去る2007年2月12日、東京・六本木のフェティッシュショーパブ「モード・エ・バロック」の3周年パーティが行なわれた。そして同時にこのお店をプロデュースしたオーナーでもある麻倉雅女王は2月いっぱいで引退。お店はオーナーの変更を無事に終えて、引き続き営業中だ。12年間SM業界の中で、多くの人に慕われた麻倉雅女王のSMへの想いとは。当日の模様を交えながら紹介する。 |
東京・六本木「モード・エ・バロック」のオーナーだった麻倉雅女王が、2月いっぱいで引退された。正確には「モード・エ・バロック」の経営を他のオーナーにゆずり、彼女が“女王”として表舞台に立つことがなくなるということだ。
麻倉雅女王については、2004年発行のスナイパーEVE13号にてインタビューを行なっているので、バックナンバーをお持ちの方はご覧になっていただきたい。東京・新宿「クイーンズクラブ」や神戸・三宮「DOMA」、東京・六本木「ミストレス」などの勤務を経て独立。SMに携わって12年になるという。この業界には“女王”と呼ばれる方々が、有名無名を問わずそれこそ星の数ほどいる。そして誰に顧みられることなく、業界から去っていく方がほとんどである。引退することが話題になり、人が集まるということは、それだけ彼女が多くの人から慕われた存在であったことを示している。
当日の会場の様子。パーティは盛況で出席者はみな和やかに楽しんでいる様子だった。 |
オーナーの変更に伴い、所属しているスタッフも決断を迫られた。店を離れるスタッフ、新しい店を支えるスタッフ、そして独立し自らオーナーとなるスタッフ(※薫女王によるフェティッシュバー「ドルチェ」が3月6日にオープン)など。そうした状況の中で行なわれた「モード・エ・バロック」の3周年パーティ。その模様を紹介しながら、麻倉雅女王に伺った話を簡単に紹介したいと思う。
現在は東京・赤坂「クラブマニアック」に所属する夕樹七瀬女王のショー。
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SMの世界に足を踏み入れてから12年。いまにして振り返れば、それは本当に幸せな時間だったという。鞭や蝋燭、緊縛だけがSMプレイではなく、その根幹にあるものは、たとえSとMとはいえ人と人との関係だということ。欲望や衝動を押しつける、そうしたやり方ではなく、一方的ではないコミュニケーションがとても重要であるということ。そしてそんなコミュニケーションがSMという枠のない社会でも続いていくこと――。彼女の口から語られるそうした想いは、きっと読者の方にも自然で馴染みのあるものに違いない。実際にSMプレイを行なっている方であれば、なおのこと理解できるだろう。そう、私たちと同じように彼女もSMを愛するいちマニアに変わりなく、彼女の気持ちはそのことを示すものにほかならないのだから。
東京・代々木「ラ・シオラ」に所属する楓響女王のショー。 |
「モード・エ・バロック」の三周年パーティは和やかに行なわれた。現在は東京・赤坂の「クラブマニアック」に所属する夕樹七瀬女王のショーから始まり、スタッフによるユーモア溢れる手品ショーや、M男性同士のガマン大会など。そして麻倉雅女王が引退する前に、彼女の縄を学ぼうと東京・代々木「ラ・シオラ」から“研修”にやってきた楓響女王のショー。そんな彼女の縄捌きは以前のものと明らかに違っていた。そして続く乱田舞氏を真似たモノマネショーが会場を沸かせる。氏がショーの際に行なう所作の形態模写なのだがよく研究されており、演者も熱心なファンであることが見てとれる。無論ご本人の芸とは比ぶべくもないのだが、むしろ多くの人に記憶され愛される、乱田舞氏の大きさを印象づけた。麻倉雅女王のショーは最後のひとつ前に行なわれた。緊縛の技術の高さで知られる彼女の相手は、この日のために岡山から駆けつけた照井美沙嬢。過去に何度も行なわれてきたカップリングながら、白襦袢姿の二人がみせる最後のショーには情念が潜む。散り乱れた花びらが何かの隠喩のように印象的だ。当日最後のショーはミラ狂美氏。マイケル・ジャクソンに扮したコミックショーが会場の雰囲気を一変させていく。パーティは温かい笑いに溢れたまま、幕を閉じた。
麻倉雅女王と照井美沙嬢。最後のショーに、感極まる照井嬢。 |
麻倉雅女王は、いちマニアに戻る。我々と同じようにSMを楽しむ彼女とどこかで出会うことがあるかもしれない。そのときはきっとSMの話ができるだろう。そしてそれが「モード・エ・バロック」で交わされる会話と同じように、楽しい時間であることだけは間違いない。
文・写真=編集部
関連リンク
東京・六本木「モード・エ・バロック」=http://www.baroque.to/
東京・六本木「ドルチェ」=http://www.bar-dolce.com/
07.03.17更新 |
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