新連載 月一更新!
「お絵描き文化」の特異な発達を遂げた国、日本。「人は何のために絵を描くのか」、「人はなぜ描くことが好きに/嫌いになるのか」、「絵を描くとはどういうことなのか」――。さまざまな形で「絵を描く人々」と関わってきた著者が改めて見つめ直す、私たちと「お絵描き」の原点。
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はじめに
「お絵描きの好きな国民性ランキング」を作ったとしたら、日本はおそらくベスト10のそれも上位に入るのではないでしょうか?
最初に「日本人ってお絵描き好きが多いんだ」と思ったのは昔、『週刊朝日』に連載の「山藤章二の似顔絵塾」を知った時。プロではないたくさんの人々が、こんなに上手い似顔絵のイラストを描いていることに驚きました。
遡れば日本最古の似顔絵は、法隆寺金色堂の天井柱に裏に職人や工人によって悪戯描きされたものでした。対象の特徴を捉えデフォルメしていると思われる、なかなかの筆遣い。唐招提寺や平等院鳳凰堂にある落描きにも、確かなデッサン力が感じられます。
時代を下れば、鳥羽僧正のものと伝えられる「鳥獣戯画」や、葛飾北斎の北斎漫画、歌川国芳の浮き世絵、渡辺崋山の「一掃百態」など、現代の漫画にも通じる巧みなイラストが生み出されています。それら後世に残った絵師たちの裾野には、名もない人相描きや戯れ絵師、悪戯描きの好きな市井の人々がいたでしょう。
そして現在。イラスト(現在はマンガも)に特化したSNSとして一人のプログラマが2007年に開設したお絵描きサイトpixiv(ピクシヴ)は、現在世界227カ国、会員数1700万人を数えるまでに成長しています。登録の約8割が日本とのこと。1300万人としても、日本に住む人の1割近くが参加している計算です。月間のページビューは30億。ちなみに私は閲覧専門の無料会員ですが、加速度的に増加していくマンガやイラストの数と、そのバラエティ、レベルの高さに圧倒され続けています。
ずっと前からイラストやマンガを同人誌で発表している人々はいましたが、ネットは、日本を中心に潜在していた、日常的に絵を描いて楽しんでいる人々の存在を顕在化させました。
絵は描かない人でも、メールの中で頻繁に顔文字という絵を使うケースは普通にあります。ラインにはさまざまな感情を相手に伝えるためのスタンプがあって、大勢の人が利用。これらは、言葉の代わりに(他人の描いた)絵を利用するパターンですね。
世界一識字率の高い「読み書き文化」の国における、この「お絵描き文化」の特異な発達と広範な影響力。実に興味深い現象ではないでしょうか。
1959年生まれの私もお絵描き大好きで、子どもの頃は暇を見てはマンガやイラストを描いていました。高校から進路を美術に定め、芸術大学卒業後は幼稚園や小学生のお絵描き教室、美術系予備校やデザイン専門学校のデッサン指導、社会人のアート講座などで、異なる年代のさまざまな「絵を描く人々」と関わってきました。
この連載ではそれらの体験を振り返りながら、「人は何のために絵を描くのか」、「人はなぜ描くことが好きに/嫌いになるのか」、「絵を描くとはどういうことなのか」をじっくりと考えていこうと思います。自分も含め、「絵を描く人々」がたくさん出てきます。描くことが得意・好きな人だけでなく、苦手な人も視野に入れた内容にしていくつもりです。
せっかくなので、毎回添える挿絵代わりのデッサンも、自分で描きます。ただ私は専門教育を受けたため、何を描いてもそこそこ描けてしまう。それではつまらないので、同じモチーフをそれぞれ利き手(右手)と左手で描くことにします。
......で、予想はしていましたが、左手で描いた絵(字も)、酷いもんですね。思うように描けないとは、こんなに辛いことだったのか。
毎回モチーフを変え、徐々に難易度を高くしていく予定ですが、さてどうなりますことやら。本文と合わせてお楽しみ下さい。
絵を描く人々 第1回 人は物心はつく前に描き始める
自分の浸かった産湯に当たる光の揺らめきを記憶している、という有名な作家の話があるが、初めて絵を描いた時のことを、あなたは覚えているだろうか。
私はまったく記憶がない。大抵の人は覚えていないと思う。個人差はあるが、人が何かを描き始めるのは、だいたい1歳過ぎくらい。言葉を発しようとし出す時期と重なっている。いずれにせよ、人は物心つく前から、何かを喋り、描き始めるのだ。
紙の貴重な時代や、幼児に絵を描かせるという発想のない時代なら、幼い子どもは木の枝で地面を引っ掻いたりしただろう。あるいは消し炭などで壁に描いたかもしれない。周囲の大人がしているのを真似て。
私のお絵描きも真似事から始まった。1歳を少し過ぎた頃の私は、家でよく書き物をしていた父の横で、「じーじ、じーじ」と言いながら握りしめた鉛筆を紙に擦りつけていたらしい。
ものを書く父の行為に興味を示した私に、父が「パパは字を書いているんだよ。字」と言ったのだろう。それで、鉛筆やペンを持って紙に向っている父の姿勢と「じ」という単語が、幼い私の頭の中で結び付いたのだ。そして自分も「じーじ」をやろうとした。
字も絵も、「書く」も「描く」も未分化の時代、私の中で言語活動と描画活動は絡み合っていた。「じーじ」から始まってお絵描き文化にどっぷり浸かったまま美術を志向し、今、字を書く(パソコンで打つ)仕事をしている自分を顧みると、不思議な気分になる。
大人になって、小さい子どものいる友人宅でのパーティに行った時、襖に盛大に描かれた落描きがあった。「見苦しくってすみません」と親に言われたが、たぶんそこにいた誰も「見苦しい」とは思っていなかったと思う。壁でも襖でも、広い余白のあるところに子どもは何か描きたくなるものだ。それを禁止せず、伸び伸び育てている雰囲気が伝わってきてむしろ微笑ましく感じた。
自分が壁に描いた2~3歳頃の落描きは、よく知っている。廊下や居間の壁に鉛筆で描き殴ったのを、10年以上そのままにしてあったので記憶に焼きつき、今でもどんな「絵」だったか思い出せる。
足の生えた大きなおにぎりのような形、大きい丸や小さい丸、腕を一杯に伸ばして描いたと思われる長い強い線。その下のほうには、伝い歩きを始めたばかりの妹が描き殴った線が、くしゃくしゃと散らばっている。
さすがに壁にばかり描かれるのはまずいと思ったのか、両親は居間の隣の四畳半いっぱいに模造紙を敷き詰め、私にクレヨンを与えた。私は一日中そこに寝そべって、お絵描き三昧の日を過ごした。
子どもがお絵描きに夢中になるのは、それが最初の能動的なふるまいだからだ。
幼い子どもは無力である。御飯を食べさせてもらい、着替えさせてもらい、トイレを手伝ってもらい、お風呂に入れてもらい、寝かしつけてもらう。生きていくのに必須のすべての行為において、他人の援助が必要だ。
物を握れるようになって、子どもは初めて描画道具に触れる。クレヨンやクレパスの握り応え。紙の抵抗感。腕の運動に従って白い紙に現われる、くっきりした線。子どもは自分の行為の痕跡としての描画を見つめる。なんだ、これは。なんか面白いぞ......ぐしゃぐしゃぐしゃ。
大人から見れば合理性も秩序もないその渾沌も、子どもにすれば、身体と現象が直結して次々新しい出来事が起こる快楽の世界だ。殴り描きの集積によって、紙はどんどん白さを失い、汚れ、時に皺だらけになる。
手つかずのものを汚す喜び、壊す喜び。これは人間の中にある原初的な攻撃衝動であり、征服への欲動だ。
いくら我が物顔に好きなだけ自由に振る舞っても、すべてが許容されるお絵描き。なんという至福の世界。紙や襖や壁を前にして、子どもは一時、支配者になる。圧倒的な弱者である受け身の子ども、一人では何一つできない子どもが、物に積極的に働きかけて何かを生み出し、同時に何かを壊してかりそめの満足を味わう最初の行為が、「描くこと」なのだ。
子どもの頃の記憶がなくても、誰でも自分がそうした描画体験をしてきたらしいということは知っている。だから子どもの落描きを見ると皆、何となく遠い目になる。そこに、まだ社会化されていない自然状態のかつての自分の姿を幻視するのだ。
子どもの描画の発達段階は、殴り書きに始まって2歳前後から円形が出現する。やがて円の中に目や口らしき点が加わって顔になり、3歳を過ぎれば足が生えてくる。顔と足だけのそのかたちを、幼児教育の分野では「頭足人」と言う。親や兄弟など、周囲にいる人間を示すことが多い。
人間を描きたいと思うから次第に手がそのように動くのか、手の動きを制御できるに従って人間が描けるようになるのか。あるいは「ママ」「パパ」といった最初に覚える単語が人を表わすものだから、絵も人間から始まるのか。そのあたりについては、私は詳しい知識を持たない。
だが、大人がそう誘導し教え込むわけでもないのに、ぐちゃぐちゃの渾沌とした線が顔に、次いで人のかたちに似たものに整形されていくという過程は、民族や国や地域を問わず世界中に共通して見られるという。人は、物心ついた頃から自らの姿を再現するよう宿命づけられているのだ。
もちろんそれは子どもの中にある象徴的な人のかたちであって、大人が認識している人のかたちとは違う。だから大人は「それは何?」と尋ねる。子どもは大抵明快な答えを持っている。幼児期ほど、自分の描くものに一片のコンプレックスも抱かず、確信をもっている時期はないのではないかと思う。
ところで、お絵描きに比べ、読み書きの始まりは数年遅い。絵らしきものを一切描かずに、いきなり読み書きを覚え始めることはまずないようだが、読み書きは絵より何十倍も学習が重視される。そこにある体系と規則を習得し、他人にわかる言葉で書けるように教育されて、人は社会人となる。話し言葉にしても、周囲の大人がせっせと話しかけて習得を促す。この社会で人と関係を築いて生きていけるように。
つまり言葉は、すべての人間に強制インストールされる社会化ツールである。皆が同じ道具を同じルールの元に使いこなしてコミュニケーションを図らないと、この社会が成り立たない。だから小学校から大学まで、科目名は違っても「国語」の授業は続いているし、識字率はその国の民度、文化度を測る物差しになっている。
つまり読み書き文化は、十全なコミュニケーションと秩序と合理性を重視する社会の側に属していると言える。
それに比べるとお絵描きは、基本的にプライベートな領域に属しているように見える。まず、絵など描けなくても社会生活に支障はない。絵を描かねばならないシチュエーションもほとんどないし、絵の中に皆が守るべきルールがあるわけでもない。
むしろお絵描きはもともと、十全なコミュニケーションと合理性と秩序を旨とする社会とは対立しているのではないか。だって、ぐしゃぐしゃするのが気持ちいいわけだから。自分がこれを「ママ」だと思ったら、誰が何といおうと「ママ」だし、「りんご」と言ったら「りんご」なのだから。お絵描きほど自己中心的な営みはない。
だが、子どもの絵の発達段階を辿れば、お絵描きもやはりある種の社会性を自然と獲得していく。地面を表わす線が引かれて画面に上下ができ、家より自分を大きく描くことはなくなり、遠くのものは小さく、近くのものは大きく描くようになる。
「心の中にある真実ではなく、現実に見える事実を描く」というこの変化も、大人に強制されるものではない。観察力がつくに従って「見えたまま」、リアルな本物らしく見える絵を描こうとし始めるのが一般的なのだ。言い換えればそれは、主観から客観への転換という社会化のプロセス。「伸び伸び自由だった絵が子どもらしくなくなった」と、大人が残念に思う必要はない。
だがそこに到達してしまう前に、多くの子どもが通過する場所がある。初期のお絵描きにおける男の子文化と女の子文化だ。次回はそれについて考えてみよう。
絵・文=大野左紀子
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16.05.07更新 |
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