って待ってるよ」
エミの指定した店はホテルのすぐ近くで、時間は12時ということだった。私は一度部屋に帰ることにした。
野外撮影
フロントに鍵をあずけてから出かけてきた私はSM雑誌を一冊持っている。とりあえず当たって砕けろである。駄目でもともと。承知ならば折角準備してきた縄と時間が無駄にならないで、しかも楽しめるというものだ。 約束の喫茶店にエミは15分遅れてやって来た。
「ヌードだったら駄目よ、私。自信ないし、第一恥ずかしいもの」
私はヌードではない旨を説明するよりも、紙袋に入れたままの雑誌を見るように、目にものを言わせながらそれを手渡してみた。
エミは紙袋の中からそれを引っぱり出して表紙を見ると同時に、一旦袋の中へひっこめてレジのほうと後ろへ目ざとく視線をとばしてから、改めて表紙をめくった。
「そんな雑誌、今までに見たことないだろ?」
「……」
彼女は首をタテに振りながら、ただしばらく無言のまま、何頁かのカラーグラビアをハラパラとめくっていたが、やがて、「こんな写真のモデルって特別の人でしょう……」と、大きな瞳を私のほうにむけながら小声でいった。
「特別な人という意味がわからないけれど……、プロのモデルもいるにはいるが、私は使わない。自分の気のむいた写真しか撮らないし、金儲けでやるわけでないから……。私はエミちゃんが同好の志じゃないかなあと思って、頼んでみたわけなんだよ」
私は一気にこれだけ言って、冷たくなったコーヒーの残りを、一息に呑んだ。
「着衣でなければいけないなら、それでいいから、やってみてくれないか……」
「……」
しばらく真剣な顔つきになって、じっと電気スタンドをにらみつけていた彼女だったが、
「エミ、本当のところ興味あるのよ。でも、貴方のこと知らないし。秘密を守ってもらえるか、どうかも……」
ここで私はエミの言葉をさえぎって言った。
「だからいいのと違うかい。私はエミの本当の名前も住所も知らない。そしてエミは、私のことを知らない。だから大胆に振る舞えるのと違うかね」
「……」
「だからプライバシーは一切聞かないし、守るよ。写真上でも、顔はわからないようにするよ」
「それで、いつ写すの……」
「室内じゃないんだよ、昼間の野外だけど、絶対に人の来ない、山の中なんだ。明日の昼すぎ、どうだろうか」
「昼間……、人に見られたらどうするのよ。恥ずかしいわ」
「絶対人が来ないし、万一人が近づいて来ても、マントで包んでやるから大丈夫だよ。見られて困るのは私も一緒だから」
言いつつ私は、エミの顔をじっと見つめた。
(続く)
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