体験 台風と赤いハイヒール【2】
四人目の女 2
さて、今ではその母校もうんと発展して立派になっているのであろうが、その当時はなんといっても戦後創立された多くの大学群の一つにすぎず、私の職場である寄宿舎(寮)も哀しいばかりに小さな建物だった。その寮には二十人ばかりの男子生徒が暮らしていた。
寮の職員は、二、三年前に夫人を亡くした六十近い舎監と、竹本夫妻、それに私と、大城さんという女中の五人であった。
私は北区の船岡山近くに下宿してこの寮に通勤していたのだが、他の人達は全員住み込み。竹本は左京区岡崎の分校に、舎監は梅津の大学本部に経理関係の仕事で毎日通勤するので帰りも遅く、寮生達も学校に行ってしまうと、あとは私と竹本夫人、大城さんの三人だけとなってしまう。
寮の事務仕事といっても経理出納の類や営繕関係のもので毎日忙しいわけでなく、学生達が夏季休暇などで帰省してしまうとガランとした感じで、賄係の竹本夫人や大城さんもやれやれといった風。大いにのんびりしたものであった。もっとも二人の女性の仲は大変悪かったが……。
それはさておき、当時の私は大学を出てそこの職員になってから丁度三年目で、給料は安くても酒や煙草は全然やらないし、特に不便を感じることもなく自由を楽しんでいた。とりわけ熱を入れていたのは読書である。といっても普通の本ではない。当時、『奇譚クラブ』とか『風俗草紙』といった特殊な書物が「SM雑誌」として初めて登場し、それまで日本ではこの種のものがなかったので大いに話題となったものである。
そこには様々な冒険者たちの体験告白が載っていたが、かくいう私自身、実はいかがわしい店の女性を相手にエネマプレイを行なったことがあり、当時ですでに三人の女性を手がけていた。そう、私はその頃、竹本多美子を四人目の犠牲者にしたいと考えていたのである。
(続く)
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