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最終章 奴隷の王【最終回】

それは「島」始まって以来の華やかなパーティだった。「島」で働く調教師、職員、そして奴隷たちがすべて出席していた。
そう、奴隷の女たちも、この日ばかりは艶やかなドレスに身を包み、女性として扱われたのだ。もちろん、赤い首輪だけは、しっかりと首にはめられていたが。
東京・日本の共同サミット、そして各国首脳を招いての裏サミットの成功を祝うこのパーティは、その影の原動力となった「島」の住人たちの功績をねぎらうために、北尾が開いたものだった。
つい十数年前まで世界のあちこちで暴発寸前であった主だった対立はほぼ沈静化していた。
そうした対立のひとつである東京国と日本共和国の冷戦も事実上の終結を迎え、第二次世界大戦により分断された二つの国は、統一への一歩を踏み出そうとしている。
そうしたすべての動きの影には、サガラ財団が関わっていた。この「島」もサガラ財団の支配下にある特殊機関だった。
「小僧、そろそろお前もここを離れて、本部のほうに行ってもらう時期かもしれんな」
ソファに身体を預けた北尾は目をつぶったままスピアに言った。パーティの喧騒から離れて、北尾とスピアは別室で休憩していた。北尾は珍しく酔いが回ったようで、気持ちのよさそうな赤ら顔をしていた。
「本部、ですか」
スピアは普段から嫌がっている北尾からの小僧という呼び方にも気づかなかったようだ。サガラ財団本部の話は、スピアもよくわかっていない。「島」で働く者も、その全貌を知っているのは極限られた人間だけだった。
「おお、お前には、いつか、おれの跡を継いでもらおうと思っているからな」
北尾は満足そうな笑みを浮かべる。スピアは黙っていた。
「お前は、おれの後継者になるんだ」
北尾はもう一度、そう言った。


健吉が割腹自殺を遂げた後、彼が担っていた役割は、相楽一族の本家の人間が代わりを務めることとなった。それは、すなわち国交の貢物となる「女」の調教だ。
もともと健吉は、相楽一族の傍流だ。しかし、その頃は傍流たる健吉が本家を束ねる立場となっていた。それをよく思っていない人間も多かったが、すでに国家の中枢に対して圧倒的な力を持っていた健吉に逆らえる者もいなかったのだ。
それが彼の死によって、バランスを崩した。一族内で激しい権力争いが行なわれ、ついには死者まで出る事件となる。
しかし、元々が女を調教することに特化した、いわば職人的な技能を持った一族だ。健吉のように政治的な動きの出来る人材はそこにはいなかった。
そうして権力争いによって疲弊した相楽一族の前に現われたのが北尾だった。そして彼は健吉の遺書を手にしていた。そこには、自分の後継者は北尾であると書かれていた。
相楽一族の人間に比べれば、女を調教する才能が自分にはないことを北尾はよく理解していた。そこで、自分はあくまでも相楽一族と政府の橋渡しとなる窓口の役割を担うのだと、彼は言った。それで一族の者も納得をした。
しかし、歳月が経つにつれ、北尾の力は大きくなり、一族の者で彼に口出し出来るものは一人もいなくなった。
また北尾は、健吉の後継者であるという立場を利用して、治安維持庁内でも強大な権力を握ることとなった。
そして北尾は国民奉仕法の改正へと暗躍し、新たに奉仕庁を設立させた。
同時に、北尾は海外でも動いていた。過激な反戦運動で知られるヨーロッパの政治団体「平和の橋」に接近した後に、乗っ取り「サガラ財団」と改名させた。
こうした北尾の行動は、すべて健吉の意志によるものであった。北尾に向けての遺書に、彼の思いはすべて綴られていたのだ。


「相楽先生は、大戦によって全てを失った。財産も愛する者も、何もかもだ。そして、戦争こそが最も憎むべきものだと確信したんだ。それを止めるためなら、手段を選ぶべきではない、とな。個々の小さな犠牲があったとしても、大きな不幸を食い止めるためなら仕方がない。相楽先生はそう考えたのだ」
「戦争を食い止めるための道具が、ドールというわけですか?」
スピアの声は無表情だった。意識的に感情を相手に感じさせないようにしているようにも聞こえる。
「そうだ。道具というよりも武器だな。人間にはどうしても闘争心という本能がある。戦争をしたいという欲望があるのだ。それは教育でも根本的には抑えることはできない。本能だからな。だから、その欲望をドールにぶつけさせることで、抑える。それが相楽先生が考えた方法だ」
「サディスティックな欲望を発散させてガス抜きさせようってことですね」
「まぁ、平たく言えば、そういうことだ」
「でも、ドールに、奴隷にされる女たちにとっては、たまったものじゃない話ですね」
「自分ひとりの犠牲で多くの人が救えるというのならば、それは喜ぶべきことじゃないのか? 少なくとも相楽先生はそう考えていた。だから自分の実の娘も差し出すことが出来たのだ……。そして、そうした女たちの苦しみを自分も背負うことも覚悟していた。だから、すべてをワシに託した後に、自ら命を絶ったのだ。もちろん、ワシもその決意はしている」
「って、ことは、さっきの後継者の話をおれが受けたら、自殺するんですか。そんなことを聞いたら、うかつに引き受けられないじゃないですか」
スピアは苦笑いした。久しぶりに彼が見せる人間らしい表情だった。
「ふん、思い上がるなよ。お前がワシの後継者になれるほど成長できるのは、まだまだ先の話だ。ワシの寿命が足りるかのほうが心配だよ」
北尾は豪快に笑う。相楽から渡された使命を、なんとか達成することが出来たという、すっきりとした表情がそこにあった。
「さて、パーティに戻るか。主役がいないと盛り上がりに欠けるだろう」
「今回のパーティの主役は自分じゃない、みんなだ、なんて言ってたじゃないですか」
「ははは、それは建前に決まっているじゃないか」
北尾は立ち上がり、パーティが行なわれている大広間へと歩いていった。足取りが怪しい。酒に強い北尾には珍しく、かなり酔いが回っているようだ。しかし、その表情は多幸感に満ちている。
「ほら危ないですよ」
よろけた北尾を、スピアが横から抱きかかえる。
「これじゃあ、本当にすぐにでもおれに任せて引退したほうがいいんじゃないですかね」
「バカを言え。年寄り扱いするんじゃない。まだまだだ。ワシにはまだやることがたくさんあるんだからな」
そう言いながらも、北尾の表情から笑顔は消えない。スピアの肩に身体を預ける。スピアを完全に信用しているのだ。


パーティは盛り上がりを見せていた。華やかなドレスに身を包んだドールの女たちは誰もが、この世のものとは思えない美しさだった。もともとが奉仕者の中から、選び抜かれた美貌の女性ばかりなのだ。そんな彼女たちが、普段は見せない笑顔を浮かべているのだ。職員や調教師たちですら、その美しさに見とれてしまっているようだった。
そんな彼女たち、彼らの間を、ゆっくりと北尾は進んでいく。酔いが少し冷めたのか、それともそんな格好悪い姿を見せたくないのか、もうスピアの肩は借りていない。にこやかに周囲の人間に声をかけていく。その北尾の親しみやすさに、誰もが驚いていた。
「事務次官……」
背後から声をかけられて、北尾は振り返る。井浦所長が立っていた。貧相な男だが、パーティスーツを着ていると、それなりに見える。
「おお、井浦所長。楽しんでいるか」
井浦は、これまで北尾に見せたことのないほどの満面の笑みを浮かべた。
その後、井浦は北尾に思い切り身体をぶつけた。鈍い音がした。北尾の身体が崩れ落ち、その上に井浦が覆いかぶさる。
何か喚き散らしていた。何を言っているのか半分はわからなかったが、周囲の者たちもはっきりと聞き取れたのは、「女は道具じゃないんだ!」という一言だった。
悲鳴が上がる。男たちが井浦に飛びかかり、押さえつける。倒れた北尾の身体から、床に真っ赤な血が広がっていく。それはどんどん勢いを増し、北尾の身体の周囲の床は血の海と化した。


焼け火箸を突っ込まれたかのような激痛は一瞬だけだった。あとはもう痺れて、身体の感覚が全くなくなった。
瞼が重い。このまま、目をつぶってしまいたいという欲求に襲われるが、それをしてしまったら、おしまいだと止める気持ちもどこかにあった。
それでも視界はぼんやりとしてくる。見上げた時に、最後にはっきり見えたのは、スピアと、彼によりそう真紀の姿だった。
「なんだ、あいつらデキてたのか……」
北尾は薄れゆく意識の中で、そう考える。あの身体の近づけ方は、精神的な関係を持った男女のそれに間違いはなかった。
自分のお気に入りの奴隷に、目をかけていた男が手をつけていた。その事実に怒りもわかない。どうせ、自分はもう死ぬのだ。
やり残していたことは、まだあっただろうか。妙に冷静にそんなことを考えている自分に気がつくと、北尾は苦笑する。もちろん顔は表情を作れない。
最後にぼんやりと見えたスピアの表情が、少し笑っているように思えた。


「あ、本当に外れた……」
男は赤い首輪を手にして、少し拍子抜けしたようだった。怪しげなサイトで見た首輪の解除方法を試したところ、本当に簡単に外れてしまったのだ。
奉仕期間の2年間、決して外れることがないと言われていた赤い首輪だ。だめでもともとと試してみたのだ。
「あ、ああ、これで、私、人間に戻れたのね」
女は今まで一年間、その赤い首輪によって締め付けられていた首に手を伸ばし、肌をさすった。
「でもこれで、あなたも私も犯罪者になってしまいましたよ」
「もう、あいつの家から君を連れ出した時点で犯罪者だよ。これで逃げやすくなった。どこまでも逃げてやろう」
「ありがとうございます……」
女は男をじっと見て、そして土下座した。額を床にこすりつける。
「そんなのよせよ。あと、敬語も必要ない」
「ごめんなさい。つい……」
「さぁ、首輪をここに置いて逃げるよ。もう追いかけられる心配はないはずだ」
「はい」
外した首輪を床に放り投げ、男と女はその古く小さな山小屋を後にする。
二人は森の中、奥深くへと逃げこんでいった。

(了)

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12.05.21更新 | WEBスナイパー  >  赤い首輪
文=小林電人 |