WEB SNIPER's book review
あらゆる媒体は"性"を通過する!
ビニ本やエロ雑誌、ピンク映画にアダルトビデオ。時代ごとに流行するエロジャンル、度々更新される規制、そして新たな技術と共に移り変わるエロのアレコレを網羅した、安田理央氏の新著『エロメディア大全』。『調べる技術: 国会図書館秘伝のレファレンス・チップス』の著者である小林昌樹氏による書評をお届けします。
諸君 私は本が好きだ
諸君 私は本が大好きだ
『独学大全』26万部以来、続々刊行される「大全」ものも好きだ。
しかし「大全」もので本当に大全なのはそう多くない。
諸君
『エロメディア大全』こそホンモノだ。
■安田氏こそエロコレクターの大〈変態〉
文筆家の平山亜佐子女史に紹介され、著者にはじめて会った際、言われて「なるほどもっともだ」と心底感心したのが、「個人のエロコレクションだと、自分の〈性癖〉によって極めて狭いものになる」という指摘だった。
最初は分からないものだから広くエロ本を見ても、長じるに従い、同一ジャンルや同一人のものばかり見るようになる、といった読書遍歴は、WEBスナイパーの読者におかれても、胸に手を当てれば納得できるのではなかろうか。
つまり、大人になればなるほど趣味が狭くなり、特定ジャンル外を見ないようになってしまうのが、この手の資料なのだ。しかし、本書『エロメディア大全』は著者、安田理央氏の私的だが研究用に拡張されたコレクションを背景に執筆されているため、エロコレクション生来の弊害をまぬがれている。標準から偏差している状態を〈変態〉というのなら――最近、この言葉はhentaiとして、ズレた意味で英語になってしまったが――安田氏こそエロ本コレクターの大〈変態〉と言えよう(褒め言葉)。
■自分が「抜けない」ジャンルが楽しめる本書の不思議
私、評者は前職・国立国会図書館で調べもの相談を15年ほどやり、職務としてエロ本の調べの相談にものったこともあるが、エロに関しては抜け(欠本)だらけの法定納本コレクションを使いながらのものだったので――なにしろ、かの有名な雑誌『100万人のよる』が1冊もない――内心、忸怩たる思いであった。一応、拙著『もっと調べる技術』(皓星社、2024)に「風俗本(成人向け図書)を調べるには」を記載しておいたが。
その点、本書は規模はともかく幅がまんべんなくある安田コレクションを背景に書かれているので信頼できる。そして、なによりオモシロい。私も同時代に生きていながら全く知らなかった文物もちりばめられている。
たとえば「ブラックパック」(p.162-)。1980年代に猖獗を極めたレンタルビデオ店の一隅に「真っ黒な紙のケース」に入れられた、正規問屋を通さず「カバン屋」が運んでくるビデオが並んでいたという。実用度はちょっといかがなものか、と思われるコンテンツ内容については本書を読んでいただくとして、そこで述べられているシュールな中身については、驚きと奇妙なオモシロさを感じてしまう。自分の指向と離れたジャンルであればあるほど、そこに驚きとオモシロさを読者は見出すだろう。
■「大全」にふさわしい包括性
本書は前半で「アダルトビデオ」「写真文庫」など形式別に資料群を列挙し、タイトルに「大全」とあるように、戦後エロメディアの全体を示すよう構成されている。「第1章 エロメディア大百科」で、「紙メディア編」と「映像・音声メディア編」に分けられている部分がそれだ。出版用語で言うと、「紙メディア編」はほぼ「エロ本」(大正震災後の新語)にあたるが、「映像・音声メディア編」を一言でいうと、1980年代からの用語「パッケージ系」でくくられるだろう。2000年4月7日、国立国会図書館法の一部を改正する法律(平成12年法律第37号)で新しく法定納本に加えられた「パッケージ系電子出版物」というやつだ。
本書後半は、テーマ(むしろモチーフか?)と代表的メディア形式で編成されている。「第2章 エロジャンル大辞典」は、よく取り上げられるテーマ、「熟女」「巨乳」といったものの歴史を追う。絵画でいう「画題」にあたるものだ。「第3章 エロ雑誌列伝」は主要雑誌17タイトルの解説である。雑誌は昭和~平成期、趣味メディアの王道だった(エロが趣味と言えればだが)。
読者は現在なら昭和戦後生まれから平成生まれまでだろうが、それらの人々、つまり我々が享受、あるいは見聞きしたメディアのどれかが解説されているはずだ。私が中学生だったころ、駅前の古本屋・朝日書店に吊るされて売られていて、いぶかしく思ったカセットテープがちゃんと「エロカセット」(p.144-)として解説されていて驚いた。あれはそういうことだったのか!
そして未来の日本人には戦後期日本人――主に男性だが――のエロメディア受容の片鱗を垣間見る重要なツールとなるはずだ(女性むけ「レディースコミック」の項目p.96-もある)。
■純粋に(?)楽しいコンテンツ――「中の人」の研究
WEBスナイパーの読者なら、ビデオデッキの普及、それもベータvs.VHSの規格戦争における勝利に、電気屋さんがおまけでつけた「洗濯屋ケンちゃん」が役立った伝説を知っているだろう。ニュー・メディア普及の最先端には、常にエロコンテンツがある。本書はエロの総覧なので、結果として時代時代の先端メディアが紹介されていると言ってもよい。その多くが紙メディアとビデオなど過去メディアだが、だからこそ「インターネット黎明期」(p.210-)なる項もちゃんとあり、日本のHサイトの最初「東京トップレス」が紹介されている。なんと、著者がその立ち上げ人の一人だったとは!
本書の良さ、楽しさには、学者が公的な資料を使ってやるような外在的研究でない点もあろうかと思う。エロの実務家、「中の人」が、実務に従事するだけでなく、研究性を発揮してまとめたものである。このことが、なんというか、臨場感を醸し出しているのだろう。評論家の野球論でなく、選手の野球論というか。斎藤昌三『三十六人の好色家:性研究家列伝』(創芸社、1956→有光書房、1973)以来、性研究は文献派と実践派に分けられてきたが、それが合一しているのが本書である。
荒木優太『在野研究ビギナーズ』(明石書店、2019)が売れたりして在野研究論が論壇で若干流行りだが、著者はまさに在野研究者をHな領域で実践しているわけである。
■本の民衆史、あるいは悪書の歴史
従来、出版史は名著や良書の歴史として書かれてきた。本書は逆で、ある種の「悪書」「俗書」の歴史だ。政治家や英雄の歴史があってもいいが、街のおじさんおばさんの歴史だってあるはずだ。いや、むしろ、そういったふつうの人の歴史こそ大切だと、民衆史を新学問「民俗学」として戦前に打ち立てたのが農政官僚、柳田国男だった。そうしてみると、安田氏は出版史の柳田国男と言えるのかもしれない。しかし、柳田は民衆史を早期に学問化する上の戦略として「エロ」を一貫して回避した。一方で安田氏はエロそのものに向き合っている。そうするとむしろ、「性とやくざと天皇」を対象としていないと、柳田を批判した民俗学者・赤松啓介になぞらえるべきだろうか?
■エロ本にも、歴史がある――雑誌研究は意外と難しい
中学生時代、埋立地の草むらに打ち捨てられていたSM雑誌を同級生(高野くんだったか、間違っていたらゴメン!)に教えられたりしたものだったが、当時は未成年だったし、文化としてエロ本は今ほど市民権を得ていなかったので、その全体像はずっと不明のままだった。本書を見ると、SM雑誌というものが昭和後期の日本である種の流行りとしてエロ本のトレンドを占めていた、ということがわかる。
私は大学時代、海外へのあこがれから「金髪雑誌」(p.50-)をよく見たものだが――当時は「洋ピン誌」と言った憶えがある。実際、それで米国AV女優のファンクラブに入ったし、金髪御三家ではいちばん上品だった『Dick』(大洋書房、1984-)に就職しようと思ったことさえある――ジャンルとしての洋ピン誌も『バチェラー』(ダイアプレス、1977-)の解説(p.276-)をあわせて読むと、よくわかる。
雑誌研究は佐藤卓己『『キング』の時代:国民大衆雑誌の公共性』(岩波書店、2002→岩波現代文庫、2020)の成功以来、学術界で大流行だが、「宇宙戦艦ヤマト」をブーム化したアニメ雑誌とされる『OUT』が、当初、文化バラエティ雑誌だったように、雑誌そのものが創刊時から性格を変えることはむしろよくあることで、雑誌研究は意外と難しい。その雑誌の出自や類似誌と関連させないと、つまらない「業績稼ぎ」論文になってしまう。
安田氏の雑誌研究はご自身の研究用コレクションを背景に信頼できるものだ。『オレンジ通信』(東京三世社、1982-)のほぼ揃いを安田氏の事務所で見た際には腰が抜けた。だからこそ、本書(p.91)でその性格の変遷を数行でまとめる一方で、「フルーツ本」「通信本」というサブジャンルとからめて詳述(p.304-)もできるわけだ。
■索引もついている――研究への出発点
私と著者はまさに同じ年の生まれなのだが、同時代に生きて、実際に見聞きしていたことと、それが何なのか(何だったのか)わかるということは、必ずしも連動しない。本書の良さは、それが融合して全体像がわかることだろう。
巻頭の「エロメディア年表」(p.4-)は、内容の各項と連動した全体の盛衰がわかるある種の索引となっている。また、通常の索引も代表的な人物や事物に限られているが巻末についていて、一般書なのに研究的にも使えるようになっている。
この巻末索引を眺めていたら中野D児氏の名前を見つけた。模型店を経営していた私の親が「ディーさん」と呼んでいたのを憶えている。どうやら良い顧客だったらしい。プラモデル趣味とAVは「選択的親和性」(byマックス・ウェーバー)があったのだ。Hentaiが、英語に成人向けアニメ・マンガの意味で入ってしまったように、日本的サブカルチャーは伏流水でつながっているのだろう。
索引に採られていない事項もたくさんあるので、もし自分に余力があれば、本書の別冊索引を作ってコミケで売ってしまうことだろう。また、本書で立項されている各メディア類型が当初、どのように呼ばれていたのか、といった考証も試してみたくなる(例えば、「洋ピン誌」は、いま国会図書館のデジタルコレクションを検索すると、どうやら「洋物ピンク映画」という用語の派生らしい)。
戦後日本人のエロメディア、その全体像を手っ取り早く把握するには本書は最適と言えるし、個別研究の出発点にもなる。著者には「エロ研究のリファレンス書籍ガイド・エロ本編」(『近代出版研究』第3号 2024)という研究入門記事もある。
■エロ本研究にも、歴史がある
前職時代、エロ本の相談も受けたことがあると書いた。LGBTQ研究の貴重な資料になるらしい。むしろこれから役に立つのがこの手の資料だろう。資源ごみや古書店でただ同然で拾えた時代はとうに過ぎ、ネットオークションでプレ値がつく時代になりつつある。国会図書館にある法定納本コレクションの納入率は、学者が計測した2割にまったく満たないと安田氏は言う(直話)。
拙著にも書いたが、今まで私はエロ本の全体像を見ることができるレファレンス資料として、松沢呉一『エロスの原風景:江戸時代~昭和50年代後半のエロ出版史』(ポット出版、 2009)を推奨してきた。しかし、Amazonを価格履歴ソフトKeepaで見ると、これは2018年ごろから品切れのようで、古書価にプレミアがついている。松沢著に代わり全体像がわかる本として新たなスタンダードになったのが本書『エロメディア大全』ということになる。本書で扱っていない戦前期のエロ本については、松沢著を図書館などで参照されたい。
本書の著者は編者として『アダルトメディア年鑑2024:AIと規制に揺れる性の大変動レポート』』(イースト・プレス、2023)にも関わり、エロメディアについて、この世で誰もわからなくなっていた現在ただいまの全体像を描いた人でもある。本書と『アダルトメディア年鑑』で日本のエロメディア全体がはじめて十全に理解できるだろう。ここでは「本」に寄せた書評を展開したが、研究の蓄積が多少なりともあるメディアだからにすぎない。本書は「映像・音声メディア編」も充実している。
松沢呉一氏もそうだったが、現在事象に直接取材しつつ、広汎な古本収集もバックにある手堅い本が本書『エロメディア大全』なのだ。エロ本研究の歴史をふまえた最先端がここにある。
なによりオモシロいから読んでみて。
文=小林昌樹(『近代出版研究』編集長)
『エロメディア大全』(三才ブックス)
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