THE ABLIFE August 2011
「あぶらいふ」厳選連載! アブノーマルな性を生きるすべての人へ
縄を通して人を知り、快楽を与えることで喜びを得る緊縛人生。その遊行と思索の記録がゆるやかに伝える、人の性の奥深さと持つべき畏怖。男と女の様々な相を見続けてきた証人が、最期に語ろうとする「猥褻」の妙とは――
戦争前に作られたような古いフィルムだった。
タイトルも主演俳優も忘れてしまったが、
クライマックスで、ヒロインが縛られるシーンがあり、
それはホンの5、6秒間のものだったが、
私の魂に鮮烈に焼きついた。
タイトルも主演俳優も忘れてしまったが、
クライマックスで、ヒロインが縛られるシーンがあり、
それはホンの5、6秒間のものだったが、
私の魂に鮮烈に焼きついた。
恥ずかしいことを、早く懺悔してしまいたいので、時代をすこし飛ばして戦後(一九四五年頃)のことを書く。
私の「オナニー地獄」のことである。
とは言っても、私がここでいきごむほど、恥ずかしいことでもなければ、わざわざ「地獄」とよぶほどのことでもないかもしれない。なにをいまどきオーバーな、と笑われるかもしれない。ま、笑われても仕方がない。書かねばならない。
一九四五年八月十五日、つまり敗戦の日、私は十五歳だった。
アメリカ空軍の無差別爆撃によって破壊され、焼きつくされた街の中を徘徊する話は、すでにあちこちに書いているし、いわゆる焼け闇市派世代の作品もたくさんあるので、この時代の状況はできるだけ省略する。
15歳のころから数年間(つまり男の性欲が最も盛んなときである)私はオナニーをするために映画館に通った。
繰り返すが、私が映画館にいくのは、ひそかに、オナニーするためであった。
「戦後の日本映画史」みたいな本を手元にひろげておけば、それらの映画の一つ一つのタイトルも、封切され年月も大体わかるのだろうが、いまはそういうことをせずに、時系列など無視して、記憶だけで書きすすめる。
つまり、順不同で書いていく。
要するに、どんな内容でもかまわない。ストーリーが展開していく中で、女性が縛られるシーンがあれば、それがたとえ三秒間でも五秒間でも、それを凝視しながら私は興奮し、オナニーした。
当時は、映画館の入り口わきに、スチール写真をたくさん貼り付けた大きなウインドウがあり、その写真を見れば、映画の中に女優の緊縛シーンがあるかどうかの見当がついた。
緊縛場面そのものがなくても、それに近いような、つまりヒロインが危機におちいりそうなスチール写真があれば、私は期待に胸を熱くふくらませて入場券を買った。
スチール写真だけに緊縛シーンがあり、映画の中にそういう場面がないときもあった。
そのときの私の失望感は大きかった。
ウインドウのスチール写真だけを見て、予感して映画館の中に入り、その予感よりも期待していたシーンがたっぷりあったときのよろこびは何物にも代えがたかった。
そういう映画は、どんな駄作でも、私には名画のように思えた。
総武線平井駅前に、戦災をまぬがれた古い三流の映画館があり、そこで三本立ての映画をやっていた。
封切られてから半年以上もたつ映画で、その中の1本は戦争前に作られたような古いフィルムだった。
タイトルも主演俳優も忘れてしまったが、クライマックスで、ヒロインが縛られるシーンがあり、それはホンの五、六秒間のものだったが、私の魂に鮮烈に焼きついた。
いま観たら、たいしたシーンではなかったにちがいない。
時代物で、百姓家の納屋のようなうす暗いところに、町娘がひとり、ひっそりと後ろ手に縛られているシーンだった。
他に人物はいない。声も音もしない。
本当にひっそりと縛られ、かすかに悶えながらすわっているのだった。
その姿に、私の心臓はドキンと高鳴った。
私はズボンのボタンをはずし、その周辺をゆるめると、スクリーンの女優を凝視しながら、オナニーをはじめた。
ここで私は、当時の三流映画館の客席について、すこしばかり説明する。
信じられないだろうが、すべての物資が欠乏している戦後の時代であり、映画館の客席に並べられていたのは、ごく粗末な、通称縁台とよばれる、正確にいえば床机(しょうぎ)という類いのものだった。
むろん、木製である(いや、いま思い出した。場末の三流館に限らず、有楽町駅前の現在の丸の内ピカデリーやTOHOシネマなどの劇場が入っているあの巨大な建物も、爆撃をうけて廃墟同然となり、その地下にあった小さな映画館には、木製の縁台もなかった。客は全員立ったまま映画を眺めていたのだ)。
その木製の長椅子は、四メートルほどの長さで、背もたれもひじ掛けもない。
そのとき私は、その長椅子の一番右端に腰をおろしていた。
スクリーンに近い、一番前の客席だった。
私の左側には三人分ほどの空席があり、そのむこうの端に、小学校四、五年生くらいの少年が二人並んで腰かけていた。
その少年のひとりが、暗がりの中で顔をねじまげて私にむかい、声を放ったのだ。
「おじさん、椅子をガタガタさせないでよ」
それは少年らしくない、低いが鋭い声だった。
私はまだ十代だったが、暗い中ではおじさんに見えたのだろう。
少年の叱責の声に私はおびえ、あわてオナニーを中止した。
恥ずかしさに、呼吸がとまりそうになった。私はうつむき、耐えた。屈辱に耐えた。
映画はつぎのシーンに変わっていた。
私は背中を丸めたままの姿勢で台から離れ、最後部のだれもすわっていない左端の席に腰をおろした。
すぐに映画館の外にとびだしたいほど恥ずかしかったのだが、縛りのシーンを観なおしたい気持ちのほうがつよかった。
映画は三本立てだった(当時の映画はすべてモノクロだった)。
他の二本は現代恋愛物と喜劇で、縛りのシーンはない。私はすでに三本とも観ていた。休憩時間を入れると、ふたたびその映画の縛りのシーンになるまで、三時間以上あった(いまはほとんど入れ替え制になっているが、当時は一日中映画館の中にいられた)。
わずか四、五秒だが、どうしてもそのシーンが観たかった。私は飢えていた。三時間半暗がりの中で待って、私は観るつもりだった。
私のすわっていた木の台に、新しい客が入ってきて、腰をおろしてしまった。私は立ちあがった。恥ずかしい思いをするのは、もういやだった。
立ったままで、そのシーンがくるのを待った。通路わきのコンクリートの壁に、右の肩をつけ、よりかかった。
そのシーンが近づいた。
左手に持っていたズックの鞄で、前を隠した。
壁によりかかって体を支え、立ったままでオナニーをした。
射精するとき、脚の膝が、がくんがくんと前に折れた。それほどの快感があった。
だが、快感も欲望も、急激にそして非情にさめていく。男の生理は非情で残酷である。
目の前が霞んだ。私は倒れるようにして、木の椅子に腰をおろした。
(続く)
『濡木痴夢男の秘蔵緊縛コレクション1「悲願」(不二企画)』
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