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ABLIFE September 2009
異端の女犬画家・室井亜砂二 × WEBスナイパーの緊急会議を開催!!
とめどなく氾濫する情報。制御不能の闇。次々と消えてゆくSM雑誌。今、アブノーマルな性の乾きは本当に癒されているのだろうか。『奇譚クラブ』時代から40年以上にわたって架空の生き物「女犬」を描き続けてきた異端の画家・室井亜砂二氏が肌で得た実感から語る、SMメディアの意味とは。投稿を主体とするマニア交流欄「あぶらいふ」を新たに内包することとなった「WEBスナイパー」の編集人が聞き手となって、SMメディアの来し方行く末に言葉の光を当てていく!
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私の場合、こういう意思や性癖を持っていたら、
もう犯罪者予備軍だみたいに自分自身で思い込んでいた
警戒心みたいなものがあります。
そういう人たちが集まって、当時は慰め合うような、
励まし合うような雰囲気ってのがあったのかも知れません。(室井)
「あぶらいふ」は雑誌『S&Mスナイパー』の中にあった雑誌内雑誌。投稿作品を主体に千差万別の性嗜好を扱い、愛好家同士の流動的な誌面交流の場を目指した。宿主の休刊によって活動を休止していたが、このたび「WEBスナイパー」での再始動を迎えた。編集人は私、井上文。

女性と犬を合体させた「女犬」という生き物ばかりを40年近く描き続けてきた画家の室井亜砂二氏は、「あぶらいふ」が指標としたアブノーマル専門雑誌『奇譚クラブ』の元常連投稿者であり、「あぶらいふ」を象徴する人物の一人である。また「WEB スナイパー」の編集人である五十嵐氏は、webにおけるアダルトメディアの方向性を模索する中、彷徨える「あぶらいふ」を拾ってくれた、新たな宿主。

今、アブノーマルな性を扱うメディアは何を求められ、何をすることができるのか。「あぶらいふ」の再始動を控え、五十嵐氏による室井氏へのインタビューが行なわれ、私がまとめた。2人の対話はこれから始まるweb版「あぶらいふ」の姿勢を分かりやすく示すものであり、活動再開の狼煙にあたるものである。


【SMという共同幻想を読者と一緒に作る】
五十嵐(以下「五」) さて、ようやく「あぶらいふ」が本格的に再始動します。この機会にですね、こうして「スナイパー」を名乗ってwebでのメディアを続けていくにあたって、今後どうしていくべきかを改めて考えたいと思うんです。この20年くらいの間にあった、一つのメディアが上のほうから情報を流して読者がそれについてくるといった構図は、もう時代にそぐわない気がして。そこで一度、歴史を参照しておきたいということがあったんです。では我々の好きな領域で、成功していたメディアってなんだろう、『S&Mスナイパー』以外であれば、やはり『奇譚クラブ』だと思うんです。
『奇譚クラブ』 発売1969年7月号 発行=暁出版 
以前、室井さんは「あぶらいふ」の中で「『奇譚クラブ』では 編集者と、読者と、執筆者が、まさに三位一体となって皆がSMという共同幻想を一緒になって作り上げていた」ということをおっしゃっていました。そこに今後の鍵があるような気がしているんですけど。

室井(以下「室」) 別の意味で、昔よりも今の若い人たちのほうが、自分が材料提供をしているというか、かえって制作者と読者の間が縮まっているんじゃないでしょうか。投稿誌っていうのが、昔は小説とか告白手記がメインでビジュアルものはあんまりなかったけど、カメラ小僧みたいな人たちの盗撮写真から始まって、自分の彼女を撮ったり、盗撮したりして、時には問題になったりしながら、今はコンビニ誌にも載ったりしていますよね。昔はそこまでの風潮はなかったですよね。ザラ紙の時代ね、『奇譚クラブ』の時代なんてのは写真が掲載できなかった頃も長かったわけですから(註1)。今のほうがなんか、読者が作っているっていう感じは案外しますけどね。
『電柱犬』 画=室井亜砂二


五 確かに発表するのに便利にはなっていると思うんですが、一緒に作っているという感覚は薄いような気がします。

室 世間の状況がぜんぜん違うというのはあるかも知れませんね。私の場合、こういう意思や性癖を持っていたら、もう犯罪者予備軍だみたいに自分自身で思い込んでいた警戒心みたいなものがあります。そういう人たちが集まって、当時は慰め合うような、励まし合うような雰囲気ってのがあったのかも知れません。これは私の偏見かもしれませんけど、今は「僕Sです、私Mです」みたいなことを、軽いノリで言えるような場面もありますよね。私なんかは逆に、こんなに氾濫しちゃって大丈夫なんだろうかと思っちゃうんですけど。

五 その点では、性的な幻想を皆で一緒に作る奥深さというか、楽しさのようなものは、味わいにくくなっているんじゃないでしょうか。いろいろなものがオープンになったことで。

室 それと同時に、忘れられたものがある。凄くいいものが無視されてしまっているという思いはありますね。皆が入りやすくなってはいますけど、実は間口はもの凄く狭くなっているという。

五 細分化細分化で一つの玄関がすごく小さくなっていると。

室 いや、細分化していろんなものが増えてるっていうんじゃなくって、今ある細分化っていうのは、昔すでにあったんですよ。それがひとつの混沌とした世界を作っていたんですが、今はそういうものが生まれる土壌みたいなものを切り捨ててしまっていて、現象だけが取り上げられている、だから、いきなりプレイから始まるみたいなことになっていますよね。別にプレイがいけないっていうんじゃないけれども、そこに至るまでの妄想とか、イメージを各自で育てていた期間が省略されてしまっていて、目の前に幾らでもサンプルがあるもんだから、ただサンプルを選ぶだけの時代になっているんですよね。

五 はい。情報を上から流すというのは、そういうことなのではないかと。

室 結局、選ぶということは与えられるという意味ですよね。与えられたものから先にイメージがいかなくなるということは、あるんじゃないでしょうか。結果としてSMプレイが出てくるにしても、それが醸しだされるまでの混沌とした妄想期間の中にあった遊びのようなもの、それが今、欠けてしまったものだと思うんですよね。読者と作り手の間で何かを共有することが難しくなっているとすれば、たとえばそんなことが言えるかも知れません。


今は変な平等主義があって、
誰かと同じ幸せを自分は得られないということが
余計に辛いと感じられることがあるみたいです。 (五十嵐)

格差があるのは当たり前なんですけどね。
そういう意味では、『奇譚クラブ』で行なわれていたことというのは、
闇の中で自分たちの世界を作って、
その闇をさらに広げていくというようなことだったんじゃないですかね。(室井)

【自分の知らない世界に対する畏れを踏まえる】
五 室井さんが『奇譚クラブ』に投稿されていた頃は自分で考えたり想像したりする部分が多かったんですね。

室 そうですね、みんなが手探りでしたよね。だいたいSMというと、縛って、鞭で打ってということを真っ先に思い浮かべるようになってしまったけれども、SMっていう言葉がなかった頃ですから、混沌としてますよね。で、それがある意味で恐ろしくもあったんです。私、昔から、SM雑誌を読んでいていつも思ってましたけど、
故・中康弘通氏が書いていた「切腹百年史」。実際に起きた切腹事件や心中事件を取り上げつつ、切腹の心理や実際についての研究成果を発表していた。客観的な記述の中に鋭い人間観察眼が光っていてドキリとさせられる。『奇譚クラブ』 1970年7月号より。 
雑誌に書いたりなんかしている人たちは、まだ言ってみればね、ほんの一部にすぎないんじゃないだろうか。ずーっと昔の江戸時代のご隠居さんが、金にあかせて妾を囲って、散々好きなことをやっていた時代というのがあったわけだし、そういう人たちは絶対雑誌に投稿とかしないわけですしね。そんな、よりえげつなくて、より陰惨で、自分の快楽のためには相手の人格など無視していいんだという時代があったわけでしょ。ああいうようなものの残像がまだ残っていた時代なんですよね。だから、単に雑誌とかで記事を見たところで、自分がSMを分かったとかいうことは絶対に言えないなと。もっと深いものがきっとあるに違いないと。そういう畏れって、SMプレイということではすくいきれない、もっと人間性そのものの恐ろしさに繋がってると思いますし、妄想の種になるものですよね。

五 『奇譚クラブ』の魅力は「畏れ」だったと。

室 今はまったくないということではありませんけど、個人的には『奇譚クラブ』の初期の頃の戦争秘話やなんかかが強烈に印象に残ってますね。姑娘を虐めてた話とか、ソ連兵が攻めてきて、日本の女性がどれだけ酷い目に遭ったかみたいな。その頃は、現実世界だったんですよね。現実に、血の匂いをさせながら戻ってきた人たちがね、普通のノーマルなセックスでは癒されなくなっていて、それをぶつけたような世界が雑誌の中に生々しくあった。私は子供だったから、もちろん分からなかったけど、感じはしますよね。この世には自分の知らない恐ろしいものがあるんだと。人間をここまで虐げて喜ぶ人もいるんだ。それは恐ろしいことだけれども、同時にね、一生トラウマになって惹かれていくっていう過程があったんですよね。
読者投稿「私は便秘マニア」。便秘の苦しさや圧迫感に快感を覚えてしまう――他人と違う自分に悩みながら、いくつかの体験をへて浣腸の悦びにも目覚めていった女性の生々しい手記。『奇譚クラブ』 1971年11月号より。
それはやっぱり、端的に言えば魅力であったと思います。

五 今は、いろんなものがつまびらかになっていて、行ったことのないところにも簡単にネットで行けて、そういう、ちょっとした社会の闇みたいなものが、もうないんじゃないかとような錯覚を覚えますね。

室 どんな時代にだってあるんですけどね、闇は。


【闇の中で自分の世界を作って消化する】
五 時々、いやぁな事件というのが起きて気になるんですが……。

室 かえって平和な時代に猟奇殺人みたいなものが起こるってことがありますよね。戦争中、捕虜をどうしたこうしたっていうのは、それは猟奇殺人じゃないんですよね。それは彼らにとって日常なんですよね。とにかくどんな時代も人間の悪魔性みたいなものはあるんでしょうけど、うまくガス抜きできずに変なことになってしまうのが、最近の例ですよね。

五 その結果として、社会的にも法の規制が進むでしょうね。最近の例では秋葉原の通り魔事件。ナイフの規制がありました(注2)

室 それはあんまりSMとは結び付けられないと思うし、もっといろいろな問題があると思いますけれども、人間の弱さみたいなものが、凄く孤立していて、変な形で出てくるようになりましたよね。その弱さとか、何かを解消する場がなくなっていて、周りが華やかになればなるほど、自分だけは取り残されているっていう感覚が出てくるんじゃないでしょうね。

五 室井さんはご自身の嗜好について、自分は犯罪者予備軍なんじゃないかとか、おおっぴらにできない気持ちを抱えていたということですけど、そういう卑下のような感覚はあったんでしょうか。あるいは、今でいう「非モテ」(注3)みたいな感覚は。

室 おおっぴらにできないものではあったけれども、卑下はなかったような気がしますけどね。しょうがないじゃないかという思いがあったし、一般社会のモテる男と比較しようなんて、そういうまな板にはぜんぜんのっていなかったですよ。

五 今は変な平等主義があって、誰かと同じ幸せを自分は得られないということが余計に辛いと感じられることがあるみたいです。

室 格差があるのは当たり前なんですけどね。そういう意味では、『奇譚クラブ』で行なわれていたことというのは、闇の中で自分たちの世界を作って、その闇をさらに広げていくというようなことだったんじゃないですかね。そこで自分の世界を作っていければ、その中で十分欲望を消化できるわけです。そういう工夫とか技術とか、受け皿になる場所があるかどうかいうのは、今の世の中にも通じるポイントなんじゃないかと思います。結局、欲望を消化する術を持たない人が、女をものにすれば性奴隷を作れるんだとかね(注4)、凄い短絡的なところにいっちゃうのかも知れないですから。


SMという言葉ができた時に、
SMという世界も限定されてしまいましたよね。
でも実際はSMという言葉で規定できるものなんてほとんどない。(室井)

結局、面白いものには人間探求の精神があるということですかね。
「あぶらいふ」のテーマがまさにそういうことだと思いますので、
これは再始動が本当に楽しみです。(五十嵐)

【欲望が汲み取られ、反応が返ってくる場所】
五 ただ、今はたとえばmixiとか、うちのSNSなんかでも、自分の作品を発表したり、同じ嗜好を持つ人同士で盛り上がったりすることが容易なわけですよね。そうすると、我々にできるのは、ただ場を提供するだけのことになってしまうんじゃないかと。

室 私らが『奇譚クラブ』に書いていた頃、あの雑誌ではプロの方もずいぶん書いていたようですけど、基本的には、読者が送ってきたものをそのまま載せるというスタンスがありましたよね。あれがまた、自分にも手が届くような、すごく身近な感じがしてました。それはやっぱり、編集者の考え方によって、一緒に作るという雰囲気を作っていたんでしょうね。だから、今ある投稿雑誌の写真なんかも、ここは自分たちの場所だという感じで、mixi代わりに投稿してるんじゃないでしょうかね。私のサイト(犬屋哀玩堂) に投稿してくれている人も、自分のサイトを持っている人は多いんですよね。自分のサイトがあるからって投稿するのをやめるかというと、そんなことはない。あれはなんなんでしょう。やっぱり、自分のサイトだけでは満たされない、何かに参加しているっていう喜びがあるんじゃないでしょうか。個人誌を作るよりも、『S&Mスナイパー』みたいな、商業誌に載るっていうのは喜びありますよね。

五 雑誌がなくなってしまったので、これからはwebということになりますが……。

室 いくら道具が便利になっても、妄想っていうのは、代わりがきかない。自分自身で育ててきたものですから。『奇譚クラブ』の場合には、その時、自分の言いたいことを言える場があったっていうことで、みんなが集ったんでしょうね。

五 今でもまだアダルトメディアが関わる余地というか、意味があるということでしょうか。

室 欲望を吸収してもらって、きちんと認めてもらってね、反応がかえってくるという手ごたえのある世界がここにあるんだよ、というサロンづくりというかね。そのステージを与えてあげるのは、やはり編集の方の姿勢一つでしょうね。『奇譚クラブ』の時代と変わっていないんじゃないかと思います。ネットのサイトっていうのも無数にあるけれども、昔だっていろんな雑誌があったんですよ。根本は変わらないと思います。


【もっと強烈なトラウマになるような感じの、面白い話へ】
五 今、室井さんが読んでみたい記事というのはどんなものですか?

室 たとえば「あぶらいふ」の濡木痴夢男先生の文章なんか読むと、モデルと自分との心の交流みたいなものを書いてるんですよね。で、責めシーンっていうのは、意外と少ない。そこまでいっちゃうと同じっていうか、やっぱりモデルと先生との心の駆け引きっていうかね、そういうところが面白いんですよね。相撲の中継を観ても、勝ち負けだけ知らされたって面白くない。攻防も面白いし、支度部屋でどうだったのかっていうこととかね。負けた後の力士が、どういう反応で、風呂ん中でぶつくさ言っていたっていう。そういう情景ってのがあると、単純な勝負が凄く立体的に見えてきたりしますよね。SMの面白さって、そこじゃないですかねぇ。クライマックスの連続だけじゃなくて、その前後の部分ってのはいくらでもあるわけですよね。私はあまり実践のことは分かりませんけども、「あぶらいふ」ではずいぶん自由に描かせていただいて、意識したのはそこでした。SMっていってもプレイだけじゃなくて、歴史の中で埋もれてしまったような可哀想な話だとか、子供がままごとの中で妄想するような世界を大事にしたかった。そこには、ベテランの実践派よりも、もっと鮮烈なものがあったりするんじゃなかろうかと。なんかそういうように裾野を広げたいっていう気持がありましたし、自分だったら読んでみたい。あれもSMだしこれもSMだっていう。実はSMって言葉でくくるのが問題なんですけどね。

五 「WEBスナイパー」も、雑誌からwebに移る時に、タイトルから「SM」という言葉をとってやろうと。あまり言葉で規定されたくないとしみじみ思います。

室 SMという言葉ができた時に、SMという世界も限定されてしまいましたよね。でも実際はSMという言葉で規定できるものなんてほとんどない。SMを書いている先生たちだって、興味があるのはSMだけじゃない。何か別のバックボーンがないと、プレイの描写だけ書いたって説得力がないし、読んでも面白くないわけで。だからもう、SMメディアの中でSMを考えるというのは、そろそろ我々は卒業したほうがいいのかも知れませんね。全体の文化の中で、SMという言葉がないところの中で考えていく。これは私自身のことですけど、自分がこれに惹かれるのはなんなのかというところで考えていけば、決してただ縛って鞭で叩いているからってところに行き着くわけじゃない。そういう小説は数あるけれども、面白いものと面白くないものがあって、面白いものにはやっぱり背景となる深い世界があるんですよね。

五 結局、面白いものには人間探求の精神があるということですかね。「あぶらいふ」のテーマがまさにそういうことだと思いますので、これは再始動が本当に楽しみです。

室 そうですね。今だからこそ期待できるものがあると思います。SM作家に敢えて別の傾向のものを書いてもらうとか、あるいは歴史秘話でも何でもいいんですけど、SM的な要素を横目に見つつ、その中のもっと暗くて怖い、人間の業ようなものを取り出していって、提示するとか。いわゆるSMメディアにはないものが期待できる姿勢がありますよね。プレイをやってどうしたっていうことよりも、もっともっと強烈な、トラウマになるような感じの、面白い話がたくさん出てくるんじゃないでしょうかね。

五 「あぶらいふ」は投稿作品もプロの作品も扱いますけど、こういう、誰でも自分で発表したり主張したりできる時代に、それがうまくいくという結果を出せたら素晴らしいと思います。

室 編集者がうまく水をむけて、何か提示すれば、それが呼び水となって「じゃあこういうのも載っけてくれるのかな」と思ってくれる人はいるはずです。きっと、どこにも発表できずに、いろんなものを書きためている人って、多いんじゃないかと思うんですよね、今だって。

五 いよいよ楽しみです。「WEBスナイパー」の編集者としても、一読者としても期待してしまいます。もちろん室井さんの作品も。ありがとうございました。

記録・井上文


【注釈】
注1 1960年代、悪書追放運動の煽りを受けた『奇譚クラブ』は、それ以前から何度もグラビアページの自主規制を行なっていたが、1965年の3月号より1972年の1月号までグラビアページを撤廃した。その間、巻頭の扉ページには「本誌自主規制の徹底」と題した断わり書きが毎号載せられた。以下はその一部。「本誌では従来巻頭を飾っておりましたグラビア写真並びに口絵を全廃し、文中の挿絵の削減に努め、読む雑誌としての体裁を順次整えて参りましたが、更に挿入写真の減少及び見出し、キャッチフレーズの改定などによって煽情性を排除してゆきます」。


注2 秋葉原無差別殺傷事件 2008年6月8日、男が秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み、通行人を5人はねた上、トラックを降りてナイフで次々と人を刺す事件が発生。死者7名、負傷者10名という白昼の大惨事となった。逮捕された男は携帯サイトに「秋葉原で人を殺します」とのタイトルで「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」との犯行予告を行なっていた。この事件を受け、凶器として使われたダガーナイフに対する規制強化(販売規制等)が各自治体で検討された。 東京都青少年健全育成審議会は9月8日、「東京都青少年の健全な育成に関する条例施行規則」を一部改正し、ダガーナイフの18歳未満への販売、譲渡を禁止すると発表。9月12日から施行されている。ただし、警察庁は「通り魔事件の容疑者は仮にナイフを規制しても他の凶器を使う可能性が強い。ナイフの用途はさまざまで一律な規制強化は難しい」とダガーナイフ規制には否定的。

注3 非モテ 一般には、異性から行為を寄せられない=モテない人を指す。ただし、「モテ」は第三者による評価だが、「非モテ」は自己認識。実際にモテないというだけでなく、恋愛ができないことや、恋愛をしたくないと思うことについて、世間からとやかく言われることに対する異議申し立てを意図したキャラ付けとして自称されることが多い。

注4 神隠し殺人事件 2008年4月18日、東京江東区のマンシションで、会社員の東城瑠理香さん=当時(23)=が二室隣に住む男の自室に拉致され、殺害された上で遺体をバラバラされ、トイレに流されるなどした事件。殺人、死体損壊、死体遺棄などの罪などに問われた星島貴徳被告は、公判において「女性を自室に連れてきて性的快楽を与え続け自分の思うようにしようとした。『性奴隷』です。自分ならできると思った」と動機を告白した。事件発生時、被害者がマンション内から忽然と消え、家族から捜索願いが出されていたことから、神隠し殺人事件と呼ばれる。




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室井亜砂二 少年時代に描き溜めたイラストを1965年頃から『奇譚クラブ』へ投稿。その語、ファインアートの世界で活躍したが、再びSM画を描くようになり、1984年頃から東京三世社の『SMセレクト』に新作を発表。2004年から『S&Mスナイパー』の雑誌内雑誌「あぶらいふ」の扉絵を描き続ける。画集に『哀犬倶楽部』(大洋図書)など。

犬屋哀玩堂

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