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我らSM党、中でも肛門派の人間は偉大なる先人、鈴木夫妻のマニアの心を学ぶべきです。現在とは異なり、マニアが自分の欲求を実現するというこには多大な労力が必要でした。今こそ、その素晴らしい業績を評価し、讃え、彼女らの情熱を日々の精進に繋げるのです。先講で我ら肛門派の大先輩、鈴本紀美子さんの話をしましたが、それは講座の中盤からでしたので、紙数にゆとりがなく、詳しく書けませんでしたので、ここに改めて紹介しましょう。鈴木さん夫妻の業績は、誰にも知られずにこのまま消滅させてしまうには、余りにも残念に思うからです。
私が初めて鈴木紀美子さんのことを知ったのは、昭和46、7年頃のことで、SM愛好者がまだ少数派であった頃、我らSM党(肛門派を含めて)が聖典として愛読していた雑誌『風俗奇譚』(東京・四谷の欅橡社から刊行)の読者交歓室と呼ぶ文通欄に載った鈴木さんの“呼び掛け”がきっかけです。
当時SMはまだ日陰の存在で、我らが聖典と仰いでいたのは、この『風俗奇譚』と、大阪・阿倍野区の天星社が刊行する『奇譚クラブ』の二誌のみでしたが、『奇譚クラブ』のほうも一応は読者の交流ページとしてマニア間の呼び掛け、投稿の欄は有ったものの、これは出版社が手紙の回送は一切してくれず、そのため読書欄は便所の落書き的な単なるマスターベイションの場でしかなく、読者は皆もどかしさを覚えたものでした。
これに対して『風俗奇譚』のほうは、投稿者への手紙の回送は確実にやってくれるという良心的な仕事をしていました。
さて、その鈴木さんの呼び掛け記事ですが、その内容は、「最近夫が急死したので、今まで夫婦で密かに撮り溜めてきた浣腸を中心とする膨大な二人の性愛の証としての記録写真を、同好の方に限って実費でお譲りしたい。初めは苦しさに泣かされ、嫌で嫌で仕様がなかった浣腸による夫の責めも、暫くすると段々その快美さが分かるようになり、何時しかそれが習慣になると、毎晩の儀式が楽しみになり、欠かせなくなってしまっていたのに、夫の急死でその階日追求も今では過去のものとなってしまい、今までに撮った写真は何冊ものアルバムになっているので、これからの新しい人生の門出のために、過去を振り切るために、これを大切にしてくれる人に譲りたい」というのです。
文末の住所は仙台となっていました。
(続く)
11.12.07更新 |
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