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新連載 月一更新!
映画の中に登場する、人生も半ばを過ぎた女たち。その味わい深い人物造形には、私たちが歳を重ねる上での様々なヒントがあるのではないか――。文筆家・大野左紀子さんによる連載、第一回となる今回は、ゴンサロ・カルサーダ監督の『ルイーサ』(2008)より、他人との深い交流を断ってきた孤独な女"ルイーサ"を取り上げます。
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若い頃、中高年の女性はなぜいつもあんな仏頂面をしているのだろう?と思っていた。街を歩いていてすれ違う年輩の女性、電車の中の老婦人、買い物をしているマダム。若い女性に比べて、とっつきにくくやや気難しい表情を浮かべている人が多い。眉間の皺、無愛想な眼差し、ヘの字に結ばれた口......。中には、なにか面白くないことがあったのかなと思えるほど、とりつくしまもない顔つきの人もいる。
自分が40代を過ぎ50代になって、その理由がよくわかった。歳をとれば顔の表面の弾力性は失われ、一旦刻まれた皺は消えず、筋肉も皮膚も重力に負けて下がってくる。そうすると本人は普通にしているつもりでも、自然と仏頂面になってしまうのです。
家で鏡を見る時は、顔に意識を集中させているせいかそれほどでもない。ドキッとするのは、ふと街のショーウィンドウなどに映ったのを発見する時。誰?あの不機嫌そうなおばさんは......って私じゃないか。この愕然とする瞬間。加齢の残酷さをしみじみと味わわされる。中高年の男性でもそれは同じだろうが、年齢を重ねた男の仏頂面は「苦み」や「渋み」や「威厳」という観点から評価することも可能だ。同じことが女の場合は難しい。「こわいおばさん」カテゴリに入れられて敬遠される。

いつだったか作家の林真理子がテレビ出演のインタビューの間、一言喋るたびに不自然なほど口角をキュッと上げていたのを思い出す。あれは意識してにこやかに見せていたのだろう。日常的に口角を上げる癖をつけることで、皮膚や筋肉が弛むのを食い止めようという涙ぐましい努力も窺えた。さすが、ありとあらゆるダイエットやアンチエイジングに長年挑戦してきた人だけある。
もちろん、女の顔が無愛想で不機嫌な表情になってしまう要因は、単に肉体的な衰えだけではない。長い年月の間の心を削られるような出来事の積み重ねや日々の生活の疲れが、その顔に憂鬱と諦めを刻み、活力と明るさを奪っていく。そこに自然な微笑みが戻ってくるのはどんな時だろうか?


『ルイーサ』(2008)はその経過をユーモアを交えて描いた佳作である。アルゼンチンの監督ゴンサロ・カルサーダの初の長編作品。脚本は「地下鉄を舞台にした話」という公募から選ばれたオリジナル。全体にわずかにブルーがかったひんやりした色調、アキ・カウリスマキを思わせるオフビートな味わいの中で、物語は淡々と進行する。
ブエノスアイレスの街中に一人暮らしのルイーサの一日は単調だ。明け方に起き、猫に餌をやり身支度を整え、若いアパートの管理人に短い無愛想な挨拶を返し、バスに乗って職場に出かける。霊園の電話番、次いでスター女優の家の留守番という仕事をこなし、またバスで帰宅する。その間、ほとんど人と喋らない。表情は固いまま。心を許しているのは飼い猫のティノだけだ。

ルイーサを演じるアルゼンチンの女優レオノール・マンソの、がっしり骨太の体格を包む白いタートルネックと濃紺のスーツ、よく手入れされた中ヒールの編み上げ靴、きっちり真ん中分けで結った髪、眉間の皺、きっと結んだ口元は、几帳面だが頑固そうなおばさん像を体現している。そして、バスに揺られるややこわばった寂しげな横顔を捉えたショットから、彼女が長い間他人との深いコミュニケーションを避け、感情を表に現わすことなく生きてきたことも窺われる。
早朝の霊園でルイーサが花を供えていた二つの墓は、ずっと昔に(おそらく不慮の事故で)亡くなってしまった夫と幼い娘のものだ。その傍にいたいがために霊園に30年も勤めつつ、夜は夜で夫と娘の夢、時に悪夢を見る毎日。ルイーサの顔には長い時間の経過を示す皺が刻まれているが、彼女の心の中は家族を失ってから時間が止まったままである。

ある日ティノが死に、仕事を相次いで解雇され、閉ざされた日常に突然風穴が開けられる。同時に、固まりがちだったルイーサの表情はさまざまな変化を見せていく。愛猫の死への悼み、退職金が出ないと知った時の不満と怒り、初めて乗った地下鉄での戸惑い、地下道や車内で物を売る人々への驚き、それを真似してみてダメだった時の失望、開き直って物乞いに変装する時の鏡の前の決意。
身寄りも貯金もない中年女性がある日突然失職するとは、かなり悲惨な状況だ。物乞いはドン底に落ちた人の営みである。猫の火葬のための「お金が必要なの!」というルイーサの叫びはせっぱつまっている。職場や銀行など世間の冷たさと理不尽さは、乗っていたバスが故障して降ろされる小さなハプニングにも象徴的に描かれる(ブエノスアイレスでは珍しくないことかもしれないが)。

しかし映画は、弱者として社会につまはじきされた主人公の不運と不幸を声高に訴えることはしない。外の世界に恐る恐る踏み出し"初体験"を重ねる中で、時にバツの悪い思いをしたりがっかりしたり、逆にちょっと自信をつけたり些細なことでウキウキしたりするルイーサの一挙手一投足、一つ一つの出来事に反応する顔を、対象にあからさまに寄り添うでもなく、突き放すでもなく、優しく時にコミカルに描写していく。喩えて言えば、テレビ番組の「はじめてのおつかい」で子どもを見守るカメラの視点に近い。それを通して、仏頂面でちょっととっつきにくそうなおばさんに映っていたルイーサという女性が、だんだんいとおしく見えてくる。この人はこんなすばらしい表情をもっていたのか、こんなチャーミングなところがあったのか、と気付かされていく。
路上のミュージシャンの前で立ち止まり、遠慮気味に、でも楽しそうに体でリズムをとるルイーサ。人はせっぱつまった問題を抱えて右往左往している最中でも、心浮き立つ音楽に思わず足を止めてしまうものですよ......。深刻な状況をいかにも深刻に描くのは簡単だ。少し引いてみることでリアリティが生まれるのだ。

とりあえずの処置として"冷凍保存"されている猫の遺体に、そうと知らずに関わらされてしまう人の好い管理人ホセ(冷凍庫の中のブツを巡る妻とのやりとりはまるでコントだ)、そして「場所の取り合い」から交流の始まった松葉杖の物乞いオラシオ(一緒に食べるホットドッグの旨そうなこと!)の二人が、窮地に陥ったルイーサを結果的に救う役割を果たす。ホセもオラシオも基本的には無力な人々だが、どんなにささやかでも誰かの善意によって立ち直りのきっかけを掴めるよ、と励まされた気分になる。
しかしこの物語の重要なテーマは、「人は他人に助けられて生きていく」とか「隣人とのコミュニケーションの大切さ」ではない。彼らとのぎこちなくも人間味溢れる交流には心温まるものがあるが、私がもっとも胸を打たれたのは後半、ルイーサが過去への苦しい執着から自分を解き放ち、自然な微笑みを取り戻していく過程だ。

それは愛猫の火葬、そして埋葬という二段階を経て実現される。
引っ越しして空き家になった女優の邸宅の屋上に焼却炉があることを思い出したルイーサは、ホセとオラシオの二人を伴ってそこを訪れる。焼却炉を前にして左右に松明が掲げられ、愛猫の遺体を神への供物のごとく捧げ持って中央に立つルイーサに、両側から静かに付き添うホセとオラシオ......という図。なんだか、これまでの貧乏臭くみみっちい話が、俄に重々しく荘厳なトーンを帯びて見える場面だ。ルイーサの行動はすべてこの猫の火葬のためだったのだから、ここはたしかにクライマックスなのだが、なぜ神話の一シーンを思わせるような構図を取っているのだろうか。
それはこれが「かけがえのない対象の喪失の確認」という、誰にでもいつかは訪れる普遍的な出来事を描いている場面だからだ。遺体が灰になっていく間の、感情の地層を突き破って悲しみの奥底から絞り出されるようなルイーサの号泣(私も一緒に泣いた)は、愛する猫を失ったことがこの女性にとっていかに辛く重大な出来事だったかを、また夫と娘を同時に失った過去をいかに引きずって生きてきたかを、脇にいるホセとオラシオ、そして見る者にまざまざと思い知らせる。だが、どれほどしんどくても、ここを経過せずに「次」へは行けないのだ。

翌朝、いつもは仕事のために通っていた霊園に猫の遺骨を入れた小箱を携えて訪れ、夫と娘の墓の間にそれを埋めてルイーサは呟く。「結局人は皆それぞれ。あなたたちはあちら、わたしはこちら」。この時のルイーサの顔が美しい。その底に哀しみを湛えながらも、堪え難い喪失をやっと過去のものとして埋葬した人のすがすがしく静かな微笑み。永遠の絆はないと知り、過去にすがらず、自分の中に閉じこもらず、もう一度前を向いて生きていかねばという自覚が、「あなたたちはあちら、わたしはこちら」という簡潔な台詞に集約されている。
もちろんルイーサは依然として失職中でお金もなく、またいつ部屋の電気を止められるかわからない。猫を弔うことができただけで、根本的な生活の問題は何も解決していない。だからこそ最後、路上ミュージシャンたちの音楽と彼らの一人が彼女に投げかける親密な言葉が、過酷な現実を生きる女性へのエールとして心に響くのだ。


<連載を始めるにあたって>
映画では人生半ばを過ぎた女にしばしば、「肝っ玉母さん」や「人の好いおせっかいおばさん」や「しっかり者の妻」や「貫禄ある女性上司」といった役割が振られます。いずれも周囲を懐柔し、人と人を結びつけ、時に支配しようとする女であり、共同体の結束には必要な人物です。
しかし中年も折り返し地点を過ぎた私が魅力を感じるのは、そうした人間関係の中でそれなりに安定していた女性が、外圧によって変化を余儀なくされたり、意外な一面をかいま見せる物語です。その過程で、若い女性とは異なる悩みや苦しみ、狡さと寛容さ、老獪さと子どもっぽさ、そして"年増"ならではの複雑な魅力が浮かび上がってくるところが、とても面白いと思うからです。
役を見事に演じるベテラン女優の顔や出で立ちの細部なども、まあ「元」やメンテナンスの手間と費用が違うだろうとは言え、同じ女として興味は尽きません。映画に登場する中年以上の女性の姿には、歳を重ねる上でさまざまなヒントがあるのではないでしょうか。主人公であっても脇役であっても。

連載全体のタイトルは、第一回の『ルイーサ』の中の台詞から取りました。
人は長生きすればするほど物理的心理的な「絆」の重要性を痛感するわけですが、一方で自分の問題は最終的には自分で解決するしかなく、人生はどこまでも自分自身との闘いであることが身に沁みてきます。また、公私ともにしがらみに絡めとられ流されがちな世代だからこそ、時々自らの立ち位置を確かめる必要にも迫られます。
そんな時に思い出したいルイーサの「あなたたちはあちら、わたしはこちら」。相手に大上段から指示しているのではありません。自分に向かってそっと確認しているのです。現実生活ではつい八方美人になりがちな私自身が、時々呟きたい台詞でもあります。
一回につき取り上げる映画が二本以上になることもあるので、題名は映画タイトルではなく「◯◯する(◯◯な)女」という表現にしました。また文章の性格上ネタばれになることが多いですが、ここで結末を知った後で観ても、十分に楽しめる作品を選んでいきたいと思います。イラストは女優の顔を中心に、物語で重要なモチーフや私が全体から受けとった色のイメージで構成しています。画材は、画用紙に色鉛筆と鉛筆、一部水性ボールペン(黒)です。

絵・文=大野左紀子

大野左紀子 1959年、名古屋市生まれ。1982年、東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。2003年まで美術作家活動を行った後、文筆活動に入る。
著書は『アーティスト症候群』、『「女」が邪魔をする』、『アート・ヒステリー』など
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14.04.26更新 | WEBスナイパー  >  あなたたちはあちら、わたしはこちら
大野左紀子 |