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『うそつきパラドクス 1』
著者:きづきあきら、サトウナンキ
発売日:2009年9月29日
出版社:白泉社
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対談:村上裕一・佐藤心/萌えとセックスの過去・現在・未来【3】
かつては秘匿されてきた性の営みがメディアと技術の発展で白日の下に晒されている現在、様々なジャンル・作品においてセックスはどのように表現されていくのでしょうか。ゴールデンウィークの特別企画として好評を博したテーマをさらに掘り下げるべく、連載「美少女ゲームの哲学」でお馴染みの批評家・村上裕一氏と、ゲーム『波間の国のファウスト』が好評発売中のシナリオライター・佐藤心氏によるスペシャル対談をお届けします。縦横無尽な対話の先に見えてくるものとはいったい何か......。貴重な思索の記録を4週に分けて掲載中!!
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■高度欲望成長を遂げた日本

 前回まではいわば、過去を踏まえた現在というスタンスでしゃべってきましたが、ここから現在を踏まえた未来へと、徐々に視点を後ろではなく前に向けていきたいなと思っています。何か特徴的な萌え、あるいはセックスを描いた作品をきっかけにしたいのですけど、村上さん何かあります?

『うそつきパラドクス 1』著者:きづきあきら、サトウナンキ 発売日:2009年9月29日 出版社:白泉社
 ちょっと特殊な事例としてこの漫画を取り上げてもいいかもしれません。先日、『うそつきパラドクス』(白泉社、2009年)という作品が完結したんですが、この恋愛観がなかなか独特でした。簡単に説明すると、要は浮気物です。ヒロインは名古屋の彼氏と遠距離恋愛をしているのですが、会社の残業で仲良くなった主人公と一気に性的な関係になってしまう。しかし、セックスをしたら取り返しがつかなくなる、ということでそれだけは徹底的に避けるんです。しかし、避けただけでもうやりたい放題、ほとんどやってるのと変わらないだろうという状態なんですね。ただ、最終的に我慢できなくなってセックスしてしまうんですが、その結果、本当に関係が終わってしまいます。
ここからが重要で、その後名古屋の彼氏が東京にやってきて、主人公とヒロインを奪い合うんですね。別れたのに奪い合いもないだろうと思われるかもしれませんが、彼氏の登場によって、浮気相手の主人公に対する愛情がむしろはっきりしてしまうんです。自罰的なヒロインは、二人に対する良心の呵責が強く、それによって二人ともと別れようとしますが、なんと男たちが出したソリューションは「同時に付き合おう」でした。三角関係といえば三角なんですが、ガンガン3Pをしたりしていて、かなり自由な世界に突入しています。しかし、驚くべきことにこの時期がいちばん安定した関係性でした。名古屋の彼が快調に縁談を進めていたことにより、この共同生活を破産させなければならなくなったのですが、主人公の決断は「ヒロインのために身を退く」、ヒロインの決断は「彼とは結婚しない」だったので、単に解散した形だったんですね。で、最終的には二年後に主人公を忘れられなかったヒロインが改めて告白して、何もしがらみがない状態で結ばれる、というなんとも破天荒な話です。僕は偏愛しているんですが(笑)。

 「同時に付き合う」とはいっても、本当にシェア状態は成立したんですか?

 しました。むしろ非常に理想的にしていました。ただ外部環境に勝てなかったんですね。名古屋の彼は家族ぐるみでヒロインと付き合っていたので、両親やら姉やらが結婚へと歩みを推し進めてくるんです。正直、彼も本当は結婚しなくてもいいと思っていたんだと思うんですけどね

 ストーリー展開だけをなぞっていくと確かにむちゃくちゃな話に聞こえますが、最終的に主人公とヒロインが結ばれることからも明らかなように、何かしらの恋愛観、それこそ結婚観のようなものを打ちだしているとも受けとれます。

『ふたりエッチ 1』 著者:克亜樹 発売日:1997年8月 出版社:白泉社
『ゆびさきミルクティー 1』 著者:宮野ともちか 発売日:2003年7月29日 出版社:白泉社
『セルフ 1』著者:朔ユキ蔵 発売日:2008年12月26日 出版社:小学館
『M[エム] 豪華装丁版』著者:桂正和 発売日:2005年1月1日 出版社:集英社
 巻末でこの作品をフィーチャーした婚活パーティーが宣伝されてますからね(笑)。あとこれは「ヤングアニマル」(白泉社)に載っている作品なので、近くに『ふたりエッチ』(白泉社、1997年)が載っているわけです。もはや批評的といってもいい取り合わせかもしれませんね。

 『ふたりエッチ』の後継的な位置づけの作品なのでしょうか?

 同時に掲載されており、しかも『うそパラ』のほうが先に完結している以上、後継ということではないと思うのですが、確かに『ふたりエッチ』的なストレート感に対する反動が来ているのかもしれませんね。多少関係があるかもしれませんが、僕がこの数年で面白いと思った青年誌のエッチな漫画って、だいたい倒錯を扱っていました。ひとつは『うそつきパラドクス』ですが、同じ雑誌でやっていた『ゆびさきミルクティー』(白泉社、2003年)にも凄い思い入れがありました。これは女装して写真を撮ることが趣味の男の子が主人公の作品で、登場する人物がみんな倒錯的性癖を持っていたことで有名です。最終的には幼馴染の女の子とセックスするのですが、それによってストレートになってしまい、女装することでアクセスできていたもう一人の自分と決別することになってバッドエンドに至ったという、なんとも恐るべき漫画でした。

 恋愛が成就するにせよ、破綻していくにせよ、そこへ至るドラマツルギーに性倒錯が別ちがたく埋め込まれていて、ストレートかつ素朴な恋愛を複雑化し、盛りあげるためのファクターになっていたわけですね。

 あと印象深いのは朔ユキ蔵の『セルフ』(小学館、2008年)ですね。こちらは若くして幾人もの女性を虜にした主人公が、大人になって初めてオナニーの魅力と出会い、オナニーの研究をし始めるという漫画です。いずれをとっても明らかなのは、普通のセックスがゴールになっていないということですね。
ちょうど前回はマゾヒズムの快楽についてちょっと話題になりましたが、その点では僕は桂正和の『M エム』(集英社、2005年)を気に入っています。ある意味『うそつきパラドクス』のような内容で、急に部屋にやってきた女の子とひとときの交流をするのですが、セックスをしたら出ていかないといけなくなるという条件がありました。で、最終的にしちゃうんですが、した理由が驚くべきもので、我慢できなくなってしたのではなくて、それによって別れることが最大の快楽だからという驚くべき解釈が示されます。まさに放置プレイの話ですね。

 『M エム』は僕も読んだことがあります。我慢強い男が、仰るとおり放置プレイ的なマゾヒズムに目覚める話だったと記憶しています。自己完結的に閉じていくことの先に、生殖に向かう単純な快楽と区別されるところの享楽が見いだされているといった結末でしょうか。しかしセックスの話をし始めると、どういうわけか評論の世界では快楽は劣っていて、死の欲動に開かれた享楽のほうが高級という論法になりがちです。昔からこの点には違和感があるんですけど。

 僕は東さんの動物化論と少し関わりがあると思うんです。

『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』著者:東浩紀 発売日:2001年11月20日 出版社: 講談社
 僕も同感です。『動物化するポストモダン』(講談社、2001年)は「全部萌えのデータベースで、享楽なんかなくね?」っていってる本だと思うんですよ。「なくね?」はいいすぎにしても、欲求を効率的に満たす消費社会の進展によって、人間の欲望のあり方、捉え方が大幅な変質を迫られているというか。

 データベースを背景にした最適な組み合わせを競うゲームに、超越的なものが宿るのか、という問題だといい換えることができるかもしれません。

 そうした問いを踏まえると、先ほど指摘された性倒錯モチーフの数々は、消費社会のメカニズムに回収されないものを一生懸命作ってるようにも見えるわけですよね。

 僕がゴーストということをいっているのは、キャラクター受容においてそういうことが起きる、と考えているからですね。僕は虚構の構造とか虚構の身体性を練り上げる技法に凄い興味があるんです。そして、日本人はそういう感性をこそ、ずっと鍛えあげてきたんじゃないかと疑っているんです。エロスに対する感度がキャラクターの強度と関係があるという見立てを冒頭で説明しましたが、エロに対する感性を鍛えながら全く別な器官も磨いていたのではないか、ということですね。

 「別な器官」というのはいいえて妙ですが、「ここではないどこか」「存在しない誰か」を身体化する能力ともいい換えられそうですね。現実的な生の位相とは異なる位相を作りあげられるのは人間に備わった能力ですけれど、それを鍛えあげるには社会的な環境が必要である一方、エロというのはそうした能力を飛躍的に高めるキーファクターだったのでしょう。
他方で村上さんが挙げた『うそつきパラドクス』、あるいは『M エム』でもいいですけど、そこで描かれている快楽は、キャラクターの強度を高めるのとはまた異なっていて、むしろ快楽そのものの強度を高めるべく、マゾヒスティックな形式が採用されている気がします。「ヤる」ことより「ヤラない」ことの意義が強調されているという意味で、非常にスノビズムっぽいなと思いました。データベース化した、東さんふうにいえば「動物化した」快楽に囚われない方向をめざした結果でもあるので、当然なのかもしれませんが。

■バブル化した欲望の行方

 スノビズムっていうのは形式を愛でる倒錯のことですが、最近僕はその先があるような気がしてるんですね。特にそれを実感したのは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年)を見たときです。あれは第一の層としてミーハーな受容がありました。「演出すげー! シンジさんかっけー!」という感じです。第二の層としてシニカル批評の層。「映像が派手なだけだろ。TV版のほうが説得力あったし。つーか同人誌とかのほうがアツくね?」。第三の層としてカルトの層があります。「これはマジで神がかっている。すべての歴史に清算を与える碇シンジの怒りのようなものを感じ取った」的な何かです。

 待ってください。何をいっているのか分からないのですが(笑)。

 当時、僕はいろんな人に「君の日本語の意味が分からない」といわれました。ともあれ、個人的な感慨がスパークした結果、シニカルな分析的精神を突き抜けることが、まあ僕に限らずあるのではないかと思ったんです。

 ああ、ようやく腑に落ちました。いってしまえば「カルトの層」は「キターーーーー!」なわけですが、村上さんは「キターーーーー!」のメカニズムを考えたいんですね。シニカルではない批評の可能性をそこに見いだしたいと。

 そうです。3つの層は心理的構造というだけで数字の順序による劣位や優位の話ではないです。案外これには普遍妥当性があるような気もしているんですね。仰る通り、シニカルな構造のものをみんながシニカルに受け取るかどうかは全く分からないじゃないですか。

 「寝取られ」ものをプレイしても、たんにエッチな絵がたくさん見れると思うのか、複雑な形式に着目してそれを吟味するのか、圧倒的な凄さを感じ取ってそこから吟味をスタートするかの違いですね。

 BLなどは多くの男性にとってはそういう対象かもしれませんね。内部から見ればそれなりに精緻なロジックがある。例えば関係性萌えというような概念もあるようです。

 関係性萌えをめぐる精緻な議論は追いきれていないのですが、BL のキャラクターに関してだけいえばかなりデータベース化されているように見えます。メガネキャラは鬼畜なワルとして描かれますし、女性向けの戦国もので、伊達政宗が鬼畜キャラとして確立したのは眼帯=メガネつながりだと考えれば分かりやすい。

 むしろその例だと戦国武将そのものに興味がありますね。僕はよくこういうことを考えます。戦国武将はもうゴースト化しているんですよ。その証拠に、この十年だけを見て一体どれだけの伊達政宗がいますか。『戦国無双』(コーエー、2004年)『戦国BASARA』(カプコン、2005年)『花の慶次-雲のかなたに-』(集英社、1989年)『CR戦国乙女』(平和、2008年)『政宗』(大都技研、2011年)『戦国IXA』(ヤフー/スクウェア・エニックス、2010年)『戦国コレクション』(コナミデジタルエンタテインメント、2010年)......。まあ無数です。こういう事態は、固有名と外見的特徴(最小限のルール)の結びつきによって成立していますから、まさに初音ミクみたいなものです。このことによるバリアントな豊かさはとりあえず自明として、面白いのは固有名に"色"が付いていることですね。色というのは傾向性のことです。都市伝説化した固有性とか、そういういい方ができるかもしれませんが、これのおかげで、それこそカップリングの理解などが高速化しつつ、しかも多様な関係性が作れるのかな、と思います。

 戦国武将自体が村上さんのいう固有名、ビジネスライクにいえば知名度なりブランド価値なりをあらかじめ内包したキャラクターデータベースですよね。『動物化するポストモダン』が出た当時、僕はそれをフォローする形で「歴史もの」とデータベース消費の相性のよさを指摘したコラムを書いたんですけど、寸分違わず予想したとおりの世界になりました。とはいえ快調に分析脳が起動する村上さんと違って、そのことを「凄い」と思える感性は僕にはもうないですね。うっかりすると遠い目になりそう......。

 それは......年齢の問題ですかね(笑)。

『ギャラクシーエンジェる~ん Blu-ray Box』監督: 森脇真琴 発売日:2010年1月19日 販売元:バンダイビジュアル
『探偵オペラ ミルキィホームズ【1】』 [Blu-ray] 監督: 岸誠二 発売日:2011年1月19日 販売元:ポニーキャニオン
 いやまったくそのとおりだと思います。なんだか話の腰を折るようですが、現在のキャラクター文化って、いよいよ江戸時代の極地だなと感じるんですよ。多くのユーザーがいろんな形でコンテンツを楽しみ、リテラシーもアップし、コンテンツの質もアップしていった。そう考えれば、確かにこんなにいい時代はないのかもしれない。けれど『ギャラクシーエンジェル』(ブロッコリー、2002年)は好きだったのに、『探偵オペラ ミルキィーホームズ』(角川書店、2010年)には今ひとつハマれない昨今の自分を省みるに、キャラ萌え自体が形式化し、そうした形式を愛でるのがデフォルト化したとも、キャラクターが人間の影を失い、どんどん純粋化していったとも思えてきて。

 もちろん、僕はキャラクターがそういうふうに支えられていると考えているので、その文化観には基本的に同感です。しかし、そういう文化的傾向ももう円熟というか爛熟なんでしょうかね。化政文化を思い出します。

 ええ。江戸末期、幕末も近いのかなって。

 こういう推移には、やはりネットの大きな影響を感じますね。ポール・ヴィリリオは、表現技術の加速化によって再現=表象の芸術は決定的な打撃を被るといっていました(※1)。その打撃が実際のところ何なのかと考えたときに、消費の速度が速まっていることはまず間違いない。一気に咲いて、すぐに散るわけです。例えば一本一本のアニメなんかが分かりやすいですが、全体的にいえばジャンルとしての美少女ゲームにもそういうことはいえるのではないでしょうか。

 美少女ゲームも今や、バトルものと並ぶ二大潮流としての美少女もの、その一角を占めるサブジャンルに過ぎないですからね。以前はそうではありませんでした。美少女ゲームが台頭した時期というのは、恐らくどんなコンテンツを作ればユーザーに届くかを資本の側が見失っていた時期と重なっていて、ゆえにこそプレゼンスを発揮できたんですね。いずれにせよゼロ年代というのは、その頃に発達した消費のサイクルが、加速し、拡大していった10年間でした。結果、お寺やコメにまで美少女アイコンが乗っかるようになってしまったわけですが、消費と文化が手を携えていた以上、今後「右肩下がり」の衰退を余儀なくされる日本社会で萌えなりセクシュアリティのあり方はどのみち変わっていかざるを得ないというか、「今がピークだ」という感覚は漠然とした形ではあれど広く共有されていくのではないでしょうか。

■萌えセクシュアリティの安定と融和を目指して

 こういう話を聞いていると、我々がイメージするような第一世代だの第二世代だのといわれてそれなりに流れを持っていたオタクの姿は、未来にはなくなってしまいそうだな、と思いますね。実際、どんなお金持ちがどんな広い家でやるのだろうと思います。

 それは明らかですね。収入が細ってカネがなければコレクションどころではない。

 これは、オタクに物理的基盤が脆弱なことの弱点ですね。ある時期には、オタクを一つのセクシュアリティとして見るような方向性もあったんですが......。男女の場合、生物学的差異がよすがになるところがあって、だから身体改造に意味があると思うんですね。でも、カジュアルなオタクしかない世界になったら、それが性に変わるような差異を作り出すものになるとはとても思えませんね。反動で相当ヘテロな世界が来るかもしれません。

 オタクの性=第三の性と見なせるようなまとまりは現時点でも急速に細っているし、新規参入層の人口も激減している。普通の人をターゲットにした作品が増えていくという話も信憑性を持つわけですね。実際、コンビニ売りのエロ漫画雑誌などは、そうした読者向けのコンテンツへと変質していっているように見えますし、キャラクター表現も現在の豊穣さを保ったものと、創意や遊び心を欠いた貧しいものへと二極化していくのかもしれません。

 貧富の差が著しく激しくなって、オタクになる層が中流以下になるとしたら安価なものが商品になりますよね。そうなってくると、相当メジャーなものしか商品にならないと思いますね。例えば初期美少女ゲームは、スノビッシュかもしれないけれど、アングラならではのアート感があったからこその活況でした。でもそんなのもういらなくなって、みんなの欲望の最大の共通部分であるエロだけが残るようになるわけですね。それは他のギャンブルみたいな遊戯が主に低所得者層を市場にしているのと同じことです。

 もっぱらコンテンツによって性欲を満たすのではなく、たんに恋人やパートナーとのセックスを楽しんだり、リアルで満たせない性欲を満足させるためのコンテンツが発達したりと、何かしらリアルとの関係がキャラクター文化の主要テーマになっていくのでしょうか。妙に想像力が刺激される話ですが。

 僕は逆説的なことを思いました。ヘテロ化が進むことによってキャラクター文化が衰退する、というわけでもないのではないか。要するに我が家では快調にセックスして子供作って5人くらいの家族を作るけど、同じように5人くらいの世代のボーカロイド家庭が横にあって、家と家との付き合いが発生するようになるのかなって(笑)。

 えらい方向に突き抜けましたね(笑)。

 これは『ゴーストの条件』でもいっていることですが、僕はキャラクターを遠くの現実にいる人だと思っているんですね。海を挟んで隣国にいるくらいのイメージです。例えばスカイプでビデオ通話していれば、その相手の実在を疑ったりは普通しないですよね。相手が外国人だったらコミュニケーションがスムーズにいかなくても普通ですよね。そういう対象だと感じるんです。

 なるほど(笑)。

『あたしンち (1) 』著者:けらえいこ 発売日:1995年4月 出版社:メディアファクトリー
『サザエさん (1)』著者:長谷川町子 発売日:1994年9月 出版社:朝日新聞社
 問題はそういう感性を持ったオタクがこのまま大人になっていったらどうなるのかですね。『あたしンち』(読売新聞、1994年)とか『サザエさん』(姉妹社、1946年)に見られるようなお父さん像ってありますけど、とてもあんな感じになるような気がしない。さらにいえば老後になると想像がつかない。もしかしたら、みんな老人ホームでちょっとエッチなアニメの上映会をし続けているのかもしれませんね。

 老いてもオタク路線は確かにしっくりきますけど、老いというのはまさに、これまで観念によって抑圧してきた身体性といやおうなく直面させられることだとも思うんです。ひらたくいうと「アニメばっか観てると体悪くするよ」というわけで、太極拳やったりプールで泳いだり、体を使う方向へシフトしていく気もするんですよ。

 もしも太極拳をテーマにしたアニメが生まれて、OPテーマにあわせて踊るような流行が現われたら、と考えると急に混交した世界が見えてきますね(笑)。確かにオタク文化ってそういうライフハックにまで踏み込みつつあるような気はしていて、それは感慨深いものがあります。というのも、特殊な何かではなくて生活に根ざした普通のものになりつつある、ということですからね。
美少女ゲーム周辺なんて、そもそもアングラだったわけじゃないですか。だからこそエッジの利いたエログロの作品が力を発揮したわけです。面白いのは、こちら側のオタク文化が、メジャー化に伴って案外エログロ成分を抑えているのに対し、隣接的な文化として考えられるようになったライトノベルやアニメにおいてむしろエロで対抗している節が見られることですね。ある意味、バランスを取っているということなのかもしれませんが、いずれにせよ萌え文化的なセクシュアリティが生活に定着しようとしている際の、摩擦のようなものを感じますね。

 生活レベルまで浸透した反面、外の世界の視点で見れば、日本の美少女アイコンは飛びぬけてセクシュアルな記号だということは見過ごしてはならないでしょうね。世界中の人に愛されるキャラクターアイコン、例えばスヌーピーやピーターラビットなどと比較しても、それは顕著です。北米トヨタのCMに出るなど初音ミクがグローバルアイコンとして活躍できた理由も、彼女があまり性的に見えなかったのが大きいと思うんですよ。

 実際に観察してみると、初音ミクなんかは凄い初期の段階から性的に読まれていたことが分かって驚きました。トイレやら自慰やらにまつわる動画がいっぱいあるんです。これは恐らく、人格として独立する際の必然的な過程なんだと思います。

 ご指摘のとおりではありますが、そこは貪欲に性的な視線で読み込む日本人ユーザーの特殊性かもしれません。相対的に見て「初音ミクはエロくない」と僕は思うのですけど、どうでしょう。

 まあ確かに、似たような形象として例えばセーラームーンと比較してみると、それはかなり違うな、と思いますね。ミクのほうがはるかにデジタルで機械的な感じがある。シーケンサーであることから考えれば当然なんですが、逆に性的なフックが弱いのに、あれだけの材料で多くの人の感情移入を誘ったからこれほどまでに巨大化したのかなとも感じます。

 そうそう。初音ミクって、おっぱい小さいですしね(笑)。

 そこですか(笑)。

 他にもありますよ。ツインテールが妙に長いこととか、「このくらいが萌えるぞ」っていうバランスをかなり崩してるんですよ。そのことが動物キャラクターに近いニュアンスを与えていると思う。龍っぽいというか、幻想の生き物みたいな感じがあるんです。

 あの初音ミクにそっくりなドロッセルという名前のロボットが登場する『ファイアボール』(ウォルト・ディズニー・ジャパン、2008年)という3DCGアニメがありました。本当につるっとしたテクスチャーで、キャラっぽい感じがしないんですけど、輪郭と声があるだけで凄く可愛く見えてくるんです。これはミクによって先入観的愛情があったせいだと思うんですけど、逆にいえば、ミクにあまり馴染めない人はドロッセルの表層のようなイメージで彼女を捉えているんだと思いますね。

(続く)

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村上裕一のゴーストテラス
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村上裕一のゴーストテラス

美少女ゲームの哲学 
第一章 恋愛というシステム
第ニ章 地下の風景
第三章 探偵小説的磁場
第四章 動画のエロス
第五章 臨界点の再点検
補遺
第六章 ノベルゲームにとって進化とは何か
第七章 ノベル・ゲーム・未来―― 『魔法使いの夜』から考える
第八章 美少女ゲームの音楽的テキスト

村上裕一 批評家。デビュー作『ゴーストの条件』(講談社BOX)絶賛発売中!最近の仕事だと『ビジュアルノベルの星霜圏』(BLACKPAST)の責任編集、ユリイカ『総特集†魔法少女まどか☆マギカ』(青土社)に寄稿+インタビュー司会、『メガストア』2月号のタカヒロインタビューなど。もうすぐ出る仕事だと『Gian-ism Vol.2』(エンターブレイン)で座談会に出席したり司会進行したりなど。またニコニコ動画でロングランのラジオ番組「おばけゴースト」をやっています。http://d.hatena.ne.jp/obakeghost/ WEBスナイパーでは連載「美少女ゲームの哲学」とラジオ番組「村上裕一のゴーストテラス」をやっています。よろしくね!
twitter/村上裕一

佐藤心 駆け出しのシナリオライター。代表作『波間の国のファウスト』(bitterdrop)『風ヶ原学園スパイ部っ!』(Sputnik)。「この世界はカネが全てだぜぇ~?」を処世訓としながら、とある中堅スーパーのお弁当を日々半値で買い叩く。そんな涙ぐましい生存戦略の果てに、講談社BOXより『波間の国のファウスト』のノベライズが決定(今秋発売予定)。
twitter/佐藤心
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