WEB SNIPER's book review
あの娘はハデ好き、だけど――
90年代の真っ只中に突如現れ、圧倒的な支持を得ながら、21世紀になってほどなく世を去った飯島愛。彼女が生きた時代に、いったい何が起きていたのか。没後18年、アダルトメディア研究の第一人者による渾身の90's徹底検証本、安田理央氏の新著『飯島愛のいた時代』。ネットワーカーばるぼら氏による書評をお届けします。
それなのに。なぜ読もうと思ったかといえば「これ、90年代についての本ですよ」と教わったからだ。たしかに宣伝文では〈90年代に何が起きていたのか。「飯島愛」から時代を辿る〉〈「飯島愛」の足跡を巡りながら90年代を検証した書籍〉と謳われ、オビでは〈アダルトメディア研究の第一人者による、渾身の90's 徹底検証〉と煽られ、著者も「はじめに」で〈彼女ほど90年代を象徴する存在もいないかもしれない〉と書く。どうやら書名が重きを置くところは、「飯島愛」のいた時代、ではなく、飯島愛のいた「時代」、のようだ。それならば自分が読んでも興味を持てる記述があるだろう、というわけである。
章立ては全5章で、順に「ナンバーワンAV女優として」「真夜中のTバック」「元祖コギャルの星」「20世紀最後のベストセラー」「突然のお別れ」。芸能デビューしてから亡くなるまでの約16年間を順に辿りながら話は進む。この中で90年代的興味をそそられるのはまず第3章「元祖コギャルの星」だった。
「元祖コギャルの星」では1990年代"コギャル"に対して飯島愛が与えた影響を整理している。コギャルは現在の"ギャル"文化の前身となる女子高生文化の一つ。コギャルの特徴とされるのが茶髪、日焼け、派手なメイク、露出度の高いファッションといった外見的要素で、そのモデルとなったのが飯島愛だったというのだが、さらに、もともと夜の街を出歩いているような少女だった飯島の存在自体が持つ、陰の要素もその影響元といえるわけだ。そしてコギャルの星が飯島愛から安室奈美恵に変節していった部分の文献整理も面白い。ギャル文化の源流に飯島愛がいたのを整理することで、彼女が亡くなった際に『小悪魔ageha』が追悼ページを作った文脈もわかる、という章である。
また同じ章の後半では「CGアーティストという夢」という項があり、飯島愛が1990年冬に旅行で行ったニューヨークのディスコ「パラディアム」で、天井に映し出されるコンピューター・グラフィックス(CG)に感動し、いつかニューヨークでCGを学びたいと考えるようになった話が詳しく掘り下げられる。現在、1990年代の電脳アイドルとして振り返られるのが千葉麗子だけという状況(すらもはや無いかもしれないが......)を考慮すると、なかなか面白い視点の掘り起こしである。思わず自分も当時のパソコン雑誌をめくったところ、1994年夏の時点での飯島愛のパソコン環境はMacintosh Quadra650、メモリ40MB、HDは500MB。ソフトはPhotoshopとIllustratorだったようだ(『GURU』6号p121、1994-09-30発行、翔泳社)。
第4章「20世紀最後のベストセラー」の音楽に関する記述も見逃せない。100万部を超えるベストセラーとなった自叙伝『プラトニック・セックス』が2001年10月に映画化された際、その挿入歌となったNot At Allというアーティストの「From Silence」という楽曲についてだ。いや、正確にはこの楽曲のリミックスアルバムが「OPPOSITE」というプロジェクト名義でリリースされており、そのプロデュースを飯島愛が手掛け、当該アルバムに中西俊夫周辺のアーティストが多数参加しているという話題である。
中西は1970年代末にPLASTICSでデビューした日本のニューウェイヴを象徴する人物で、日本のクラブカルチャー史を辿ると必ず登場する名前。中西が飯島愛とつながりがあったというのは興味深い話題であるし(中西の自伝では飯島愛の名前は一度軽く出てくるだけだ)、雑誌『TITLE』2003年4月号の「ジャケットが好きなCDを、1枚だけ選んでください。」企画で飯島愛がMALAWI ROCKSの12インチシングル『Delfino』を選んでいた理由もようやくわかった次第だ(MALAWI ROCKSは同リミックスアルバムに参加。DJ EMMAとTaro Kawauchiのハウスユニット)。
本文中にはDJ KENSEIの〈彼女がスタジオみたいなのを作ってくれたんですよ。僕、ちょっとDJ忙しくて、せっかく制作できる場所を作ってくれたのに、全然行けなくて〉というコメントが引用されているけども、飯島愛がDJのためにスタジオを作ったという話を強調する記事をこれまで読んだことがなかったので驚いた。
まるで1990年代に漫画家・中尊寺ゆつこが出資して深夜ラジオ番組「ヒップホップナイトフライト」を提供したような話ではないか。掘り下げて知りたいところである。
コギャルの原点。CGへの興味。DJ文化への接近。この3点が、自分の興味をそそられるポイントとして本書にはあった。ただ、そうした飯島愛のAV&芸能の本流とは別の側面に人間味を感じたり、ジャンルの越境行為に90年代らしさを感じる傾向はあるとしても、これこそが90年代的だという話ではない。では本書が飯島愛と90年代を結びつける理由は何か。
それは本書の言い方に倣えば、デビューしてからずっと飯島愛は〈メインストリームとは異なる場所で生きる人々の声〉を代弁し続ける役割を担っていた、ということである。つまり「オルタナティヴ」という価値観をテレビの中で体現していたのだ。一般社会とは別の価値観で生きる人、生きざるを得ない人々にとって、一つの指針として機能した存在だった......ようである。
例えばカルーセル麻紀や美川憲一に始まり近年のマツコ・デラックスに至るまでの"オネエタレント"も、客体化されやすい性的マイノリティの物言う実像をお茶の間に届ける役割として似たものがある。ただ、飯島愛はオネエではなく、過度な社会的スティグマ(偏見)が近年問題化している「夜の街/水商売」の女性達が共感できる等身大の言葉と振る舞いを持っていた。そして飯島愛以前に飯島愛のような存在はおらず、その飯島愛が90年代に登場したこと、という一点において、飯島愛は90年代を象徴するのではないか、という本書の見立てが成立するわけだ。
さてどうだろう。飯島愛は90年代だろうか。本書を読んだ自分にとって飯島愛はむしろ2000年代を先駆けた存在と見なせる。コギャルがギャルに変化する途中、安室奈美恵と浜崎あゆみを経由した際に消えてしまった下品な部分、セックスとお金のムードを、飯島愛は最後まで捨てなかった。それが水商売の女性から支持を得た核心だろうと思うし、本格的な不景気に突入する2000年代の日本を生きる人々が感じていた"リアル"が、飯島愛にはあったのだと思う。おそらく2000年代にケータイ小説を経て大衆化した「愛と悲劇」系の物語にも影響を与えただろうと推測できるけども、ここではそこまでは踏み込まない。
かくして、興味のなかった飯島愛について、何か新しい知見を得ようとする気持ちもとくになかったにもかかわらず、本書によって何か知見を得てしまった感がある。当初の目的とは違ったが。
文=ばるぼら
『飯島愛のいた時代』(太田出版)
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』など。最新刊は『コミティア魂』。
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