スナイパーアーカイブ・ギャラリー 1981年1月号【2】
法廷ドキュメント ベージュ色の襞の欲望 第一回 文=法野巌 イラスト=笹沼傑嗣 成男は些細な事で激情し、冷酷非情の行動をとった。 |
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責任能力
最初から少々固い話で恐縮千万であるが、後の話をよりよく理解して貰うために、ここで、刑法における「責任能力」について、団藤重光博士の著書「刑法綱要」の頁をめくって見よう。
責任能力とは有責に行為をする能力である。この能力を欠けば、いかなる犯罪行為を働こうと現行法上は不可罰であり、何ら刑を科せられることはない。
又、青任能力とは、簡単にいえば、行為の是非を弁別し、弁別にしたがって行動を制御しうる能力である。事の是非を弁別することが出来ない者であれば、彼が殺人を犯そうと処女に暴虐の限りを尽くそうと、無罪である。
以上の考えを大前提として、刑法第三九条は以下のように規定する。
心神喪失者の行為は之を罰せず。
心神耗弱者の行為は其の刑を減軽す。
つまり、ある犯罪者が犯行当時、心神喪失状況にあったと認定されれば裁判所は被告人に無罪を言い渡さなければならない。
一方、起訴を担当する検察官も将来、弁護人の申し出により、あるいは裁判所の職権により被告人の精神鑑定でもされて、心神喪失の状況にあったなどとされてはたまらないから、被疑者の態度を見て、少々おかしいところがあると思うときは、起訴をするにつきいきおい慎重になり、あらかじめ、精神医などに精神鑑定を頼むことになる。
重大な結果をもたらした犯罪者が何ら罰を受けないなんて、と思われる方が多数いるに違いない。しかし、責任無能力者ということになればどうしようもないのだ。ある行為が構成要件に該当し、違法かつ有責であることが、犯人を処罰しうる最低限の条件であるからだ。
性交目撃
被告人を死刑に処す。
昭和三十×年、東京地方裁判所刑事部は、箱崎成男に死刑を宣告した。
強盗殺人、強盗強姦未遂、強盗傷害で起訴された箱崎の弁護人には、彼が精神分裂症患者であり、犯行当時心神喪失の状況にあって、責任を問うことは出来ないと言う外に弁護の余地はなかった。裁判所はその抗弁を容れず、極刑を言い渡したのであった。
箱崎成男の父親は大酒飲みであり、酒乱であり、酔うと妻に対し、あたり構わず殴る、蹴るの乱暴を働いた。彼は毎日酒を飲んだ。したがって、妻は毎日、彼の暴力から身を守らねばならなかった。そんな生活に嫌気がさしたのだろうか。いや、それ以上に身の危険を感じたのだろうか。成男が五歳になった或る日、彼女は夫と成男を残し、その行方を断った。
以後、成男は絞首刑になるまで遂に母を見ることはなかった。父親は旅館の雇われ番頭であった。番頭とはいっても名ばかりで、実際は旅館の使用人に過ぎなかった。成男が物心ついた頃には、母親は彼と父親を捨て、その行方を断っていたから、戒男の幼少時の思い出は、すべて父親及び彼の周囲の大人達が絡んだものばかりであり、母親の臭いのするものは全く無かった。
このような母親不在の幼少時の生活が、どんな影響を彼に与えたのかは、やがて引き起こす犯罪により推察のつくところである。
父親は、妻がいなくなってからますます酒に溺れていった。妻に愛想を尽かされたその原因を深く反省するなどということを望むことが、まず無理な男であった。
このような毎日を送っていれば、雇主からも愛想を尽かされるのは当然のことで、父親は働いては首になり、又、新しい職場を探すということを繰り返していた。だから成男は、父親に付いて北海道各地を転々とする破目となった。
成男は友達と遊ぶことの出来ない、孤独な魂の持ち主になっていった。無理もないことであった。家族といえば大酒飲みで酒乱の父親だけ。しかも父親の仕事場であり、又、生活の場でもある旅館は、大人達の集まる世界であって、成男が溶け込んで行くには異質すぎる世界であった。
(続く)
07.05.23更新 |
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