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Criticism series by Sayawaka;Far away from the“Genba”
連載「現場から遠く離れて」
第三章 旧オタク的リアリズムと「状況」 【2】

ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に本質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。
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したがって『パトレイバー』が目指したリアリズムは、80年代までのオタク的想像力のより洗練された姿であると言っていい。しかし、ここでより注意深く扱いたいのは、この作品の想像力がSFやファンタジーの要素と80年代後期的な社会の自然な融合を選んだことよりも、「巫女」のような既に日本社会からは失われたジャポニズムや、わかりやすく荒唐無稽なSFやファンタジーの要素が氾濫することを許さなかったのである。このようなあり方の説明として、同作がリアリズムに接近したことの第二の理由が挙げられる。折しも80年代後半以降、物語の想像力は世界的に過渡期を迎えていた。80年代の前半には、アメリカでレイモンド・カーヴァーやジェイ・マキナニー、アン・ビーティーなどに代表される大規模なミニマリズム文学の流行があり、極端な虚構性よりも日常描写を積み重ねた物語が重視されるようになったのである。

当時アメリカで好んで描かれたのは家族や恋人、企業人などがふとした出来事によって典型的な「アメリカらしさ」に躓いて、しばしばその日常性を失ってしまう、というものである。80年代の前半に、文学の分野ではこのような物語によってこそ人々の現実は照らされるとする潮流があった。それは現在も形を変えて継続している部分があるが、今は措くとしよう。簡単に言えば、このような物語とは「ほとんど物語らしいことが起こらない」ことこそがリアリスティックであるとするようなものであると言っていいだろう。この傾向は、80年代の後半には本来なら極度な虚構性によってこそ成り立つはずのポップカルチャーにも波及していた。すなわち、世界の片隅で作られる日本の漫画やアニメなどにすら影響を及ぼしたのである。この流れによって70年代までに作られた極度に虚構性の高い作品、言い換えれば高度なリアリズムに基づかない作品は、極端な場合はジャンルごと衰退していった。

わかりやすいのがロボットアニメである。70年代の『マジンガーZ』(72年)から日本のアニメでは搭乗型のロボットによる物語が主に少年向けの題材として人気を博していた。その栄華は『無敵超人ザンボット3』(77年)から始まるサンライズ(当時は日本サンライズ)製作の搭乗型ロボットものアニメの連作、とりわけ最大のヒットとなった『機動戦士ガンダム』(79 年)の成功などに象徴することが可能だろう。名古屋テレビで土曜17時半から放映されていたこの連作は10年にわたって続く。しかし初期には明るい作風のものが数多く作られていたにもかかわらず、やはりアニメにおけるリアリズムの追求によって次第に深刻な内容のものが多くなっていく。結末で登場人物の多くが死んで主人公が精神を病んでしまう『機動戦士Ζガンダム』(85年)などはその代表例と言っていいだろう。後期には明るい作風のものが作られても視聴率的に苦戦することが多く、そもそも少年少女がロボットに乗って世界のために戦うというロボットアニメの根底をなす設定自体が荒唐無稽なものとして時代に求められなくなっていた。

かくして『機甲戦記ドラグナー』(87年)で名古屋テレビによるサンライズのロボットアニメ連作は終了し、その後もロボットアニメは作られ続けるものの、一般的な知名度を失っていく。このような傾向は91年に登場し、現在も作られ続けているロボットアニメをモチーフにしたシミュレーションゲーム『スーパーロボット大戦』シリーズにもよく現われている。このシリーズは『ガンダム』以前に作られたような荒唐無稽な要素を多分に含んだロボットアニメを「スーパーロボット」と呼称し、またある程度のリアリズムに基づいて作られたものを「リアルロボット」と呼びながら、新旧のロボットアニメのキャラクターたちが入り乱れて戦うというゲームである。この区別が示唆的であるのはロボットアニメの中にリアルなものとそうでないものがあるということではなく、「スーパーロボット」とは既に過去のものであり、かつ「リアルロボット」ですらそれと相対的な存在としてのみ扱われているということある。それらが総じてシミュレーションゲームの駒として使われていることに注目したい。このゲームシリーズはロボットアニメの総括によってこそ成り立ったと見るべきなのだ。

『パトレイバー』が企画として動き始めたのはこのような状況下であり、制作スタッフが作品を「いかにもロボットアニメ」のように作らなかったのは当然であるともいえる。ロボットアニメが潜在的に持つ荒唐無稽さをできるかぎり削ぎ落とし、立ち食いそば屋のような高度消費社会における半ばオタクのフェティッシュに基づいた「日常」的空間と融合させていくことこそが、新しいロボットアニメを考える上で至上の命題だったのである。だが、この作品がリアリズムを追求することになったのはそれだけでなく、今ひとつの理由として、筆者はスタッフ自身の嗜好、とりわけ監督を務めた押井守の考え方が大きな影響を及ぼしたのではないかと考えている。原作を担当し、同作の世界観の基礎を作り上げたゆうきまさみもリアリズムに大きな比重を置く作家ではあった。漫画版のパトレイバーはアニメ版以上に群像劇、とりわけ組織同士の対立とそこに所属する個人の生き様を描いた社会派ドラマの趣を増しており、警察組織と企業、犯罪者などによる駆け引きが作品のエンタテインメント性の大部分を担っている。ゆうきまさみの作家的な興味が人間ドラマに傾いていることは容易に読み取れるのだ。

これに対して押井守は別の意味で従来からリアリズムを追求する作家であった。彼の作品は多くが前述の『ビューティフル・ドリーマー』などのように極度に現実を模倣した空間内にキャラクターを置きながら、そのようにリアリスティックな表現であるにもかかわらずそれがアニメといういささかも写実ではない虚構そのものであることを指摘することを志向しているのである。つまり彼の作品は、少なくともパトレイバーの当時までは多分にメタフィクション的であった。『ビューティフル・ドリーマー』も夢の世界と現実が混濁してしまう話であるし、『パトレイバー』以前に押井が原案・監督・脚本を担当し力を入れて作っていた『天使のたまご』(86年)も、物語内で幻想と現実のレベルが交錯して、作中の何を真実として扱えばいいのか観客にはわからないかのようになっている。また、押井が監督して85年に公開予定とされながら内容のラディカルさゆえに制作が中止されてしまった『ルパン三世』の劇場版も同様である。構想ではこの作品は過去に数回シリーズ化されたルパン三世というキャラクターをすべて「変装の達人」であるルパンによる偽者として描き、さらに「本物」は存在しないという筋書きとなっていたのだ(※26)

したがって、押井守が荒唐無稽さとリアリズムの融合を『パトレイバー』で試みたのは半ば当然のことであった。だが同時にそれはあくまでもそれまでの押井守の作風の延長として、つまり現実と非現実が混濁してしまうことへと関心が向けられており、それは少なくともゆうきまさみのような、違和感のないロボットアニメの世界で人間ドラマを描こうとするスタッフの思惑と接近しつつも違うところにあった。そのことはとりわけ、93年に作られた劇場版の第二作である『機動警察パトレイバー 2 the Movie』で明確になる。

文=さやわか

※26 このプロットは後にルパン三世生誕40周年記念作品として作られた『ルパン三世 GREEN vs RED』(2008年)に転用される。

さやわか ライター、編集者。漫画・アニメ・音楽・文学・ゲームなどジャンルに限らず批評活動を行なっている。2010年に西島大介との共著『西島大介のひらめき☆マンガ 学校』(講談社)を刊行。『ユリイカ』(青土社)、『ニュータイプ』(角川書店)、『BARFOUT!』(ブラウンズブックス)などで執筆。『クイック・ジャパン』(太田出版)ほかで連載中。
「Hang Reviewers High」
http://someru.blog74.fc2.com/
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11.05.22更新 | WEBスナイパー  >  現場から遠く離れて
文=さやわか |