Criticism series by Sayawaka;Far away from the“Genba”
連載「現場から遠く離れて」
第三章 旧オタク的リアリズムと「状況」 【4】ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に本質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。
大塚英志とはどういう人物か。彼は第一章の冒頭で紹介した中森明夫によるオタクを揶揄した文章の掲載された雑誌「漫画ブリッコ」(セルフ出版、のちに白夜書房)の編集者であり、その連載コラムが差別的な内容であるとして打ち切りにした(『「おたく」の精神史』40-41頁/著=大塚英志 講談社現代新書、2004年)人物である。この雑誌は今で言う成年向け漫画誌だったが、創刊当初は70年代後半から続くエロ劇画のブームに乗った作品を掲載する本だった。しかし大塚が手がけるようになった83年5月号からブームにいち早く見切りを付け始め、同年11月号には劇画に比べればずっと洗練された、藤原カムイ、洋森しのぶ(後のみやすのんき)、岡崎京子など少女漫画やアニメのような絵柄の作家によるロリコン路線へと完全リニューアルする。
以上のような活動によって大塚は今日のオタク文化の始祖的な世代の一人と目されている(※29)。さて、その「オタク第一世代」である大塚は『ジャパニメーションはなぜ敗れるか』の中で、日本のアニメや漫画が昨今「海外で通用する産業ないしは文化」として国策的に期待されてることを痛烈に批判している。その論拠は大きく分けて二点ある。まず一つに大塚は、日本の漫画やアニメコンテンツが、関係者が囃するほどに経済的な成功を世界市場で収めているとは言い難いとする。この主張については具体的なデータが示されており、検討の価値がありそうだ。しかし本稿においてより重要なのはもう一点である。大塚はそこで、日本のアニメや漫画の表現は起源的にディズニーなど米国産のコンテンツを受容することで成り立ったものであり、日本の文化として独自性を持つと言えないと主張しているのだ。少なくとも「ジャパン・クール」(前掲書、8頁)などとしてアピールされている「萌え」のセクシュアリティや「オタク」の考証主義的なリアリズム表現ですら、日本が戦時ならびに占領下を経験することで生み出してきたものであるから、そうした歴史性を忘却して戦勝国であるアメリカにこれを売り込もうというのは愚かしいことだというのだ。大塚の言葉では次のようになっている(※30)。
どんな文化でも、表現でも、自らに対する歴史的な批評性を失えば滅びます。ディズニー/ハリウッドにアメリカの植民地文化としてのジャパニメーションが回収されていくことを「日本の国力」の証しだと喜んでいられるナショナリズムのあり方は、なるほど、アメリカの属国たらんと欲するこの国の戦後のナショナリズムの正確な反映だとして、ただ冷笑すればいいのであって、ぼくたちの表現は、そんなものにつきあう必要はないわけです。
この大塚の記述は、彼自身が「イデオロギー批評」(前掲書、101頁)と表現しているように一定の政治思想に貫かれている。しかし、本稿はここで彼の主張の正当性を問うわけではない。注目したいのはむしろ、第一世代のオタクがこうした政治性を漫画やアニメに読み込むこと自体である。大塚にとって、アニメや漫画が驚いた人の目玉を飛び出させたり髪の毛を逆立たせるような記号的な表現でキャラクターを描くことは、ディズニーを参照した手塚治虫が確立したものである。また逆に写実的なリアリズムの使用には起源として兵器などを描いた戦時下の国家翼賛的な作品がある。そして欧米から受容した記号表現と戦時下という特殊な状況で発展したリアリズム表現の相克する中でキャラクターの性や死を描くこと、すなわち虚構であることを受け入れながら現実を活写すること、その矛盾した取り組みこそが、政治的な葛藤の末の表現行為として考えられている(※31)。
1958年生まれの大塚より、さらに年配である1951年生まれの押井守にとってはどうだろうか。『パトレイバー』はバブル期の日本のリアリズムを徹底的に積み上げるものなので、大塚の重視する葛藤を捨てようとする態度があるようにも見える。しかし押井のリアリズムは追求された先で破綻し現実とも虚構ともつかなくなってしまうことで、視聴者が無根拠に信じている現実の確かさを揺らがせるものとしてある。そして『機動警察パトレイバー 2 the Movie』においては、それは情報技術を利用した手口とも重ねられながら、犯人の動機という明確な政治性にたどり着いていた。作中の台詞をいくつか拾ってみよう。
「かつての総力戦とその敗北。米軍の占領政策。ついこの間まで続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争。そして今も世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争。そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた、血塗れの経済的繁栄。それが俺達の平和の中身だ」
「平和という言葉が嘘つきたちの正義になってから、俺たちは俺たちの平和を信じることができずにいるんだ」
「その成果だけはしっかりと受け取っておきながらモニターの向こうに戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。いや、忘れたふりをし続ける。そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると」
このようにして、リアリズムの混乱によって引き起こされる現実の不確かさが、バブル期の経済的繁栄と平和の空虚さの指摘へと直結させられていく。そこにあるのは、体制批判的な論調を引き出す前段として準備される、ネット空間に象徴される「嘘つき」「モニターの向こう」「欺瞞」への反発と、本来的な現実、つまり「現場」への信頼だ。
こうした解釈が誤りでないことは、本作以後の押井守の活動を見ればわかる。『パトレイバー』以後、彼はネットがメインテーマとなった『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)を監督して非常に高く評価されるが、そこで描かれるネットは士郎正宗の原作が描いたものと実は全く異なっている。原作はネットをあくまで道具として使いこなすドライな描写が重ねられ、ネットと現実を補完関係にある等価値の領域として捉える発想、つまり「現場」偏重でない今日的な考え方にずっと近づいていたが、アニメでは『パトレイバー』と同様、情報技術はあくまでも人の現実認識を失わせるものとして利用される。例えば「自分には妻がいて離婚を迫られて悩んでいる」という偽の記憶を与えられた男が原作にもアニメにも登場するが、原作では「自分には妻などいない」という真相を教えられた後、同僚に「えー離婚の悩み消えちまったって!? どうなったの?」と言われた男が「消えたの!」と答えるシーンがコメディタッチで描かれている(※32)。ところがアニメではその描写は失われ、男は単に偽の記憶によって混乱する悲惨な人物として描かれている。明らかに仮想現実の悪質な側面が強調されているのだ。
さらに驚きなのは原作において主人公の草薙素子がジョークのように軽く言う「私時々「自分はもう死んじゃってて今の私は義体と電脳で構成された模擬人格なんじゃないか?」って思う事あるわ」という台詞の扱いである(※33)。アニメはこの台詞をほぼ丸ごと使いながらも、その意味をペシミスティックなものに変えて、作品全体を「全身をアンドロイド=作り物にした素子が次第に自己同一性に不安を抱えて精神的に失調していく」というメインテーマの物語に書き換えてしまうのである。
そもそもアニメは、原作にあったいかにもサイバーパンクSFらしい視覚的なネット探索描写の大半をカットして、代わりに肉弾戦の描写をずっと重視する。つまり、ネット社会や情報技術が当たり前のものとなった時代を描いた物語であるにもかかわらず、アニメは全くそれを新たな現実として扱おうとはしていないのだ。
文=さやわか
※29 大塚の著作ではひらがなで書かれる「おたく」とカタカナによる「オタク」は明確に区別されるが、本稿においては特に重要な差異でないため、すべてカタカナで表記した上で同系のものとして扱う。
※30 『ジャパニメーションはなぜ敗れるか』共著=大塚英志・大澤信亮(角川ONEテーマ21、2005年)
188頁より
※31 大塚の議論ではオタク文化が考証主義的なリアリズムを求めたことの起源を戦時下の漫画表現に求め、そこには一定の説得力があるが、他方で彼の議論はなぜとりわけ70年代後半以降という時期から、そうした考証主義がまさにオタク文化において支配的になっていったのかについては十分な考察がなされていないように思われる。既に示したとおり、本稿ではこれをアメリカのミニマリズム文学を例に挙げながら世界的な傾向の中に位置づけている。
※32 『攻殻機動隊』著=士郎正宗(講談社、1991年)94頁より引用
※33 前掲書、104頁より引用
さやわか ライター、編集者。漫画・アニメ・音楽・文学・ゲームなどジャンルに限らず批評活動を行なっている。2010年に西島大介との共著『西島大介のひらめき☆マンガ 学校』(講談社)を刊行。『ユリイカ』(青土社)、『ニュータイプ』(角川書店)、『BARFOUT!』(ブラウンズブックス)などで執筆。『クイック・ジャパン』(太田出版)ほかで連載中。
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11.06.12更新 |
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