Special issue for Silver Week in 2009.
2009シルバーウィーク特別企画/
WEBスナイパー総力特集!
『森田さんは無口(1)』 著者=佐野妙 出版社=竹書房 発売日=2008年12月27日
特集『四コマ漫画とその周辺』
四コマのコミックス、なぜ一気に読みづらい?
その内容や手法によって実は様々なタイプに分類することができる四コマ漫画。もちろん楽しみ方だって様々です。漫画研究家の泉信行氏が、最近フト感じた疑問、そして疑問を巡る振り返りから導きだした「ストーリー四コマ」の面白さとは……。鋭意の同人誌『漫画をめくる冒険』の著者が皆さんを「四コマ漫画をめくる冒険」にお連れします!!
2009シルバーウィーク特別企画/
WEBスナイパー総力特集!
『森田さんは無口(1)』 著者=佐野妙 出版社=竹書房 発売日=2008年12月27日
特集『四コマ漫画とその周辺』
四コマのコミックス、なぜ一気に読みづらい?
その内容や手法によって実は様々なタイプに分類することができる四コマ漫画。もちろん楽しみ方だって様々です。漫画研究家の泉信行氏が、最近フト感じた疑問、そして疑問を巡る振り返りから導きだした「ストーリー四コマ」の面白さとは……。鋭意の同人誌『漫画をめくる冒険』の著者が皆さんを「四コマ漫画をめくる冒険」にお連れします!!
■一話完結型ストーリー四コマの「読みなれなさ」
タイトルで「なぜ一気に読みづらい?」といきなり問いかけているが、「一気に」ということは当然、単行本で読む場合のケースを想定している。
ぼくはふだん、あまり四コマ漫画を講読しない。四コマ専門誌も読まない。そんな筆者が、たまたま四コマ漫画のコミックスを数冊読んで、体験的に感じたことがある。それを報告してみよう。
さて、ぼくが買ったのはまず、たまごまごはんで紹介されていたので知った佐野妙『森田さんは無口』(『まんがくらぶ』・『まんがライフMOMO』連載・共に発行=竹書房)。
そして一緒に表紙買いした、宮成楽『晴れのちシンデレラ』(まんがライフMOMO連載)だ。以下、『森田さん』『晴れのち』と略称する。
個人的には『晴れのち』のほうが「当たり」だったのだが、その理由はあとで述べるとして……、一話完結型の作品であるこの二作品には、共通する法則がある。各話の1ページ目に、お決まりの定型句がナレーションで流れ、そのバックでヒロイン(主人公)が一個ネタを演じるという「ワンパターン導入」だ。
しかしこれが何話も連続してくると、ちょっと飽きてくるというか、どうしても「続きを読むのは今度にしよう」という意識が出てくる。実際、『森田さん』は1巻に18話収録されており、それを5回くらいに分けて読んだと思う。
これが「一気に読むのがちょっと辛い」という体験であって、しかも「普通の漫画のつもりでスイスイ読みたい」という気分でこっちは読んでいるものだから、余計に感じやすい障害なのだった。
一見、先に進むかに思えたストーリーが、次の話になった途端にリセットされて、「同じ話がイチから繰り返されているように感じてしまう」……といえばわかりやすいだろうか?
■その漫画は、元々どう読まれているのか?
ここで必要なのは「元々これは四コマ漫画専門誌に連載していた漫画なのだ」と発想を切り替えることだろう。
単行本で読むことができるのは、雑誌連載をひとまとめに繋げなおしたものだ。「〜話」という単位の概念が存在し、毎回のページ数がある程度決められているというのも、雑誌というメディアがあってこそである。
つまり、月刊誌である『まんがくらぶ』『まんがライフMOMO』なら一カ月の「発行期間」があいだに挟まる。筆者が自発的にしていた「分けて読む」行為にしても、雑誌の読者の場合、否応なく「分けて読まされる」のがむしろ当たり前だったわけだ。
ということは、作者や編集者も、読者と同じような「間(ま)」を意識して作品作りを手掛けているはずだ。
もちろん、単行本になった状態の読みやすさを優先したり、どっちつかずなバランスで描いたりしてもいいのだが、『森田さん』のようなパターンは雑誌連載のリズムから生じた形式なのだと思う。その理由を考えてみよう。
■「月刊」誌での読みやすさを重視した結果……
一般に「キャラクターの日常描写がメイン」と称されるタイプの作品では、同時に「いつ読んでも同じような雰囲気である」ことも重視されてゆく。だから劇的なことはまず起こらないし、仮に事件が起こっても、その一話の中で解決される。
一号ごとに一話ずつ載っているのが「雑誌」である。ある号の一話を読み終わった読者が、日常生活に返って、またそれから次の号を手にする……という「ローテーション」を前提にするのが雑誌連載、というものだ。
ちょっと典型的な読者層をイメージするなら、「日常生活にそこそこの疲れを感じていて、ときどき栄養補給として漫画を楽しみたい」というくらいの需要に沿っているのがこの種の作品群かもしれない。
そういう需要にあっては「一カ月前のストーリーを覚えておくこと」「前回との変化を意識すること」すらも負担なので、伏線などは張らずに、ヒキも作らず、「それまでの出来事を全部忘れていても基本設定とキャラクターさえ覚えておけばその回の内容を楽しめる」ような漫画のほうがいい。
言い方を変えると、「忘れた頃にまた読める」くらいのローテーションがたぶん望ましいのだ。
そこで「基本設定とキャラクターさえ覚えておけば〜」どころか、1ページ目でソツなく「おさらい」をこなし、設定さえもウロ覚えで読める、というスタイルを採っているのが『森田さん』や『晴れのち』のようなワン・パターン導入タイプなのだろう。
途中から入った読者でもお話を理解しやすい、という利点もあるスタイルだし、四コマ雑誌は「姉妹誌からの出張掲載」をする機会が多いようだから、なおさら「内容を忘れて読む」スタイルに必然性があるのだと思う。
また、雑誌の中では「たくさん載っている掲載作」のひとつでしかない以上、読者はひとつひとつの作品に対する印象も薄れやすいはずだ。導入がいつも同じなら、タイトルのカラーを覚えてもらいやすくて有利だろう。
一般的な漫画誌の場合、読者の記憶を喚起するには「ドラマ性や謎や対決で読者を引き込む」という強力な手法があるのだが、「記憶すべきようなことを増やすのは読者の負担になる」という発想から出発するジャンルでは、上述した「内容を忘れて読む」スタイルに特化していくのだと思われる。
■しかし、単行本では
「いつも同じ導入で、似たような雰囲気で描かれている」漫画が単行本になった場合、読者側に「日常に帰る間」が用意されないので、繰り返しの印象が強くなってしまう。
考え方を逆にすると、単行本で一気読みするには「直前までの話を頭の中でうまくリセットする」という工夫が「読み方のコツ」として必要なのだとわかる。
そのコツに慣れた読者なら「これはそういうジャンルだから」という了解がすでに得られているのだろうが、しかし「話題になっていたのでふと手に取ってみた」という程度の読者(※筆者のこと)の場合、ちょっとたたらを踏んでしまうのだった。
次号発売までの「間」が空くということは読者にとって休憩になるし、そもそも雑誌はバラエティを提供するものだ。『まんがくらぶ』では『ぼのぼの』も読めるし内田春菊も読めるし、小池田マヤも読める。『ぼのぼの』→『森田さんは無口』、というローテーションを作ることで、すでに「繰り返し感」は払拭されているのだ。
■「一人のヒロイン」という形式
『森田さん』と『晴れのち』は共に、メインとなる主人公(ヒロイン)が一人で、だからこそ導入の定型句も毎回同じ、というお約束も成立している。
ジャンルとしての「ストーリー四コマ」ではもっと色々なスタイルが試されているはずで、この二作品は、ひとつの類型として取り上げるべきだろう(註1)。
たとえば、アニメ化もされた『らき☆すた』や『けいおん!』などは、メインキャラクターが複数登場し、お話の中心も入れ替わり立ち替わりする。そうしたスタイルでは、むしろ「単行本の方が読みやすい」と言えるだろう(実は『あずまんが大王』からしてそのスタイルだったわけだ)。
■単行本でも感じる「変化」のカタルシス
ただ、同じ一話完結型ストーリー四コマ(註2)でも、『晴れのちシンデレラ』に目を向けてみれば、ちょっと『森田さん』とは異なるものも見えてくる。
『晴れのち』のキャラ設定には、
「庶民出であることを隠そうとしているヒロインが、実は誰よりも本物らしいお嬢様であり、周囲の人々もその証人になっていく」
……というダイナミックなカタルシスが内蔵されているのだ。
1巻の初期と終盤を比べると、少しずつ作品の雰囲気が変質していることが解るのである。
これは言ってみれば、少しずつ描写がエスカレートしていくバトル漫画などと同じ構造で、導入はワンパターンでも一話完結でも、「続きが気になる」からぐいぐい引き込まれやすく、一気読みでも退屈しないのだ。
逆に『森田さんは無口』の場合は、新キャラが増えていくなどはするのだが、そこで何かがエスカレートしたりはしない(1巻の全18話の中では)。人間関係が豊かになりはすれど、作品の雰囲気そのものは変質していかない。
仮にヒロインの森田さんが、その無口さゆえに誤解を「どんどん深めて」いったり、まわりの好感が「どんどん増して」いくような構造で描かれていれば、縦軸のダイナミックさが生まれていたかもしれないけれど。
でもそれは作品の方向性の問題であって、優劣の問題ではないだろう。縦軸のダイナミズムそのものがほしくない、という嗜好だってあるはずだから。
ただ、ワン・パターン導入の形式を持ちつつも、「わりとスイスイ読める」構造を持ち合わせているのが『晴れのちシンデレラ』なのだと思う。
■まとめに代えて
途中の脚註でも述べたことだが、四コマ漫画はなかなか微妙な違いで、まったく異なる形式に分類されていく。新聞の四コマのような、一本完結の四コマ。「一話単位」で完結するストーリー四コマ、そして何話もエピソードが連続する長編ストーリー四コマ。
これらを同じ四コマ漫画、とひとくくりにしていいものかと迷ってしまうくらいだ。
その中から今回見てきたのは、「一話完結型ストーリー4コマ」という(筆者が適当に名付けた)形式の……、さらに「ワン・パターン導入」「単一ヒロイン」という条件を備えた作品群である。
こういう形式に特化していくことの意味も考えてみれば面白いし、連載からコミックスにまとまることで読み方が変わるのだ、という発見も面白かった。
そんな面白さから、ストーリー四コマというジャンルそのものにも興味を抱いていただければ幸いである。
かくいう筆者本人も、このような分析と報告を通じることで、ストーリー四コマに対する関心を深めている最中だから――。
註1 : 四コマ漫画を形式的に分類するのは、(さほど研究されていない分野というのもあって)なかなか難しい。一本(=四つのコマ)で完全にオチがつくタイプを純粋な「四コマ漫画」とすれば、「ストーリー四コマ」は数本の四コマの連作で「一話」を構成する形式を指すようだ。さらにストーリー四コマは、「一話完結型」のものと、数話にまたがってエピソードが継続する「長編型」に分けることができる(もちろん、一話完結と長編が混在・両立することもありうる)。そこで本稿では、竹書房系の『森田さん』と『晴れのち』を「一話完結型ストーリー四コマ」に分類し、後述の『らき☆すた』や『けいおん!』『あずまんが大王』などを「長編ストーリー四コマ」に分類している恰好である。
註2 : と、註釈しつつも、「一話完結型ストーリー四コマ」という名称はながったらしいので、もう少しシンプルな呼び名を考えてほしいと思うのだが……。
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『マンガ論争勃発2(マイクロマガジン社)』編著=永山薫/昼間たかし
泉信行 1980年生まれ。漫画研究家。『ユリイカ』、『Quick Japan』誌で研究発表やコ ミックレビューなどをして活動中。2008年から今年にかけて発行された、私家版 の同人誌『漫画をめくる冒険』シリーズ(ピアノ・ファイア・パブリッシング) に今までの研究成果が結実している。
タイトルで「なぜ一気に読みづらい?」といきなり問いかけているが、「一気に」ということは当然、単行本で読む場合のケースを想定している。
ぼくはふだん、あまり四コマ漫画を講読しない。四コマ専門誌も読まない。そんな筆者が、たまたま四コマ漫画のコミックスを数冊読んで、体験的に感じたことがある。それを報告してみよう。
さて、ぼくが買ったのはまず、たまごまごはんで紹介されていたので知った佐野妙『森田さんは無口』(『まんがくらぶ』・『まんがライフMOMO』連載・共に発行=竹書房)。
そして一緒に表紙買いした、宮成楽『晴れのちシンデレラ』(まんがライフMOMO連載)だ。以下、『森田さん』『晴れのち』と略称する。
個人的には『晴れのち』のほうが「当たり」だったのだが、その理由はあとで述べるとして……、一話完結型の作品であるこの二作品には、共通する法則がある。各話の1ページ目に、お決まりの定型句がナレーションで流れ、そのバックでヒロイン(主人公)が一個ネタを演じるという「ワンパターン導入」だ。
引用作品:『森田さんは無口(1)』 著者=佐野妙 出版社=竹書房 発売日=2008年12月27日 引用箇所:P11/5コマ目/ Silence 2の導入(のオチ) |
引用作品:同上 引用箇所:P17/5コマ目/ Silence 3の導入(のオチ) |
▲「女子高生 森田真由(16)/ちょっぴり人より無口です」
|
引用作品: 『晴れのちシンデレラ(1)』 著者=宮成楽 出版社=竹書房 発売日=2008年11月27日 引用箇所:P7/4コマ目/ エピソード1の導入(のオチ) |
引用作品:同上 引用箇所:P7/4コマ目/ エピソード2の導入(のオチ) |
▲「春日
晴さん/お嬢様高校きっての才媛である/が。/かつて極貧だった過去 (トラウマ)がある――」
導入をパターン化……いわゆるお約束、テンドンにすることが、この方面における一様式になってもいるのだろう(ここらへんは専門ではないので、詳しくはわからないが)。
しかしこれが何話も連続してくると、ちょっと飽きてくるというか、どうしても「続きを読むのは今度にしよう」という意識が出てくる。実際、『森田さん』は1巻に18話収録されており、それを5回くらいに分けて読んだと思う。
これが「一気に読むのがちょっと辛い」という体験であって、しかも「普通の漫画のつもりでスイスイ読みたい」という気分でこっちは読んでいるものだから、余計に感じやすい障害なのだった。
一見、先に進むかに思えたストーリーが、次の話になった途端にリセットされて、「同じ話がイチから繰り返されているように感じてしまう」……といえばわかりやすいだろうか?
■その漫画は、元々どう読まれているのか?
ここで必要なのは「元々これは四コマ漫画専門誌に連載していた漫画なのだ」と発想を切り替えることだろう。
単行本で読むことができるのは、雑誌連載をひとまとめに繋げなおしたものだ。「〜話」という単位の概念が存在し、毎回のページ数がある程度決められているというのも、雑誌というメディアがあってこそである。
つまり、月刊誌である『まんがくらぶ』『まんがライフMOMO』なら一カ月の「発行期間」があいだに挟まる。筆者が自発的にしていた「分けて読む」行為にしても、雑誌の読者の場合、否応なく「分けて読まされる」のがむしろ当たり前だったわけだ。
ということは、作者や編集者も、読者と同じような「間(ま)」を意識して作品作りを手掛けているはずだ。
もちろん、単行本になった状態の読みやすさを優先したり、どっちつかずなバランスで描いたりしてもいいのだが、『森田さん』のようなパターンは雑誌連載のリズムから生じた形式なのだと思う。その理由を考えてみよう。
■「月刊」誌での読みやすさを重視した結果……
一般に「キャラクターの日常描写がメイン」と称されるタイプの作品では、同時に「いつ読んでも同じような雰囲気である」ことも重視されてゆく。だから劇的なことはまず起こらないし、仮に事件が起こっても、その一話の中で解決される。
一号ごとに一話ずつ載っているのが「雑誌」である。ある号の一話を読み終わった読者が、日常生活に返って、またそれから次の号を手にする……という「ローテーション」を前提にするのが雑誌連載、というものだ。
ちょっと典型的な読者層をイメージするなら、「日常生活にそこそこの疲れを感じていて、ときどき栄養補給として漫画を楽しみたい」というくらいの需要に沿っているのがこの種の作品群かもしれない。
そういう需要にあっては「一カ月前のストーリーを覚えておくこと」「前回との変化を意識すること」すらも負担なので、伏線などは張らずに、ヒキも作らず、「それまでの出来事を全部忘れていても基本設定とキャラクターさえ覚えておけばその回の内容を楽しめる」ような漫画のほうがいい。
言い方を変えると、「忘れた頃にまた読める」くらいのローテーションがたぶん望ましいのだ。
そこで「基本設定とキャラクターさえ覚えておけば〜」どころか、1ページ目でソツなく「おさらい」をこなし、設定さえもウロ覚えで読める、というスタイルを採っているのが『森田さん』や『晴れのち』のようなワン・パターン導入タイプなのだろう。
途中から入った読者でもお話を理解しやすい、という利点もあるスタイルだし、四コマ雑誌は「姉妹誌からの出張掲載」をする機会が多いようだから、なおさら「内容を忘れて読む」スタイルに必然性があるのだと思う。
また、雑誌の中では「たくさん載っている掲載作」のひとつでしかない以上、読者はひとつひとつの作品に対する印象も薄れやすいはずだ。導入がいつも同じなら、タイトルのカラーを覚えてもらいやすくて有利だろう。
一般的な漫画誌の場合、読者の記憶を喚起するには「ドラマ性や謎や対決で読者を引き込む」という強力な手法があるのだが、「記憶すべきようなことを増やすのは読者の負担になる」という発想から出発するジャンルでは、上述した「内容を忘れて読む」スタイルに特化していくのだと思われる。
■しかし、単行本では
「いつも同じ導入で、似たような雰囲気で描かれている」漫画が単行本になった場合、読者側に「日常に帰る間」が用意されないので、繰り返しの印象が強くなってしまう。
考え方を逆にすると、単行本で一気読みするには「直前までの話を頭の中でうまくリセットする」という工夫が「読み方のコツ」として必要なのだとわかる。
そのコツに慣れた読者なら「これはそういうジャンルだから」という了解がすでに得られているのだろうが、しかし「話題になっていたのでふと手に取ってみた」という程度の読者(※筆者のこと)の場合、ちょっとたたらを踏んでしまうのだった。
『まんがくらぶ』2009年10月号 出版社=竹書房
これは、逆の見方もできるだろう。単行本だと「読みにくい」形式は、元々の掲載誌では「読みやすい」形式として働いていたはずだ、と。
次号発売までの「間」が空くということは読者にとって休憩になるし、そもそも雑誌はバラエティを提供するものだ。『まんがくらぶ』では『ぼのぼの』も読めるし内田春菊も読めるし、小池田マヤも読める。『ぼのぼの』→『森田さんは無口』、というローテーションを作ることで、すでに「繰り返し感」は払拭されているのだ。
■「一人のヒロイン」という形式
『森田さん』と『晴れのち』は共に、メインとなる主人公(ヒロイン)が一人で、だからこそ導入の定型句も毎回同じ、というお約束も成立している。
ジャンルとしての「ストーリー四コマ」ではもっと色々なスタイルが試されているはずで、この二作品は、ひとつの類型として取り上げるべきだろう(註1)。
たとえば、アニメ化もされた『らき☆すた』や『けいおん!』などは、メインキャラクターが複数登場し、お話の中心も入れ替わり立ち替わりする。そうしたスタイルでは、むしろ「単行本の方が読みやすい」と言えるだろう(実は『あずまんが大王』からしてそのスタイルだったわけだ)。
■単行本でも感じる「変化」のカタルシス
ただ、同じ一話完結型ストーリー四コマ(註2)でも、『晴れのちシンデレラ』に目を向けてみれば、ちょっと『森田さん』とは異なるものも見えてくる。
『晴れのち』のキャラ設定には、
「庶民出であることを隠そうとしているヒロインが、実は誰よりも本物らしいお嬢様であり、周囲の人々もその証人になっていく」
……というダイナミックなカタルシスが内蔵されているのだ。
1巻の初期と終盤を比べると、少しずつ作品の雰囲気が変質していることが解るのである。
引用作品: 『晴れのちシンデレラ(1)』 著者=宮成楽 出版社=竹書房 発売日=2008年11月27日 引用箇所:P47/5コマ目/ エピソード8の導入(のオチ) |
▲単行本の前後では、もう雰囲気が変質している。
序盤はそして作風の変質後は、彼女の真価が発揮される様子や、サブキャラたちがその活躍に惚れていくさまを「もっと、もっと」と読みたくなってくる。
「元貧乏人が、お嬢様のフリをする苦労を描いたコメディ」
として見えていたのが、徐々に
「本物のお嬢様が、極貧時代のトラウマに悩むコメディ」
……という逆転した印象で読めるようになってくのが面白かったです。
これは言ってみれば、少しずつ描写がエスカレートしていくバトル漫画などと同じ構造で、導入はワンパターンでも一話完結でも、「続きが気になる」からぐいぐい引き込まれやすく、一気読みでも退屈しないのだ。
逆に『森田さんは無口』の場合は、新キャラが増えていくなどはするのだが、そこで何かがエスカレートしたりはしない(1巻の全18話の中では)。人間関係が豊かになりはすれど、作品の雰囲気そのものは変質していかない。
仮にヒロインの森田さんが、その無口さゆえに誤解を「どんどん深めて」いったり、まわりの好感が「どんどん増して」いくような構造で描かれていれば、縦軸のダイナミックさが生まれていたかもしれないけれど。
でもそれは作品の方向性の問題であって、優劣の問題ではないだろう。縦軸のダイナミズムそのものがほしくない、という嗜好だってあるはずだから。
ただ、ワン・パターン導入の形式を持ちつつも、「わりとスイスイ読める」構造を持ち合わせているのが『晴れのちシンデレラ』なのだと思う。
■まとめに代えて
途中の脚註でも述べたことだが、四コマ漫画はなかなか微妙な違いで、まったく異なる形式に分類されていく。新聞の四コマのような、一本完結の四コマ。「一話単位」で完結するストーリー四コマ、そして何話もエピソードが連続する長編ストーリー四コマ。
これらを同じ四コマ漫画、とひとくくりにしていいものかと迷ってしまうくらいだ。
その中から今回見てきたのは、「一話完結型ストーリー4コマ」という(筆者が適当に名付けた)形式の……、さらに「ワン・パターン導入」「単一ヒロイン」という条件を備えた作品群である。
こういう形式に特化していくことの意味も考えてみれば面白いし、連載からコミックスにまとまることで読み方が変わるのだ、という発見も面白かった。
そんな面白さから、ストーリー四コマというジャンルそのものにも興味を抱いていただければ幸いである。
かくいう筆者本人も、このような分析と報告を通じることで、ストーリー四コマに対する関心を深めている最中だから――。
文=泉信行
【注釈】註1 : 四コマ漫画を形式的に分類するのは、(さほど研究されていない分野というのもあって)なかなか難しい。一本(=四つのコマ)で完全にオチがつくタイプを純粋な「四コマ漫画」とすれば、「ストーリー四コマ」は数本の四コマの連作で「一話」を構成する形式を指すようだ。さらにストーリー四コマは、「一話完結型」のものと、数話にまたがってエピソードが継続する「長編型」に分けることができる(もちろん、一話完結と長編が混在・両立することもありうる)。そこで本稿では、竹書房系の『森田さん』と『晴れのち』を「一話完結型ストーリー四コマ」に分類し、後述の『らき☆すた』や『けいおん!』『あずまんが大王』などを「長編ストーリー四コマ」に分類している恰好である。
註2 : と、註釈しつつも、「一話完結型ストーリー四コマ」という名称はながったらしいので、もう少しシンプルな呼び名を考えてほしいと思うのだが……。
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