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『No Wave:Post-Punk. Underground. New York.
1976−1980』


文・翻訳=
DJハル吉


1970年中ごろから80年にかけての短期間ではあったけれど、現在に至るまで大きな影響を及ぼしたロック/パンク・ムーブメントがニューヨークで勃興しました。既存のジャンルやスタイルに「NO」を突きつけ、あっという間に消えていった「NO WAVE」と言われたそのシーン。当時活躍したミュージシャンのインタビューと写真で構成された貴重な写真集が発売中。

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『No Wave:Post-Punk. Underground. New York. 1976−1980』
Hardcover:144 pages
Publisher:Abrams Image (June 1, 2008)
Language:English
ISBN-10:0810995433
ISBN-13:978-0810995437
Product Dimensions:10.1 x 8 x 0.8 inches
Writer:Thurston Moore, Byron Coley
Copyright (c) 2006 Harry N. Abrams, Inc.

この写真インタビュー集の著者の一人は連載第一回で取り上げたリチャード・カーンのDVD『Extra Action』で音楽を担当したサーストン・ムーア。もちろん彼のバンド「ソニック・ユース」も「No Wave」シーンから大きな影響を受けました。ニューヨークという局所で10年にも満たない(実質5年くらい)ムーブメントであったにも関わらずロックの歴史に名を残し、また世界中のミュージシャンが直接体験した訳でもないのに非常に影響を受けたと認めているのは何故でしょうか?

この「No Wave」ムーブメントにいたバンドのオムニバス・レコードが作られたことも理由の一つになるかもしれません。

nony.jpg CD (2005/11/22)
オリジナル盤発売日:1978
ディスク枚数:1
フォーマット:Compilation
レーベル:Lilith
ASIN:B000B63ISE

「No Wave」シーンの中心的4バンド(コントーションズ、DNA、マーズ、ティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークス)によるオムニバスアルバムでプロデュースはブライアン・イーノでした。


コントーションズ



マーズ


DNA
http://jp.youtube.com/watch?v=XHBam9oJ07A


ティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークス
http://jp.youtube.com/watch?v=ZLUUDZdKxuA


この写真集『No Wave:Post-Punk. Underground. New York. 1976−1980』は上記4バンドの写真とインタビューを中心にしていますが、


著者二人による紹介ビデオ


当時余り光の当たらなかったアーティストにも焦点を当てています。例えば、当時セオレティカル・ガールズというバンドをしていたグレン・ブランカのインタビュー。

グレン:(ブライアン)イーノは「No Wave」のことを聞いてニューヨークに来たんだ。彼はしばらくここに住んでた。スプリング通り近くのラファイエット通りにあるオフィスビルに住んでたか、そこに彼のオフィスがあったんだ。1978年春だったと思うけど「No Wave」という単語が出てきたとき、イーノはここにいて「No Wave」のレコードを作ろうとしていた。ロック評論家のロイ・トレイキンが「No Wave」って単語を考え出したんじゃないかな、ソーホー・ニュース(週刊誌)かなんかで。彼が名付けるまでムーブメントはなかったんだ。「Xマガジン」(「No Wave」系バンドを取り上げていた)系バンドと命名してもよかったはずだけど。ムーブメントなんかなかったんだ。振り返ってみれば(レコード「No New York」に入った)バンド連中に共通点はほとんどなかったのが分かるだろ。実際のところ、イーノなんだよ、あいつらに共通性を持たせたのは。だって彼は全て同じように録音したからね。もしイーノが(コントーションズの)ジェームス・チャンスにしたいようにさせたらジェームス・ブラウンのレコードみたいになったろうし、マーズにやらせたいようにやらせたらパティ・スミスみたいな音になったろうな。それでもし(ティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスの)リディア・ランチに好きなようにやらせたらブラックサバスみたいになったんじゃないかな。

イーノが10バンド各2曲ずつで「No Wave」のアルバムを作るらしいって噂だったんだ。俺達はイーノと話したことはなかったけど、ジェフリー・ローン(グレン・ブランカと同じくセオレティカル・ガールズのメンバー)のライブにイーノが来てて、皆は「うわぁ、イーノがいるぜ!」って感じさ。俺達、コドモだったんだな、いや、子供じゃなかったけど、有名人と接触したことなんかなかったんだ。CBGB(ライブハウス)で30人入ればラッキー、みたいな音楽をやってたから。で、突然有名人が入ってきた、すごいね。その後分かったのは、イーノは10バンドじゃなくて、たった4バンド各4曲ずつで録音するってことだった。しかもイーストビレッジ系のバンドだけで。いわゆるイーストビレッジ系とソーホー(地区)系バンドには境界線があってさ、イーストビレッジ系の奴らは自分達に「No Wave」の権利があると考えてたんだ。俺達(ソーホー系)だってすぐ横にいたのに。だけど俺達はイーストビレッジには住んでなくてリトルイタリーやソーホーに住んでたから。

〜(略)〜それ(イーノがセオレティカル・ガールズのライブに来たこと)から数日して、俺達はレコードに参加できないって知らせがあった。彼はライブが気に入らなかったんだろうね。俺達は折衷的過ぎたから。実際、イーノが知っている音楽に近過ぎたんだ。その点は俺に責任があるよ。他の連中はイーノにすれば社会的変種に見えたんだろ、「おお、観ろよ。楽器も弾けない奴らがイカレタ音楽を作ってるぞ」ってなもんさ。ジェフリーと俺は明らかにミュージシャンで、自分達のしてることがよく分かっていたし、その上実験的な音楽をやってたから。その責任も俺にあるけどね。

〜(略)〜この非常に若くて新しいムーブメントを取り出して、レコードに入ったバンドとそうじゃないバンドに亀裂を入れたんだからひどい話だよ。このレコード(「No New York」)に入らなかったけど、いいバンドはまだいたんだ。〜(略)〜でも皆が知ってるのはアルバムに収録された4バンドだけ。奴らはスーパースターになって他は最低のままさ。そういう状況だったんだ。

しかもなんと、数ヵ月後には「No Wave」(シーン)はなくなってしまった。レコードに入った奴らは解散するか、商業的になってしまったし、残された俺達は他のことをやり始めた。しかしブライアン・イーノを責めるかと言うと……彼のせいだとは思わないよ。でも、イーノのしたことが「No Wave」を破壊したんだ。シュレジンガーの猫みたいにね。ほっとけばよかったんだ、そうすれば(「No Wave」は)死ななくて済んだのに。――[翻訳及び()内注はハル吉]


さて、それでは一方のブライアン・イーノはどう言ってるでしょうか。

ブライアン・イーノ:僕がニューヨークで見たのはパンクの流れというよりは、はっきりとファインアートの伝統に沿ったものでした。たぶんトーキングヘッズの2nd LPのマスタリングをするためにいたんだと思いますが、よく覚えてません。ただ出かけてはいろんな人に会ってたのは覚えてますが。全てがあっという間でした。誰にいつ会ったのかもう思い出せません。本当に多くのことが起きていて大混乱でしたから。でもこれ(「No Wave」)は長くは続かないだろうと強く感じていました。パッと燃えて消えてしまう炎みたいにね。誰かが録音しないかなと思ってました。僕は歴史的観点からこのシーンが勃興する瞬間をドキュメントしたかったのです。

芸術史的観点からこのシーンに興味を持ちました。録音したいというアイデアを、資金を出してくれるはずのクリス・ブラックウェルに話したときに言いました。これは歴史の一部で金儲けにはならないだろうし、レコードもそんなに売れないだろうと。でも僕は重要なドキュメントになると考えてました。

〜(略)〜アルバムはオムニバス1枚で(参加した)4バンド4枚にはならないという僕のアイデアが問題になり、かなり揉めました。他のバンドと一緒にレコードに収録されたいのか、とかね。それも分かりますが、そうするしかないんだって言いました。4枚、或いは1バンドだけのフルアルバムを作る予算はありませんでしたから。このプロジェクトの意図は今起こっていることのカタログを作ることだったんです。セオレティカル・ガールズはこの考えが気に入らなかったみたいですけど。(収録されたバンド達も)僕をとても疑ってました。彼らの音楽とアイデアをかっぱらいに来た英国人じゃないかって。特に(コントーションズの)ジェームス・チャンスにはそう思われてましたね。

〜(略)〜アルバムジャケット撮影のために、僕はカメラマンのマルシア・レスニックとカメラ一式、そして参加したミュージシャンと一緒に世界貿易センターに行って、そこで彼女のカメラを借りて僕があの(ジャケット)写真を撮りました。光量が少な過ぎたし、カメラの使い方も間違ってしまったんですが、現像されてきた写真には魅了されました。なんて儚く見えるんだろう。写ってる人が同行したメンバーなのかも分かりませんが、このレコードにある瞬間的ですぐ消えて行ってしまうようなフィーリングが写ってました。世界貿易センターにも同じことが言えますね。このジャケットには非常に満足しています。

〜(略)〜何かがこの世に存在できれば、それが影響を及ぼすかもしれないのです。ですから僕はこれらのバンドを録音したかったのです。なぜならアーティストが他のことをやりだしたら、絵みたいに残ったりしないですからね。もしこの人達が演奏をやめたら、やめるだろうと僕は確信してましたが、それで終わり、分かるでしょう。とても重要な貢献をしたと思います。ある集団に電気楽器を持たせてステージに上げたら何ができるか? その限界を書き換えたんです。確かに彼らは影響力があったと思います。彼らの音楽は種子だったんです、たくさん面白い方へと成長した種子です。グレン・ブランカはいい例ですね。このムーブメントに貢献し、そして出て行ったんですから。――[翻訳及び()内注はハル吉]



メインの4バンドの他にも日本人でこのシーンに関わったイクエ・モリ、レック、チコヒゲのインタビューや写真も少し載ってます(英語ですが)。写真だけでも十分楽しめる内容になってますので御一読あれ。

さて余談ですが、この「NO WAVE」ムーブメントを日本語で読める本がないかと探したところ、ありました! 「NO WAVE」シーンのバンド「コントーションズ」のジェームス・チャンスが初来日した際に編集されたものです。

nowave-jp.jpg 『NO WAVE―ジェームス・チャンスとポストNYパンク』
単行本(ソフトカバー):224ページ
ISBN-13:978-4872950991
発売日:2005/7/13
価格:1600円
発行:エスクァイア マガジン ジャパン

『No Wave:Post-Punk. Underground. New York. 1976−1980』が写真中心だとすれば、こちらは読み物中心と言えましょうか。ジェームス・チャンス邸訪問記、当時日本で「NO WAVE」を取り上げた雑誌「ロックマガジン」の再録、ジェームスのアルバムを発売した「ZE Records」創始者マイケル・ジルカへのインタビュー、菊池成孔、絲山秋子、椹木野衣、中原昌也、WEBスナイパー連載者の安田理央の寄稿文などが収録されています。またこの連載第4回「DJハル吉:今日の一枚」で紹介した『North Six』(2004年 3" CD)でノイズをぶちまけていたカルロス・ジフォーニのインタビューも載ってます。
安田氏の関連ブログ記事

この本で面白かったのは「NO WAVE」シーンのさなかにいたスクリーミング・マッド・ジョージと塩井るいのインタビューでしょうか。現場にいながらもコアとなるアーティストからは少し離れて存在していた二人のインタビューを読むと当時の状況が非常によく分かります。

写真集を見て、CDを聞いて、企画本を読む、これであなたも「NO WAVE」シーンをより立体的に捉えることができるはず。

(続く)


DJハル吉:今日の一枚

『Symphony 8 & 10』 Glenn Branca (1995年 Atavistic)
glenn-sympho.jpg

「No Wave」シーン勃興期にはセオレティカル・ガールズのメンバーとして活躍。その後80年代に入り独自のギターシンフォニー・シリーズの作曲を開始したグレン・ブランカ。演奏しているアンサンブルは11名中ギターが8名! 多過ぎ! しかもアルトギター、ソプラノギター、オクターブ・ギターってなに!? 低速のドラムをバックにギターがほとんど音程差なく延々と途切れなく響きます。ちゃんと合奏してるので(ノイズ系にありがちなタレナガシとは違い)整合感があり、ノイズなのに透明感があって美しい。このシリーズはどのアルバムも音が似てて曲の区別はつかないですが。ちなみに92年に発売された『Symphony no.2』には演奏者として、この連載でも何度か触れたソニック・ユースのサーストン・ムーア(上記写真集の著者でもあります)とリー・ラナルドが参加していました。

曲は違うけどこんな感じ。




文・翻訳=DJハル吉


harukichi8.jpg DJハル吉 7"インチ専門DJ。得意なジャンル:童謡とノイズ。その他インディーズ翻訳家兼作曲家。曲を演奏してくれるオーケストラ募集中。鳥の唐揚げが大好き、あとラム肉。座右の銘「猫は野良に限る」。


DJハル吉サイト=「峠の地蔵」毎週月曜更新

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08.10.30更新 | WEBスナイパー  >  音楽とエロスの交差点