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Criticism series by Sayawaka;Far away from the“Genba”
連載「現場から遠く離れて」
第一章 ゼロ年代は「現場」の時代だった 【1】

ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に本質的な問いを 突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代と ジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載、開始!
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インターネットの普及が始まって以来、つまりここ15年ほどで、日本のポップカルチャーの状況は急激に様変わりした。これは今さら言うまでもないことで、ほとんどの人に同意してもらえるだろう。だが、いま筆者が考えるのは、どのように状況が変わったのかということについて、いまだ十分な理解がなされてきたとは言えないということである。たしかに、ネットが出現してからの変化として、個人による不特定多数を対象にしたコンテンツ配信が手軽に行なえるようになったということや、その結果としてネットでの個人同士のコミュニケーションが促進されるようになったということはよく語られている。さらに、その変化に導かれて二次創作やファンカルチャーが盛況となり、企業体などの従来的なコンテンツベンダーがその割を食っている、というような指摘も多く見られる。これらの内容はおそらくは間違いではない。しかし、いま筆者が最も語られるべきであり、しかもほとんど重視されていないと考えているのは、たとえばネットが普及したことによって「遠く離れた者同士が体験を共有できるようになった」というような話についてである。

そのような主張もまた、多くのネットを巡る言説と同じように表面上は間違いではないように見える。しかし、何を根拠にそれを正しいと言っているのだろうか。そのような理解からは、そもそも私が他者と「体験を共有」することなどができるのかという、根底にあるべき問いが完全に抜け落ちているように感じられる。我々はしばしばネットによって自分の五感が拡張されたように感じたり、電脳空間という比喩通りに空間的な領域としてネットを捉えようとしてしまう。情報技術は全般に、そのような錯覚を与えることで人にとって意味のあるものとなるので、錯覚を覚えること自体に誤りはない。しかしそれが錯覚であるということに自覚的でない限り、我々は自分たちが「体験を共有できる」、つまり控えめに言っても人には共通する感覚があって、同じものを見れば同じように感じるのだという考え方がなし崩し的に助長されてしまうのだ。それは果たして正しいことだろうか。

L'Arrive'e d'un train a` La Ciotat (1896) - The Lumie`re Brothers

たとえ話として、古いメディアアートとしての映画のことを考えてみよう。映画は現実ではなく、遠くからカメラに向かって走ってくる列車の映像は虚構である。しかし、19世紀末にリミュエール兄弟がこの映像を観客の前で公開した時、集まった観客たちは列車に轢き殺されると錯覚して大騒ぎしたそうである。現代の我々はそれがフィルムに映された影にすぎないことを知っているし、それどころか、その単なる影を見て我々が列車がこちらに向かってくると認識することについての十分な議論の蓄積があり、その批評的達成を踏まえて数多くの作品が作られてきたはずである。にもかかわらず、今日ネットが我々の日常に登場した時、人々は何の疑問も抱かずに平然と「遠く離れた者同士が体験を共有できる」などと言い始めているのである。むろんポップカルチャーを対象にした批評はネットが登場してからも、とりわけゼロ年代に入ってからは、大きな達成を収めた。しかしそのほとんどは、この時代に我々の現実認識が大きく変わったことよりも単にナラティブ(物語と語り口)を過度に注目しており、その結果、より広い分野を横断的に批評の対象とすることができずにいるように思われる。

「体験を共有する」とはどういうことなのか。また今日その「体験」はどこで生まれているのか。それについて考えるために、我々はこれから「現場」という概念について明らかにしていこう。概念、つまりそれは単に場所を指すわけではないし、単なる言葉でもない。ネットの台頭と並行するようにして大きな意味を持つようになったこの概念を追うことは、我々がネットという新しいメディアをどのように捉えてきたかを知ることに直接つながっている。そしてそれは、とりもなおさず少なくともここ20年の日本のカルチャーがどのような想像力によって生み出されてきたのか、またその中で我々のリアリズムがどのように変容してきたのかについて記すことにつながる。その内容は、ネットはもちろんポップミュージックや演劇、テレビドラマ、アニメ、ゲームなど、「現場」という観点からそのリアリズムの成り立ちを検証可能な新旧のポップカルチャーについての言及を含むことになるだろう。つまりこれは、そのようなポップカルチャーに触れている市井の者たち、すなわち一般的な日本人たちが、ネットが前提の時代となった現在にどのような感受性を持っているのか、何を考えているのかについての論考なのである。



では試みに、ゼロ年代の批評から、その対象として他の分野ほどは重視されずにきた、ポップミュージックについての話から「現場」について語り始めてみよう。今井晋は2010年に、ゼロ年代の音楽シーンについて書かれた文章(※1)の中で、パッケージ販売の低調という業界的な要請に加えて、リスナー側からの期待、すなわち音楽を音楽のみによって楽しむことへ限界を感じ、同時にコミュニケーションの媒体として音楽を楽しみたいという欲求にしたがって、音楽ジャンルの別を問わず現実空間での聴取、すなわちライブパフォーマンスが重んじられる傾向にあったと的確に指摘している。その傾向はゼロ年代の音楽シーンにおけるロックフェスやアイドルシーンの盛況などに象徴されており、彼はこのような風潮を「ライブ回帰」と呼んでいる。「回帰」という言葉にはむろん、音楽を巡る環境が物理空間を持たない領域(つまりネット)に広がったことを前提とする含意がある。

さてこうした「ライブ回帰」の風潮について、今井は音楽シーンに限った説明を行なっているが、むろん筆者はこの現象はゼロ年代においてあらゆるカルチャーで全面化した傾向だと考えている。最もわかりやすいのはいわゆる「オタク」系のカルチャーである。なぜなら90年代までこの手のカルチャーは「ひきこもり」的な内向性が主な特徴として語られており、1983年に中森明夫がコミケに集まる「マンガマニア」の若者を「運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴ら」(※2)として揶揄し、さらに1989年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人の部屋が5000本以上のビデオテープで埋め尽くされていたことが発覚して以降、「オタク文化」は「部屋の中で自閉的に趣味に没頭する人々」というネガティブなイメージで理解されていた。ところがゼロ年代には秋葉原が「オタクの街」として全国的な注目を集めたことからもわかるように、「オタク」各人の趣味の分野がアニメやゲームなど「部屋の中」で観賞されるものであっても、彼らはむしろ年々「外」に出て注目される存在になっていくのである。こうした傾向は同人誌即売会「コミックマーケット」(コミケ)が「オタクのお祭り」のような一大イベントとして50万人を越える入場者数となっていることや、今井も指摘していたAKB48やPerfumeなどインディーズ出身アイドル、さらには声優のコンサートが大盛況となっていることなどからもうかがえる。

「オタク」が現実空間を重んじるようになったことの例としては、たとえば全国の大都市を中心にメイド喫茶が多数オープンし、「オタク」系の男性を中心に集客していることもその一つに数えていいだろう。また「聖地巡礼」と呼ばれる、マンガやアニメの舞台となった土地を訪問する行為を行なう者も年々増えている。たとえばアニメ『らき☆すた』(2007)の舞台として有名になった埼玉県鷲宮町は聖地巡礼の訪問者によって10億円の経済効果を得ているという(※3)。さらに昨今では「オタク」系のクラブイベントも活発に行なわれていて、2010年にオープンした秋葉原のクラブ「MOGRA」ではアニメソングなどがかかるパーティが頻繁に行なわれ、多くの「オタク」がダンスフロアでアイドルシーンに起源を持つ「オタ芸」と呼ばれる独特の振り付けによるダンスパフォーマンスを披露している。

こうした「外に出るオタク」の存在は「オタク」という言葉の定義をより曖昧なものにすることにつながって、ゼロ年代半ばすぎには、どんなカルチャーを嗜好しているか、どこでそれを享受しているか、どんな態度でそれを消費しているかによってトライブを規定すること自体がほとんど不可能になった。したがって今日に「オタク」という言葉はアニメやゲームなどのジャンルを嗜好する者に対して気軽に投げかけられる言葉であるか、あるいはジャンルを問わず何らかのカルチャーに対して並以上の知識を持っている(たとえば「サッカーオタク」のような)者を指すようになっている。いずれにしても中森が定義したように、特定のジャンルを嗜好することと内向性を直結させたような定義付けは失効しており、その意味では岡田斗司夫が『オタク学入門』(太田出版、1995)で「オタクは日本文化の正統継承者である」(※4)として、内向性とは別の心性を与えることによって「オタク」のイメージ向上を図ったのも同じである。したがって、ゼロ年代の「オタク」は現実空間へ踏み出すことによって従来的な「オタク」というトライブの自己同一性の限界を描いた、ということになる。
文=さやわか

【註釈】
『ユリイカ』2010年9月号、青土社
※1「「軽薄な聴取」から「ライブ回帰」へ」(『ユリイカ』2010年9月号、青土社)より。

『漫画ブリッコ』1983年6月号、セルフ出版
※2「『おたく』の研究\x87@」(『漫画ブリッコ』1983年6月号、セルフ出版)より。

※3「埼玉県鷲宮町:経済効果10億円超 奇跡の「らき☆すた」町おこし、成功の秘密」(http://megalodon.jp/2010-0125-2355-00/mainichi.jp/enta/mantan/news/20100123mog00m200018000c.html)より。

『オタク学入門』1995年、太田出版
※4 同書の最終章タイトルより。

さやわか ライター、編集者。漫画・アニメ・音楽・文学・ゲームなどジャンルに限らず批評活動を行なっている。2010年に西島大介との共著『西島大介のひらめき☆マンガ 学校』(講談社)を刊行。『ユリイカ』(青土社)、『ニュータイプ』(角川書店)、『BARFOUT!』(ブラウンズブックス)などで執筆。『クイック・ジャパン』(太田出版)ほかで連載中。
「Hang Reviewers High」
http://someru.blog74.fc2.com/
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11.03.06更新 | WEBスナイパー  >  現場から遠く離れて
文=さやわか |