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“本”と私たちの新しい関係を巡って
同人誌の可能性を拡大する『京都、春。』
「ルビコンハーツ」加野瀬未友インタビュー
A3サイズのフルカラー同人誌『京都、春。』を発表した同人サークル「ルビコンハーツ」。版型の大きさのみならず、直販ショップの自主運営による頒布や高精細印刷技術「Fairdot 2」の導入、桜の花の芳香印刷というユニークな仕掛けの活用など、その様々な試みが示す作り手の意図からは、同人誌による表現活動が直面している「今」が見えてくるようです。『京都、春。』を企画・製作した「ルビコンハーツ」の加野瀬未友氏をネットワーカー・ばるぼらさんが直撃、現場のお話から本と出版の未来を探ります。
――加野瀬さんは美少女ゲーム誌『PUREGIRL』(1998年2月創刊、ジャパンミックス。1999年よりビブロスに移り『カラフル・PUREGIRL』)編集長時代に、若手の、特にインターネットを積極的に活用しているイラストレーターを多く誌面で紹介していました。それは10年近く前でしたが、いま新たにサークル「ルビコンハーツ」を立ち上げて、イラストレーションを中心とした同人誌を発刊していく活動を始めています。しかも版型はA3、お店には卸さずショップを自主運営して直販という、製作から流通までおそらく前例のない試みです。今日は本と出版の新しい可能性の一つがここにあるのではないかと探りにきました。まずはルビコンハーツの企画がどのように始まったのかを教えてください。
加野瀬:まず物件ありきだったんです。2009年2月頃に、一緒にやっている伊達平良さんから、秋葉原と御茶ノ水のあいだに安くて面白い場所がある、ここを使って何か売ったら面白いんじゃないかと話があって。それで一番売りやすいし作りやすいのは同人誌じゃないかと決まりました。その話を武内さん達にしたら「久しぶりに創作系同人誌をやってみたいな」って流れになったんです。4月頭には既に伊達さん達が京都に取材に行っているので、動き出したのはその前後ですね。
――なぜ今、イラストレーターを中心とした同人誌を出そうと思ったのですか?
加野瀬:イラストレーターは基本的にゲームなりライトノベルの挿絵なり、原作ありきで完全オリジナルの絵を発表していない場合が多いですよね。オリジナルの絵を描いて広く発表できる機会・場がないんです。オリジナルの絵は魅力的なのに、ライトノベルの挿絵だと本領発揮できていないと感じることもあります。もちろん昔と比べれば活動の場は広がっていますが、もっと自由に、縛りがまったくないわけではないけど、テーマに添ってくれれば何でもいいですよという発表の場を作りたかった。
――その最初の「発表の場」となった、2009年12月の冬のコミックマーケットで売り出された第一弾同人誌『京都、春。』は、いわゆるイラストレーターの作品集/画集というのとは、また違いますよね。
――かなり「編集」されているなと手にとって思いました。
加野瀬:同人誌というと二次創作/エロのイメージになっていますけど、それだけに限らないし、たまたま売れやすいからそれを選ぶ人が多いだけで、企画で魅せられることはまだまだあると思っています。今回の同人誌は物語性のあるイラスト集だからこそ、顔が見えないイラストが許されます。暗い色彩も普通のポスターではちょっと無理でしょうし、ただの一枚絵よりは冒険ができる。単純に一枚絵で映えるイラストよりも、あくまでこの一冊の流れの中で映えるイラストをという冒険がありました。
■新人発掘の場としての同人誌
――『京都、春。』は武内崇さんと小林尽さんの大御所二人がメインです。ただ、噂によると、一番最初は「若手のイラストレーターを発掘していく」という話だったそうですね。
加野瀬:そうですね、一番最初は新しいイラストレーターでやろうという話で、宣伝もしっかりやらなくちゃと思っていたんですけど、武内さんと小林さんがやってくれると決まって「あ、これで大丈夫だ」と思いました(笑)。じわじわ盛り上げていくのもいいんですが、最初に一気に認知度が高まったほうが今後の活動もしやすくなるだろうと。第二弾からは若いイラストレーターが増えます。今回の小林さんの背景画は、pixivで知った方にお願いしているんですよ。同人誌というと「1ページに1人」のパターンが多いですが、これはゲームやアニメの共同作業に近いと思っています。
――基本的に加野瀬さんは『PUREGIRL』の頃から変わらず、ネットで若いイラストレーターを発掘したい欲望がずっとあるのかなと思うのですが。
加野瀬:やっていること自体は昔からそんなに変わってないですよ。ただ、これだけネットが発展してイラストレーターを探しやすい環境が整備されているんだから、イラストレーターの発掘はもう自分じゃなくてもいいだろうとは思っていたんです。でもある時、pixivですごく上手い、この人絶対プロデビューするだろうなという人がいたんですが、その人がある日突然消えてしまって、未だにサイトもわからないんです。その時に、やっぱり誰でもデビューするわけじゃないんだな、いいと思ったらなんらかの形でプッシュしていきたいなと改めて考えたんです。あと、たぶん5年前だったらそうは思わなかったですけど、ちょうどpixivの登場で商業でまだ活動していないようなイラストレーターに注目する流れが出てきて、イラストレーターの世代が交代した印象があるんです。
――pixivの利用者は10代〜20代前半が特に多いそうです。
加野瀬:次の同人誌のために声をかけてるイラストレーターさん達もその世代です。絵を仕事にしていく方も多いと思いますが、ラノベとゲームのイラストだけしか描かないのは単純にもったいないし、その人の個性を最大限に発揮して提示できる場があれば面白いのになというのがあって。「作品」とは何かというと、ある程度時間が経っても覚えているもの。そういう風に考えると、本はまだ使える、残る媒体ですから。もう一つは忘れられちゃったイラストレーターを実際に見てきたんです。有名になったイラストレーターさんも沢山いるけど、なんであんなに上手かったのに、っていう人もいて。同じようなことは今でも起きるだろうから、少しでも後押しできれば。ここで力を発揮して他から声をかけてもらえたら嬉しいです。
■印刷物だからこそ可能な表現とは
――『京都、春。』の現物を手にとって、単純に大きさから来る存在感もそうですが、印刷の美しさも含め非常に完成度が高い、Kindleや電子出版では成り立たない一冊だと思いました。そもそもこの大きさや印刷へのこだわりはどこから来ているんですか?
加野瀬:見たこともない体験、新鮮味は重視していました。最近のコミティアに行くと判るんですが、イラスト集がすごく人気があるんですね。最近のイラストレーターさんはモノクロよりカラーの絵のほうが上手いし、基本はカラーのイラスト集が需要が高いだろうと。モノクロのマンガ同人誌を否定するわけではないんですが、受け手側も新鮮味を感じない状況があるだろうと考えて、それでまずフルカラーに決まりました。次に大きさですが、通常はB5、大きくてもA4で、それくらいのサイズだと「パソコンで見ればいいじゃん」という意見に反論しづらい。でもA3なら普通のユーザは日常的には体感できないサイズなんですよね。判型ってわかりやすいですし、10年前だったらこのサイズの画像の制作は難しかったけど、今ならスペック的にも――レイヤーを重ねるときつくなる時もありますけど――無理ではないサイズなんで。
――フルカラーでも、例えば原色の多いヴィヴィッドな方向性があると思いますが、この同人誌はむしろ桜の淡さや日陰の黒の濃淡など、表現の難しい中間色を多く使っています。これは意図的なものですか?
加野瀬:印刷の段階で黒の階調が結構出るとは聞いていましたが、積極的に黒の階調を使おうというわけではなかったですね。こういうイメージをやりたいというのが先にあって、それを技術でどうカバーするかという。技術的な話をすると、通常のカラー印刷は150〜175線が基本ですが、『京都、春。』では「Fairdot 2」という印刷方法を使っていて、これだと400線まで可能なんです(※註2)。このおかげで微妙な色合いが再現できました。黒の階調はモニターだと真っ黒な固まりになってしまいがちですし、印刷の時は色校段階で細かく指定しました。これは本当、印刷だからこそ表現できたと思います。
■モニターの前だけで完結しない体験を
――ルビコンハーツの活動でもう一つ特徴的なのは頒布方法です。即売会への参加を除けば、同人ショップへの委託販売も、通販も予定されていない。ではどうするのかといえば自分達でショップを運営して直接販売するという話です。これはどういった考えがあるんでしょうか?
加野瀬:最近の同人誌は即売会に行かなくても通販で全部買えてしまうし、モニターの前で全部完結してしまう。それって同人誌を買った実感がすごく薄いなと伊達さんと話していて。キーワードとして考えてるのは、ネットだけで完結しないリアルな体験。それがたとえば本のサイズやショップですが、そこに行かないと体験できないモノを売る、出版というのは今後それも必要になってくると思っています。即売会だと日にちが限られるけど、毎日は難しくても、週末、秋葉原に行ったついでにルビコンハーツのショップに立ち寄ってもらえればいいかなと。
――「リアルな体験」が一番最初のキーワードだったと。
加野瀬:そうです。本のサイズも含め、ショップで「体験を売る」というのは強みになるんじゃないかと。「今時ネットがあるのになんで同人誌を売るの? モニターで見れたら便利だしいいじゃん」という人もいますが、たしかにRGBの発色は良いけど、画面サイズとか不自由な面があるわけで、そこで印刷の強みを出していきたい。あとネットは流れや文脈をつけにくいんですよね。基本的にウェブは自分が好きなように記事を拾って、勝手に文脈を立ち上げることはできるけど、送り手側の「こういう風に読んでほしい」というリニアな文脈を見せるには向かない。「作品」というものを考えた時に、ある程度は流れを読んでもらいたいし、そういう時に本みたいな、ランダムアクセスではないメディアが一番いいと思います。
――ただ「体験」というと、ネットサーフィンという行為自体も一種の体験です。ルビコンハーツが目指している「体験」の質とはどういうものでしょう?
加野瀬:ニコニコ動画である瞬間にある動画が盛り上がったというのも、たしかに面白い体験です。でも、その体験が他者と共有できるかというと疑問が残ります。たまたまその時間に、以前からそういう動画を見てた人が偶然集まったから盛り上がったけども、そのムードを共有していない別の人が、同じように面白いと思うかはわかりませんよね。飲み会で誰かが面白いことを言っても、それはその場の雰囲気や流れの要素が絡み合って面白いのであって、単体で取り出して面白いことは滅多にありません。ニコニコ動画はそれに近い。それを否定するわけではないですが、歴史にはならない。
――リアルタイム性に重きをおいた体験ではなく、後からでも共有できる作品を前提にした体験というわけですね。
加野瀬:盛り上がって面白かったね、で終わってしまう体験に対しては、自分はそこまで価値を感じないんです。体験を特化しちゃうのは危ないといつも思っていて、たしかに自分がその渦中にいたら特別視しちゃうことはあるだろうけども、やっぱりその体験は自分がその流れの中にいたから面白いのであって、他人がそれを面白いと思うかは判らない。そういうことを、編集者として意識しておきたいなと思っています。
――ショップはいつ頃オープンする予定ですか?
加野瀬:次の「コミティア91」(2010年2月14日)の後、2月下旬頃を予定しています。ショップは毎月2,3回ぐらい週末に開く予定なのですが、理想としてはショップが開く頻度を上げて、ショップに絵描きさんやファンの人たちがいつもいるような場になればいいですね。昔、代々木駅に落書きボード(※註3)ってありましたよね。自分の周りに趣味の合う人がいなくても、あそこに行けば同じ趣味の人達がいるんだって実感が持てた。自分はゲームセンターのノート(※註4)に出入りしてましたが、ここに来ればいるんだって判ったのが嬉しかったし、自分自身もここに居場所があるということでたぶん救われてたと思うし。たまにしか話さないけどあいついるよね、みたいな。友達がいる、というのとはちょっと違う一体感につながるような。ショップが、かつての代々木の落書きボードやゲームセンターのノートみたいなコミュニティになればいいなと思ってます。効率よくやろうとしたら同人専門店に卸せばいいんですけど、効率を追求しない売り方でどこまでいけるか?という実験も兼ねているんです。
■自分の心の中の中高生を圧倒させるものを作りたい
――今回どうしても聞きたかったことが一つあるんです。ルビコンハーツという名前についてです。これはいつ、どういった経緯で名付けたんですか?
加野瀬:サイトのドメインを取った3月には決まっていました。「ルビコン○○○」というのを伊達さんが思いついた後、後ろに何をつけるか単語を二人で色々考えましたね。最初は「ルビコンワークス」という案もあってたんですが「メディアワークスみたい」と却下になったり(笑)。
――そこで「ハーツ」を選ぶところが中学生マインドだなと思ったんです(笑)。
加野瀬:(笑)それはですね、本を作る時に、この変なショップに買いに来て、帰って地元の友達に同人誌を自慢するってシナリオを考えていたんですよ。中高生がこの本を手に取る時に「何これ!?」ってなるもの、自分の心の中学生に訴えかけるものを作ろうと。自分も10代の時に『ガンダムセンチネル』を読んで「なんかすげえ!」ととにかく圧倒された記憶があるんです。今回、よく「圧倒的!」って言ってるんですけど、それはあさのまさひこさんの影響だなと思いました(笑)。とにかく圧倒的な本を作った!って。情報量の詰め込み、デザインやビジュアル、企画の立ち上げ方は、自分はあさのさんの影響が大きいのかなと思いましたね。やれるところまでやってしまえば、企画を見た側もただプラス方向に呆れるしかない、という。これなら2000円は高くないだろうって自信はすごくあったんです。
――実際、冬コミでの頒布後は値段についての言及をあまり見かけません。2000円以上の満足度があったのだと思います。ちなみにルビコンハーツのロゴはどなたが?
加野瀬:デザインをお願いしているVeiaさんです。武内さんが『空の境界』でお願いしてるので、引き続きということで。このロゴも、ちょっとした尖り方が中高生の心を刺激してくれるのではないかと……。
――(笑)その中高生へのこだわりはなんなんですか?
加野瀬:いや、オタク系のコンテンツって10代の頃が一番ショックを受けるんだと思っているんです。あさのさんが『ガンダムセンチネル』のインタビューで「『アニメック』や『OUT』を発売日に本屋に行って、まず立ち読むと、ビリビリときた」という話をされていたんですよ(※註5)。当時のアニメックって、売っている書店も少なかったですから、地方では入手も大変だったと思うんですよ。『アニメック』みたいに特別な体験を与えたものっていうのは、購入さえも思い出になっている。苦労した経験とセットで『アニメック』はすごかったと記憶になってるはずなんですよ。そういう中高生が苦労までして本を手に入れた時にガッカリはしてほしくないし、させたくない。妥協のない本を作って「本当にすごい!」って思ってくれたら嬉しいなあと。彼らの人生を狂わせるようなものを作りたいですね。
構成・インタビュー・文=ばるぼら
【註釈】
※註1『萌えるヘッドホン読本』=2007年に出た「ヘッドホンをつけた女子」をテーマにまとめたイラスト同人誌。2008年に白夜書房から『新・萌えるヘッドホン読本』として商業流通。
※註2 印刷線数=スクリーン線数は印刷の密度を表わす。175線の場合、1インチを175の網点に区切る。網点が増えると一般に印刷はきめ細かくなる。
※註3 落書きボード= 1990年頃まで、JR代々木駅と水道橋駅に設置されていた、自由に落書きできるボード。もとは受験生の多い代々木駅に合格祈願のいたずら書きがたえなかったため、それを防止する役割で設置されたもの。次第にイラストを描くためだけに集まる学生が増え、コミュニケーションに活用され、オタクのメッカとなった。駅ホームの混雑を助長するため撤去され現存していない。詳細は『別冊宝島104 おたくの本』参照。
※註4 ゲームセンターのノート=ゲームセンターに置いてあるノート。発祥はハイスコアランキングの記録用に設置されたものと言われるが、コメント、イラスト、攻略法など、ユーザ間のコミュニケーションに使われる多目的ノートとなった。最盛期は1980〜1990年代前半。池袋、高田馬場、新宿、代々木周辺は特に活発だった模様。
※註5「『アニメック』や『OUT』を発売日に本屋に行って、まず立ち読むと、ビリビリときた」という話=月刊『MODEL GRAPHIX(大日本絵画)』1989年9月号P312-315掲載のあさのまさひこ氏インタビュー記事。聞き手は村雨ケンジ。実際の発言は以下の通り。『(前略)だから僕なんかも単なる一読者だった頃に、毎月アニメックとかOUTとかホビージャパンとかの発売日に本屋に行くとね、本屋でとりあえずパラパラッってやるでしょ、そうすると様々な思考がものすごい勢いで駆けめぐっちゃって、アドレナリンがダーッって(笑)、目の前がスーッって白くなっちゃってた(中略)内容うんぬんじゃなくてね、もっと感性的な部分でクラクラッとかビリビリッて来るような、あの僕たちの体験っていうかのね(中略)それを僕たちが今度はしなくちゃいけないんじゃないかって』
『京都、春。』
COMITIA91
日時:2010年2月14日(日)11:00〜15:30
会場:有明・東京ビッグサイト東4ホール
スペース:あ05b
当日は既刊の『京都、春。』と新刊として『京都、春。』のポストカードの頒布を予定しております。また、第二弾の同人誌のペーパーを配布する予定です。
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“ZINE”≠ART BOOK?
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』(共に翔泳社)『NYLON 100%』(アスペクト)など。『アイデア』不定期連載中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/
加野瀬未友 編集者・ライター。1998年、『PUREGIRL(ジャパン・ミックス)』を創刊。2005年、『ユリイカ2005年8月増刊号 総特集=オタクvsサブカル! 1991→2005ポップカルチャー全史(青土社)』をばるぼらと共に編纂。2009年、サークル「ルビコンハーツ」を立ち上げ、イラストレーションを中心とした同人誌活動を開始。
ARTIFACT ―人工事実― http://artifact-jp.com/